ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
おもしろいねぇ。どうしてこうなのだろう。
遊び、愛情表現、ケンカ、散歩、虫を追いかける姿・・・ニワトリたちを見ているといつまでも飽きることがない。それに彼らの一つ一つの行動が人間社会に重ねることもできて、おもわず苦笑してしまうことが多いんだよなぁ。 例えば食事風景だけどね・・。ニワトリたちは三種類の食事をとっている。トーモロコシ、カキガラなどが入ったいつもの「定食」に、野菜くずや草の「サラダ」、それに「日替わりランチ」と呼んでいる学校給食の残りものだ。このランチ、当然のことながら種類が多く、ひじきの煮もの、煮魚、ポテトサラダ、かぼちゃの煮つけ、スパゲッティーなどさまざまだ。 ニワトリたちは、このランチがことのほか楽しみらしく、トラックに積んで近付いていくと、それを察して、近くにいる者達だけでなく、遠くで遊んでいた者達も「キャッ、キャッ、キャッ」と大きな歓声をあげて駆け寄ってくるほどだ。 これをタライに小分けして部屋ごとに与えるわけだけど、それぞれの鶏舎の戸を開け、彼らの中にドスンと置くと、間髪入れず、すさまじい勢いで飛びついてくる。面白いのはここからだ。 夢中でタライを突っつく群れの中から、なにかを口にくわえてサッと部屋の隅っこのほうに逃げ出すものが必ずいる。自分が見つけた「いいもの」を独りじめしようという魂胆のようだ。 「いるいる、こんな奴が、人間社会にも。」 ところが、これを横取りしようと追いかけていくものが、これまた必ず出てくる。 「うん、これもいるぞぉ。」 争奪戦の結果、たいていの場合、その「いいもの」は持ち出したニワトリの口には入らず、結局は追いかけていったニワトリか、さらにそのニワトリを追いかけた第三のニワトリに奪われてしまうのだ。 「これも同じだよなぁ。」 それでも最初のニワトリは、食事の間中、懲りずに同じことを繰り返しているからおもしろい。 実際のところタライの上には、同じものがたくさんあり、何も逃げ出さなければ食べられないものではないのに・・・。現にタライの前から動かずにもくもくと食べているニワトリもいるのだから。 「大局観が欠落しているというか、目先の欲に振り回されて、自分を見失っているというか・・・。結局ソンをするのはこういうものたちなんだよなぁ。」 口にくわえて逃げ出すもの、あわててそれを追いかけるもの、動かず、ただもくもくとたべているもの。どちらがいいというのではない。いろんなニワトリがいていいのだ。社会というものはそういうものだし、だからおもしろいともいえるのだから。 あっ、そうそう、ここから何か教訓を引き出してやろうという訳ではないんだよ。ただおもしろいと・・。それだけなんだけれどね。 ニワトリたちは今日もにぎやかにそれをやっているよ。 ...もっと詳しく |
「労働情報」誌の「時評・自評」欄に掲載した文章です。写真は鶏舎の修理をしている息子です。「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」はまだ書いていません。これからです。
我が家の農業経営は、水田2ヘクタールに畑が少々、それに自然養鶏900羽。山形県の朝日連峰の麓、純農村地帯の一隅で農業を営んでいる。80代の両親と50代の我が夫婦。そこに昨年4月、農業専門学校を終えた息子が帰ってきた。以来、今日まで、田んぼだ、畑だ、ニワトリだとよく働いている。 「あんなに働いてくれて悪いなぁ、もごさいなぁ(かわいそうだなぁの意)。家のためなら、うんといいけど・・。でも、よろこべないなぁ。気の毒なような、かわいそうなような・・。こんなことさせていていいものか?このまま歳とらせていいものかといつも思っているよ。」 息子が出かけた夜に、88歳の母親はため息まじりに話す。 「家の犠牲になっているのではあるまいか。本当に百姓すきならいいけど、でもそうでなければさせられない。もごさくてよぉ、あの子のこと・・・。」 現在の日本農民の平均年齢は60代後半。我が村の農家の平均年齢も67歳。昼間の田畑に若い人の姿は見当たらない。お米の価格は20年前と比べ、一俵(60kg)あたり1万円も安い。それに3割を超える減反があり、野菜は洪水のごとく海外から押し寄せ・・と、まぁ、こんな按配だ。若い人はとても就農できない。 百姓仲間の造語に、「とき(時)が来る。トキになる。」という言葉がある。時代は生命系の回復に向かい、農業の価値がみなおされようとしているとは言うのだが、その到来をまえに、われわれ百姓は「佐渡が島のトキ」になっちまうよ、という意味なのだけれど、実感だ。 日本に農業はいらないのかい?日本の穀物自給率はたったの27%。世界でも最低ラインに近い。「飢餓の国・北朝鮮」とはいうけれど、それだって穀物自給率は日本の倍の53%だ。日本の食糧事情はすでに破綻している。輸入によって事実が隠されているにすぎない。 「もうすこし、あの子も世の中見えるようになれば、まだ歳若いから、大丈夫だから・・、何して生きていくか考えんなねごで。」 88年間、いろんなものを見てきた母が、農業では幸せにはなれない、離れたらいいと話す言葉には説得力がある。でも、息子は充分そのことを知った上で、農業をやろうと帰ってきた。その気持ちが続く限り、それを支えてあげなければと思う。 若い百姓が一人生れたが、「トキ」に向かう流れは変わらない。 ...もっと詳しく |
