ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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コロナウィルスによる混乱が続いている。コロナをきっかけにしてこの国の抱えている「病理」があふれ出ている。これをどう理解するべきか。その上でどう対応するべきか。ここに藤井聡・京都大学大学院教授の文章を紹介したい。混乱を整理する上で、貴重な示唆を与えてくれています。
 
         以下

今、コロナ対策として安倍総理は、直々に国民に対して、「多数の方が集まる」ような「イベント」の中止・延期を要請しました。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00002.html
この総理要請のインパクトは絶大で、今日本中で三月中のイベントや会議は、軒並み、中止・延期となっています。
もちろん、あらゆる会合はキャンセルした方が「感染確率」が下がるのは事実です。
しかし皆があらゆるイベントや会合をキャンセルしてしまえば、日本の経済や社会は根底から破壊されることになります。
事実、もうどこの町でも、観光地も繁華街も飲食店は皆ガラガラ、交通事業者も商店も、軒並み大幅かつ深刻な「減収」に苛まれ始めています。このまま続けば我が国はそのうち、激しい倒産のラッシュが続き、とんでもない不況、恐慌へと突入することは目に見えています。
だから我々人間は、「感染を封じ込めることのメリット」と、「それに伴うデメリット」を比較し、時にリスクを取りながら是々非々で判断していく態度を持つことが必要なのです。そもそも「リスク」というものは、ただ単に「封じ込める」ものなのでなく、「付き合う」べきものなのです。
実際、国会では国会議員達が連日、超濃厚接触を繰り返しています。が、あれが許容されているのは、国会停止の「デメリット」が大きすぎるので、国会議員達は国会で感染が広がるリスクを受け入れているのです。
これと同様に、あらゆるイベントのキャンセル判断は、
「キャンセルすることによって得られる『感染リスク低減』メリット」

