ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

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今から60年ほど前のことになるが、母親はよくカレーを作ってくれた。それは俺たち兄妹にとって、とても楽しみなご馳走だった。小麦粉とカレーの粉を水で溶き、肉の代わりにクジラの白身。ニンジンやジャガイモ、ネギなどを加え煮込んでくれたもの。
夕方、遊びから帰ると、その香りが近所まで広がり、「あ、今日はカレーだ!」と、とても誇らしく、うれしかったことを覚えている。皿にご飯と香り豊かなカレーをかける。福神漬けなどのコジャレタものはなかったが、それがとってもおいしく、腹がはち切れるまで食べた。
それから随分時が経った。102歳になった母親は今も健在だ。何年か前に、子どもの頃に食べたカレーを再現してもらったことがあった。小麦粉にカレー粉、クジラに野菜は昔と一緒。出来上がった香りも、黄色の色合いも当時と同じ。
「よし!」とスプーンですくい口に運ぶ。ん? これがあの頃食べたカレーか? 味が淡白過ぎてコク感じられない。深みもない。まずくはないがおいしくもなかった。あんなに喜んだ味だったのに。母親には申し訳ないが、全く期待外れだった。
「お前たちはこのカレーをおいしい、おいしいと、いつも喜んで食べていたんだよ」と、母親は笑みを浮かべてはいたが、どこか淋し気だった。
なぜおいしく感じなかったのか?それは俺の味覚が変わり、昔の味では満足できなくなったからに違いない。今のカレーに感じるコクや深みは、カレーのルーの中に含まれている化学調味料の力なのだろう。母親が作った昔のカレーには、そうした調味料は全く含まれていなかった。

和顏施(わがんせ)
誰にでもできる笑顔の贈り物。この言葉を知ったのはずいぶん前の事になる。それ以来今日まで、誰かの笑顔に出会い、新しい力を得たように思える度にこの言葉を思いだす。この言葉は仏教の教えの一つで、地位や財産がなくても心がけによって誰もがいつでも簡単にできる他人への「施し」の一つだという。まわりがホッとして、うれしくなるような贈り物。
 笑顔をもらう立場から言えば、いつだってうれしい。暖かい笑顔に出会うとなにかうれしい贈りものをもらった様な、どこか浮き浮きした心もちが続く。あらためて考えて見れば不思議な力だ。笑顔。「和顔施」。なるほどな。
 さて、今日、コロナによって誰もがストレスの多い暮らしを強いられていて、イライラ感はコロナ以上に伝染する。こんな時だからこそ、そこには「自分を引っ張る笑顔」、「周りを支える笑顔」、「気持ちを明日につなぐ笑顔」など、意識的、自覚的な笑顔があっていい。鏡を前にし、口角を上げて練習してみるというのも大いに有りだな。鏡を前に・・今日は止めておこう。

 月刊「地域人」(大正大学出版会)所収・拙文より抜粋


 最近、主要な農作業は息子にまかせ、実務労働に特化していますが、飯は美味いし、酒も美味いので肉体は動かさないくせに今までと同じような食生活を続けていましたから太る一方でした。ここに来てようやくそのバカさ加減に気付き、食事を減らしています。6kgほど減って、目標まではあと7kg。え、そんなに!と思う必要はありません。少し古い例えですが、小錦から数キロg取ったってあまり見かけは変わらないのと同じように、私も6kgぐらい減ったところで外見上ほとんど変わっていません。
 かの大谷選手は193cmで102kgだそうですが、私は今、191cmで102kg。ほとんど大谷君と一緒。それを言うと周りに軽い笑いが起こり、私はすこし「キズ」つきます。
 コロナがヒト治まりしたらお気軽においでください。大リーグ迄行かずとも、山形においでになれば、大谷君に会えたような気に・・ならないかな。




 今日(5/26)、田植えが終わった。
やれやれと思っていたら、
「いま、果樹全般が、今まで経験したことがないほどの甚大な被害に襲われている。サクランボ、ブドウにリンゴも・・、この時期に花が咲く果樹のほとんどが『遅霜』(おそじも)の被害で壊滅的打撃を受けている」との百姓仲間からの一報。収量はほとんど期待できないかもしれないとのこと。その範囲は程度の差はあろうが、少なくとも山形県全域。もしかしたら関東から北の広大な領域に及んでいるかもしれないという。 

 原因は例年にないぐらいの春の早さと花芽の成育。そこに襲い掛かって来た「遅霜」。異常気象だ。友人の果樹農家は、「きっとこれが常態化するだろう。これでは果樹栽培は成立しない。」と話していた。コロナ禍の国民同様、農業もまた守られてはいない。共済はあっても掛け金が払えず、やめていく農家は多かったという。そんな中でのこの被害だ。危機に備えようとせず、目先の利益に追い込むだけの日本と言うシステムがここでも破たんを見せている。
 早急に果樹農家の支援と、異常気象に対応する共済制度の仕組みの再構築を行わなければならない。


