ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

土が恋しい(済み)05,4,21

ほら、私の右手と左手を見てごらん。右手には土、左手には砂がある。土と砂では違うよね。土はやわらかい。香りがある・・・。砂はジャリジャリして硬い。香りがない・・・。土と砂を分けているものはなんだろう?それはね、植物や動物達の遺体が含まれているかどうかなんだ。そう、土は今までこの地で生きていたもの達の全ての遺体と岩石の成分でできあがっている。

地元の小学4年生の子ども達を前にこんな調子で話し出した。もっと続けよう。


岩や岩くずに最初に棲みついた始めての植物は、コケのようなものかな。それらが朽ちて少しの土ができる。その何千、何万回の繰り返しの中からやがて草や木ができ、動物達が生まれ、それらがつぎつぎと遺体となり、土となってきたんだ。タヌキもいた。カモシカもいた。旅人も、いくさで倒れた武士もいたかもしれない。数十センチという土の層は、数万、数億という歳月をかけた、生きていたものたちの体積でもあるんだね。


畑に大根の種をまく。この大根の生長を支えるものは、かつてその場所で土となった全ての生き物たちだ。幾百万、幾千万の生き物達が作り出した力によって、大根は成長していく。大根のなかに、タヌキや旅人や武士など、かつて生きていたものたちが参加していくといってもいい。私達は大根を食べながら、同時に大根の中に活かされているおびただしい生命、あるいは生命のつながりをいただいているんだね。

空を飛ぶ小鳥も、森を駆けるウサギも、道端の草も、たくさんの生命の集まりだ。それは僕達自身にも言えることだよ。
やがて、いま生きているもの全てが朽ちて土となる。でもそれで終わりではない。その土からまた新しい生命がうまれてくる。
つまり、これから生まれてくるものたちは、僕たちを含む、全ての生命の集積として、生命を得て成長していくんだ。 このように、生命がかたちを変えながらめぐって行く所、生命の循環の場が土なんだ。


さあ、外にでてみよう。スズメが飛んでいるよ。草や木が茂っている。これらは太古の昔から続いている生命の集まったもの。それを見ている君も膨大な生命のあつまりだ。
土の上に、土とともに、土に感謝して生きる。僕はこんな気持ちを大切にしたいと思っているんだ。


だいたいこんなことを話して小学校をあとにした。でもね、最後まで話さなかったことがあるんだ。それはね、もう終わりかなと思ったとき、病院をこっそりと抜け出し、裏山めざして歩いて行こうと思っていることなんだ。行き交う人に「ワラビになるんだ。」「ブナに参加するから」と笑顔で説明しながらね。そうしなければ生命のめぐりの帳尻が合わないもんな。


相変わらず、あたり一面が雪の世界。ニワトリたちも僕も、もう2ヶ月以上土をふんでいない。土が恋しい。





 



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