「キャンセルすることによってもたらされるデメリット」
を比較(衡量)する態度が必要なのです。
にも関わらず、そういう比較を何もしないで、ただただ空気に流される形で、日本国内であらゆるイベントがキャンセルされまくっているのが現状。つまり我が国には、「ヒステリック」な「やり過ぎ」のコロナ対応が蔓延してしまったのです。
では、このヒステリーがなぜ起こったのかといえば―――言うまでもなく、安倍総理大臣が、国民に対して直々に「多数の方が集まる・・・イベント等については・・・中止、延期・・等の対応を要請」したからに他なりません!
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00002.html
この要請は、国民のヒステリーを誘発する「極めて悪質」なものです。
第一に、「多数の方」という言葉が曖昧で、それが10人なのか千人なのか1万人なのかが分かりません。だからあらゆるイベントの主催者を「不安」にさせるのです。
第二に、イベント「等」と書かれており、(その前に全国的だとかいう言葉が書かれてはいるものの)結局は全てのイベントが対象だと解釈できることから、ここでもまた、イベント主催者達を「不安」にさせます。
そして何より第三に、ここまで曖昧な要請なのに、その要請者が、行政府の長である「安倍総理大臣」であり、これを無視することが後に激しいバッシングを誘発するのではないかというさらなる強い「不安」をイベント主催者にもたらします。
こうした数々の「不安」が、全国のイベント・会合主催者にパニックをもたらし、あらゆる会合を思考停止しながらキャンセルしまくる集団ヒステリー状況をもたらしたわけです。
ついては、このヒステリーを納めるにはどうすべきかと言えば―――科学的な根拠に基づく、会合・イベントキャンセルの「基準」を考えることが必要なのです。
ついては、その「基準」を検討するために、簡単な「確率シミュレーション」を行ってみました。
この表をご覧ください。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2338748136226116&set=a.236228089811475&type=3&theater
この表はとてもシンプルな確率計算結果(文末に式を掲載します)を示したものです。この表の見方は次のようなものです。
まず、会合の数が大きければ大きいほど、感染リスクが高まります。その中の一人でも感染していれば、その集団内で感染が広がるかもしれないからです。
今、仮に日本国内に潜在的な感染者が「1000人」いると考えましょう。
今のところ、感染者数は260名(3月3日時点)ですから少々多いかもしれませんが、もしそうだとすると、この表に示したように、100人程度の会合をやっても、その集団に感染者が含まれている確率は四捨五入すると「ゼロ」になります(具体的には0.1%)。
仮に、潜在的感染者が「1万人」いるというかなり危険な状況を想定した場合でも、50人未満の会合なら、その会合に感染者が含まれる確率は、四捨五入すると「ゼロ」になります(具体的には0.5%)(ちなみに、中国人の人口14億人中感染者7.7万人ですから、日本人も同様の比率とすると約7000人となります。ですので、この想定は中国よりもさらに感染が拡大しているという想定です)。
しかも、以上の前提は、ほとんど誰もマスクもしなければ咳エチケットも守らない、という極端な状況ですから、そうした対応を図れば感染リスクはさらに縮小できます。
もちろん、ほんの僅かなリスクでも「避けたい」と考える主催者はキャンセルをすれば良いわけです。が、そのイベントに一定のメリットがあるなら、この程度のリスクなら中止は不要だと判断するのは、至って合理的と言えるでしょう。そう判断するなら、一定の対応を図った上で、今の国会が開催されているように、イベントを粛々と開催すればよいのです。
ちなみに、首都直下地震と南海トラフ地震の少なくともいずれか一方が発生する確率は約8%(!)もありますから、そんな災害リスクを完璧に無視しながら、それよりも圧倒的にリスクの小さいコロナリスクばかり考えているような態度は、著しく不条理なのです(さらに言うと、椎名林檎のライブは5000人規模でしたが、ここでの感染拡大リスクは、上記の巨大地震が今年に起こるリスクよりも圧倒的に小さい水準[2%]です)。
・・・
いずれにしても、単なる「根性論」や「思いつき」で学校を閉鎖したり、イベントを中止するようなことをしていると、日本経済は完全に失速し、とてつもない禍根を日本に残すことになります。結果、不況によって自殺に追い込まれる方々の数が、コロナで亡くなる方を圧倒的に凌駕することになるでしょう。
そうした最悪の悪夢を避けるためにも、政府は例えば、次のような、数理的根拠に基づく、より具体的な要請・説明をすべきなのです。
「100人程度以下のイベント・会合なら、感染リスクは僅少なレベルですので、その必要性を踏まえて是々非々で開催判断をなさってください。
ただし、参加者数が拡大していくと感染リスクも拡大していきますから、1,000人を超えるような大規模イベントについては、当該イベントの必要性と感染拡大リスクの双方を鑑み、中止・延期・規模縮小を選択肢にいれてたご検討をなさってください。なお、イベントサイズと感染拡大リスクとの関係の目安は、以下となっています。ご参考にしてください。


—————————-
 参加者数と
 感染拡大リスクの目安
(令和2年3月4日時点)
—————————-
  5人 0.0%
  10人  0.0%
  50人  0.0%
  100人  0.1%
  1000人 1.0%
  5000人 4.9%
—————————-
(※ この表は、感染者数が1000人のケースを想定しています)
とはいえ、安倍内閣はこうした基準を示すことはないと思います。これまでの振る舞いから類推するに、安倍内閣が「具体的な基準を示す」ことのリスクを取るような振る舞いをするとは、考えがたいからです。
もしもそうだとすれば−――誠に残念ですが、我々国民がこうした客観的検討を行い、パニックやヒステリーに陥ることを避けつつ、「冷静な振る舞い」を自ら心がけていくしかないのだと、思います。
さもないと、日本経済は本当に、根本から破壊されてしまうことになるでしょう・・・。