10日ほどの間を置いてようやく2羽のツガイとなった。その二週間に何があったのか。考えると面白い。
旅の途中まで一緒に来た。だけど連れ合いが我慢できない程にわずらわしくなり、とても一緒に巣作りする気持ちになれず、話し合いの結果いったん別々に生きて行こうとなったのだけれど、それにもまた別のわずらわしさがあり、半分人生を諦めてもどってきた・・・とか。あるいは同じ境遇の相手を見つけて一緒になったとか。いろいろあるだろうけど・・まずは良かった。

 さて、若葉が広がり、我が家のニワトリ達も毎日、外で遊ぶことが多くなった。ツバメのツガイはまだ卵を産んでいないが、我が家のニワトリたちは毎日おいしい玉子を産んでくれている。
 春もたけなわ。20日ごろから田植えの予定だ。





孫たちが苗代への水やりを手伝ったくれた。それが終わったところで、プラムの木に登ったので携帯カメラを向けたところ、二本の指でVサインのポーズをとった。
「そのポーズ、オバ〇さんに見えるから止めた方がいいよ」と言ったらやめてくれた。
子どもからけっこうな大人に至るまで、ポーズは二本の指でV。
良い、悪いの話じゃなく、それをやられるとみんなオバ〇さんに見えてしまう。俺の場合はだよ。
個性も何もあったもんじゃないね。




いよいよ農繁期だ。そんな中、俺も参加している置賜百姓交流会では、首都圏や関西の「貧困問題」に取り組む支援団体からの要請を受け、連携してコメや野菜を届ける取り組みを始めている。新潟や神奈川、千葉の農家たちも動き出している。わが家では3回に分けて180圓曚匹離灰瓩鯀った。焼け石に水かもしれない。でもやらないわけにはいかない。
 ジャーナリストの友人は、「社会の底が抜け、今まであった普通の暮らしと路上生活との境界が無くなったような感じ。誰もがちょっとしたきっかけで止めどなく下に落ちてしまうような」そんな危機感が広がっているという。
俺たちや、社会がためされている。どんな社会をつくってきたのか。これから先、どんな人の世を創っていくのか。政府に言いたいことは山ほどある。同時に、食料を届ける運動を広げていかなければと思っている。手を抜けない。




 我が家にツバメがやってきた。
だけど一つ気がかりなことがある。やって来たのは1羽だけ。
例年なら雌雄のツガイでやって来て、到着するが早いかすぐに巣作りを始めるのに、既に1週間は経つがそんな気配はない。そしてやっぱり1羽のままなのだ。
 旅の途中で何かあったのか。例えば夫婦喧嘩をして別々に生きることを決意したとか。それとも単純な先乗りなのか。はたまた、まだ独身でやって来て、これからゆっくりと相手を見つけようとのことなのか。
ツバメのこととはいえ、どこか気になり、毎日見ている。




雪解けとともに一気に農繁期が始まりました。
種もみの芽だし、育苗ハウスの組み立て、種まき・・と、身体がまだ出来上がっていないのに、農作業に翻弄されて毎日がヘロヘロ状態です。
夕方、かつて「肩で風切って歩いていた男」が、今やそよ風にあおられてフラフラと・・。一杯飲んでバタリ。こんな状態です。
先日は、海峡に隔てられた4000劼鯆兇┐董我が家にツバメがやってきました。
例年と変わらぬ訪れに、ありがたさを感じています。
さぁ、今年も始まりました。

「菅野くん、とても分かりやすかったし面白かった。一気に読んだよ。」
そう言ってくれたのは私の尊敬する友人の塩澤さん。
その本とは私が書いた『玉子と土といのちと』(創森社・1,500円+税)。
すでに、2010年に出版しています。
百姓暮らしの中から考えたまま、感じたままを書きました。
原題はこのブログの名前である「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」。

ニワトリの事、玉子のこと、いのちの事、それに私の百姓暮らしの事が中心です。
あれから随分経ちましたが、世の中は何も変わっていませんね。二ワトリの境遇も、いのちの危うさもなにもかも変化はありません。あまりにも無力です。
あえて恥を忍んで、自分の本をここにあげましたのは、読んでいただきたいからです。販売したいからではありません。
手に取っていただけましたら光栄です。




朝、布団の中で目が覚めた。
そして、今までの朝にはないある感覚を感じた。感じ取れた。
あっ、春だ、春が来たんだ!
そう思えたのは障子に映る朝日の強さからなのか。部屋の空気の柔らかさからなのか。それともまわりの木立から聞こえてくる小鳥たちのさえずりからなのか・・・。
何がどう変わったからという特定できるものは何もない。
でも確かに何かが違う。皮膚感覚で感ずる違いとしか言いようのない違い。そう思える、そんな朝。
3月2日の朝がまさにそうだった。
この日のあとも雪の降る日があったし、最高温度が零下という日もあった。
でも、実際、この日を境にして確かに気候が変わってきている。
それを感じた時の、肩の張り詰めた力がすっと抜けていくような・・そんな安堵感。
もう雪に悩まされずにすむ。
絶えず雪を意識し、よくも悪しくも雪を中心とした季節が終わるのだという解放感。
今年の春はまさに、この「朝の感覚」からやってきた。
これは雪国に棲む人に共通の感覚なのか、
あるいはまだどこかに野性を残している(と思われる)私固有のモノなのかはわからない。
 でもそんな風に春の訪れを感じ取れる感覚をうれしいと思う。