「こんな時だけ『全国』にいれるな!
      アホな自粛ムードを吹っ飛ばせ!貧乏人!大酒飲み会(仮称)」
への呼びかけ

「コロナ」の片りんすら見つからない、こんな小さな田舎町で、
保育園、幼稚園から高校に至るまで、すべての卒業(園)に伴う祝賀会、謝恩会が中
止だという。
「キャンセルに次ぐキャンセルで手の打ちようがない」
それらを頼みにしていた友人が嘆いていた。
ただでさえ落ち込みの激しい長井。この小さな経済社会に襲い掛かる消費税、
暖冬による除雪作業の消滅、さらにコロナによるキャンセルと。
只でさえ冷え切っていた地域経済にこれでもか、これでもかと襲い掛かって来る。
 そんな中、仲間と相談して上記の気楽な酒飲み会を持つことにした。
年齢、性別、一切関係なし。あえて言えば長井が好きなこと。
何人集まるか、どなたが来てくれるかは全く見当がつかないけど、
お出でいただけたならうれしい。

日時;3月14日(土)pm6時〜
場所;長井市中央会館
会費;4,000円

呼び掛け;青木文男090-8926-3028/金子俊郎090-4559-9224
     菅野芳秀090-4043-1315/村田孝090-3645-6745
申し込み;なるべくなら早めに呼びかけ人に


今年の冬はどうなっているんだろう。
今まで経験したことがないほどの雪の少なさだ。
田畑に雪がない。
例年の2月なら田畑には1・5mほど、山にも3〜4m前後の積雪があって当たり前。
これでは雪女だって行き場を失ってしまう。
心配なのは水。雪は春に向けての水の貯金だ。
それが十分でないと田植えができない。いや、更に心配なのは飲み水だろう。
もし今年がカラ梅雨ならば日本列島は深刻な水不足になるだろう。
給水車がどうしたというレベルの話ではない。
そんなことではとても追い付けない水不足が心配される。

白銀の世界が広がっている。冬は土の休息の季節。雪の下で静かに、ひっそりと眠っている。
 土は今まで生きていたものたちの遺体の集合体。地上に最初に棲みついた植物はコケのようなものだったのかもしれない。それらが朽ちて少しの土ができる。その何千、何万回のくり返しの中からやがて草や木ができ、動物達が生まれ、それらが次々と遺体となり、土となってきた。数十センチという土の層は膨大な歳月をかけた、生きていたものたちの堆積。
 森のブナの木が、その種を土の上に落とす。やがて成長し大木となる。その成長を支えるものは、かつてその場で土となった全ての生きものたち。幾百万、幾千万の生きものたちの力によってブナの木は成長していく。
 畑の大根を育むものも、やはりその場で土となり、養分となった生きものたち。大根のいのちのなかに、かつて生きていたものたちが参加していく。
 私たちは、大根を食べながら、同時に大根のなかに参加し、活かされたおびただしいいのち、あるいはいのちのつながりをいただいている。
 空を飛ぶ小鳥も、森を駆けるウサギも、道端の草も、私も、君も・・・ひとつひとつの生きものは、かつてその地で生きていた、たくさんのいのちの集まり。
  これから生まれてくるものたちも、私たちを含む全てのいのちの集積として新しいいのちを得ていくのだ。
 遠い過去からはるかな未来に至るまで、いのちがかたちを変えながらめぐって行くところ、壮大ないのちの循環の場。それが土。
 春にまた種が撒かれる。いのちのめぐりのはじまり。
 シーッ!静かにしよう。土が休んでいる。春まで起こしてはいけない。雪がせっかくつつんでくれているのだから。
(写真は昨年の冬の光景です。)




どの地方にもそれぞれの元旦の朝の行事があると思いますが
私たちの所では、お供えのモチと、干し柿、栗、ミカンを一つのセットにして、家の要所、要所にお供えする。作業舎、農業機械庫、鶏舎・トラック、乗用車、家の台所、神棚など全部で15カ所。1年間の無事を願いながら、手を合わせ、お供えしてまわる。それが終わってからみんなで仏様などに手を合わせ、ようやく食事だ。




今日、28日。山形のこの辺では、お正月に向けた「松むかえ」の日だ。門松に使う「三階の松」を山から迎えてくる。
村の古老から「三階の松」について話を聞き、孫を連れて裏山(朝日連峰)の麓に入る。
静かな沢の音だけの世界だった。




寒さにあてたリンゴは一層甘くなる。
というわけで12月の今日までもぎ取らずにいたが、もう充分に寒さも雪もあたった。日曜日、孫たちを動員しての収穫作業。
傷ついたリンゴはもぎ取らずに小鳥たちの為に残しておく。




「小農」潰して多国籍企業に国民の胃袋を預ける。
「小農」潰して多国籍巨大企業に種子を開放する。
「小農」潰して遺伝子組み換えばかりとなる。
「小農」潰して健やかないのちと共にあった食べ物を失う。
「小農」潰して村が滅ぶ
「小農」潰して田んぼの生き物絶滅す
「小農」潰して地域の暮らしが破たんする。
「小農」潰して・・・・


まだ間に合う。
小農、消費者、住民が連携し、食料自給、地域の自立、「いのちと暮らし」こそ全て!
新しい大きな運動を作り出さなければと切に思う。

12月9日は昔から「耳あけ」と呼ばれている日だ。
大黒様を祭ってある神棚に尾頭付きの魚と二つに分かれた「まった大根」をあげ、枡に大豆を入れ、カラカラ言わせながら
「お大黒様、お大黒様。耳をよ〜く開けて聞いておりますから、なにがええごどおしぇでおごやえ〜!(良いこと教えてください)」と大声で言う。
 この行事が終わると、急速に暮れに向かい忙しさが増していく。もう一つの写真は、畑でとれた面白い形の大根。きざんで食べてしまうのは惜しい気がする。
かと言って他に使い道はないけれど・・。





12月に入り、風景はもう雪景色だ。
でもまだ白菜、大根の取入れが終わってない。負け惜しみで言えば、雪にあてたほうが甘くなり、旨味も増す。だけど我が家の場合、単純に仕事が遅れているだけ。
 雪にあてたほうが・・といえば、リンゴなどの果物も一緒だ。我が家の庭先のリンゴも雪をかぶったままぶら下がっている。これは仕事の遅れとは関係なく、あくまで風味、美味さをねらってのことで意図的だ。
 同じように、風雪の日々が人間を育てるとは言うけれど、かと言って俺が雪をかぶって、ぶら下がってみるわけにはいかない。あくまで雪をかぶるのはリンゴ。我が家においでなら、あなたにもおすそ分けしましょう。
そろそろもぎ時だ。




12月に入り、風景はもう雪景色だ。
でもまだ白菜、大根の取入れが終わってない。負け惜しみで言えば、雪にあてたほうが甘くなり、旨味も増す。だけど我が家の場合、単純に仕事が遅れているだけ。
 雪にあてたほうが・・といえば、リンゴなどの果物も一緒だ。我が家の庭先のリンゴも雪をかぶったままぶら下がっている。これは仕事の遅れとは関係なく、あくまで風味、美味さをねらってのことで意図的だ。
 同じように、風雪の日々が人間を育てるとは言うけれど、かと言って俺が雪をかぶって、ぶら下がってみるわけにはいかない。
あくまで雪をかぶるのはリンゴ。
我が家においでなら、あなたにもおすそ分けしましょう。
そろそろもぎ時だ。

 12月に入り、風景はもう雪景色だ。
でもまだ白菜、大根の取入れが終わってない。負け惜しみで言えば、雪にあてたほうが甘くなり、旨味も増す。だけど我が家の場合、単純に仕事が遅れているだけ。
 雪にあてたほうが・・といえば、リンゴなどの果物も一緒だ。我が家の庭先のリンゴも雪をかぶったままぶら下がっている。これは仕事の遅れとは関係なく、あくまで風味、美味さをねらってのことで意図的だ。
 同じように、風雪の日々が人間を育てるとは言うけれど、かと言って俺が雪をかぶって、ぶら下がる訳にもいかない。あくまで雪をかぶるのはリンゴ。我が家においでなら、あなたにもおすそ分けしましょう。そろそろもぎ時だ。