<長い文章だねぇ。読んでもあまり為にはならない、大したことのない一文ですから決して無理をする必要はありません。>

 わが家のすぐ後ろに連なる朝日連峰に春の兆しの雪崩が始まっている。田んぼや畑の雪解けももうすぐだ。
 さて田園は四季の変化に伴って色合いも、生み出す音も変わっていくが、今は白から土色を経て若葉色に向かう季節。色彩的には水墨画を見ているような落ち着きを感じる。
 俺は農作業のあい間、村や田んぼやニワトリたちが作り出す季節感ある風景や音を、暮らしの中に取入れ、その組み合わせを楽しんで来た。例えば緑の水田の中で聴く流れる水の音とオカリナのコラボレーション。あるいは水田を渡る風の波と、近所の農民が唄う民謡。村には芸達者な人達が多い。沈みゆく夕陽を肴に酒を酌み交わす田園の夏や秋のひと時も良い。他にもまだまだあるが、これから書くのもその一コマだ。
 ちょっと前の話になるが、きっかけは友人の大工に頼んで鶏舎を一棟建ててもらったこと。わが家では、ニワトリたちをローテーションに従って鶏舎の外の草地に放している。草地で遊ぶニワトリたちはただ眺めているだけで楽しいが、そんなニワトリたちが産んだ玉子なら食べたいと、声をかけてくれる人が年々増えていた。出来上がった鶏舎を眺めているうちに「落成を祝う会」をやろうということになった。まだ夏の暑さが残るさわやかな初秋のある日、一緒に和やかなひとときを過ごそうと、さっそく友人達に呼びかけた。
「来たる12日の日曜日、我が家の鶏舎の前にてささやかな野外酒宴をもちます。会費は千円ですが、一品持ち寄りできる方、またはお酒を持参される方はお金はいりません。一品とは言っても何でもいいんです。その辺の雑草をむしって来てさっと茹でたものとか・・・ほんとになんでもいいんですよ。我が家で準備できるものは俺が握ったおにぎりと、自慢のたまご焼き、それに少しの飲み物ぐらいですけど。だから・・・本当にお気楽においでください。」
 急な思いつきの、急な案内にもかかわらず20人ぐらいの人達がさまざまな手作りの食べ物を持って集まってくれた。
 野菜のおひたし、フキや竹の子の煮物、ワラビの醤油煮、野菜とキノコの辛味和え、餃子、玉コンニャク・・・鶏舎の前の樹の下にシートが敷かれ、手作りのご馳走が並べられた。それらをいただきながら、小さなパーティが始まった。どの料理もおいしい。俺が作ったものも好評だ。テーブルをかこんで、始めて会った人どうしが談笑している。
 9月の澄んだ青空に白い雲。緑いっぱいの樹の下の、木洩れ日がそそぎ、さわやかな風が頬をなでる。コッコッコッコッと草の上で遊ぶニワトリたちの穏やかな声を聞きながら、気持ちのいい時間が流れていく。前に広がる水田では稲刈り前の若い穂がさわやかな香りを放ちながら揺れている。
「孫にね、ニワトリを見せたくて連れてきました。さっきからずっとニワトリを見てます。近くにニワトリっていなくなったものねぇ」
「私はここのところ家の外には出られなかったんです。他人と会いたくなかった。でも、今日は来てよかった。」
「高校生の息子がね。学校をやめて農業したいというんです。ニワトリを飼ってみたいって。だから一緒に来ました。それもいいかなって。」
「全部の田んぼを無農薬でやってました。草とりが本当に大変でね。でも、もう歳だし、来年はそこまで無理するのはやめようかと話し合っているんですよ。」
 みんなが素直に自分を語っている。農民も、パート勤めのお母さんも、大工さんも、幼稚園の先生も、お坊さんも、学校の先生も・・・。いま、ここに居ることが本当にしあわせだと思えるような時間。やわらかな空気が静かに流れる田園のひと時。
だからどうしたのと聞かれると困るんだ。ただそれだけの事なのだから。でもね、それがとっても温かくてさ、ありがたくてよ。なんか生きててよかったなぁって思えるんだ。ただそれだけのことなんだけどね・・。
農業を生産物の取引だけで語ったのでは、その深さ、面白さ、豊かさが分からない。農民の暮らしもそうだ。所得の過多だけでは決して見えない世界がある。そしてね、その世界こそ農の魅力なんだよな。
  (大正大学出版会・月間「地域人」所収・拙文)