ようやく機械で植える田植えは終わった。これからは田んぼの四隅が植えられていないので、手作業での田植えとなる。13枚の田んぼがあるからあわせて52箇所。21箇所はおわった。今日中には終わるだろう。もう少しだ。
下の文章は昨年のもの。ほとんど状況は変わらない。それぞれの年齢が一歳ずつ上がっただけだ。本文を読んでもらえれば分かるけど、息子が農業に就いたので、若い方から数えて4番目になったことが唯一の変化かな。 田植えの季節が終わった。今年も田んぼの主役は年寄り達だった。 今年75才になる我が集落の栄さん。彼は5年前の70才の時、自分の田んぼ1ヘクタールの他に、近所の農家から60アールを借り受けるほど米作りに情熱を燃やしていた。でも、この春、借りた田んぼをもとの農家に返したという。 どんなにかがっかりしているだろうと、田んぼの水加減を見ての帰り、栄さんの家によってみたら、想像していたよりずっと元気だった。 「足腰が痛くてよぉ。これがなければまだまだおもしろくやれるんだがなぁ・・」 「自分の田んぼはつくれるのかい?」 「あたりまえだぁ、だまってあと5年はできるぞ。生きているうちは現役よ。」 意欲は衰えていなかった。やっぱりこの世代の人達は今の若い衆とモノが違う. 集落44戸のうち20戸が生産農家で、主な働き手の平均年齢は65歳と高齢だ。 私が20代中ごろで農業に就いたときは、若い方から数えて三番目だった。若いということで寄り合いの時などは年輩者から「机をだして。」「灰皿ないよ。」と指示され雑用係を務めていた。そのときから29年たった。いまも私は若い方から数えて三番目だ。50代中ごろの私は、60代、70代の先輩のもと、同じように皿だ、箸だと率先して動かなければならない。おそらくは10年後も、そのまま歳をとった70代、80代の先輩達に指示されて、箸だ、皿だと・・・。あまり考えたくはないが・・・。 「俺たちはよう、若い者たちをいたわっているんだよ。」 そう話すのは74才の優さんだ。毎朝4時半には目が覚めるけど、家の若い衆を起こしてはならんと、しばらくじっとしていて、田んぼにいくのは5時半をまわってからだという。それもそっと。そばにいた優さんの奥さんが笑いながらつけたした。 「私も、朝ごはんを出したり、掃除したりと、嫁を起こさないように注意しながらやっているよ。」 外に出てからもな・・と優さんはつけ加える。 「勤めに出ている村の若い衆を起こさないように、遠い方の田んぼに行って草刈り機械のエンジンをかけるんだ。」 村では年寄りはいたわられるものという、よそで普通に聞く話は通用しない。我が集落の水田は、栄さんや優さんが現役でいる限りは大丈夫だ。 だが、もう一つの現実もある。栄さんは今年、畔草に除草剤をまいた。除草剤をまけば、畔の土がむき出しになり、崩れやすくなるのだが、足腰の痛みにはかなわないということだろう。 緑が日々濃さを増していく6月の水田風景。そのところどころに、除草剤による赤茶けた畔がめだつようになってきた。これもまた、高齢化する農村と農民の現実である。 10年後、どういうたんぼの光景が広がっているのだろうか。 ...もっと詳しく |
田植えが始まり、水田は久しぶりに活気づいている。 ここ数年、田植えと同時に化学肥料を根元に落とす便利な機械が広まり、田植えまでの作業がいっそう短くなった。田んぼに堆肥を撒いている私の作業が、どうしても遅れてしまう。 「まだかぁ、いつごろ耕運できる?」 隣の田んぼの持ち主が、自分の田んぼに水を引き入れれば私の田にも浸透し、耕運しにくくなることを気づかい、声をかけてくれた。 「申し訳ないなぁ。もう少しまってけろ。」 せっかくの春なのだから、畦の野花をながめ、残雪と新緑の朝日連峰の風景を楽しみながら、のんびりと作業をすすめたいのだが、周囲のペースがそれを許さない。腰の痛みに耐えながら堆肥を撒き続ける。実際のところ、この作業が終われば、米作り作業の半分がかたづいたような気分になる。つらい仕事だ。 それでもなお、私が堆肥にこだわるのは、私たちは「土を食べている」と思うからだ。土など食べたことないという人もいるだろうが、みんな食べている。 昨年、ある地域の水田で収穫された米に、重金属の一種であるカドミウムが含まれていると新聞で報じられたことがあった。米がカドミウムをつくったのだろうか?そんなことあるわけがない。植えつけられた土にカドミウムが含まれていて、稲がそれを吸収してお米にたくわえたということだ。農民にはなんの罪もなく、つらいだけの話だが・・・。 販売されているキュウリの中から、40年ほど前に使用禁止となり、とっくに使われていない農薬の成分が検出されて問題になったこともあった。土に残っていた。 米に限らず、すべての作物は、土のなかのいいものも悪いものも区別せずに吸収し、その茎、葉、実にたくわえる。だから私たちは作物を食べながら、その作物を通して、土を食べているというわけだ。土の汚染からくる作物汚染は、洗っても皮をむいてもどうにもならない。それこそ身ぐるみなのだから。 スーパーに行けば、海の向こうの農作物がたくさん並んでいる。私たちはそれらを食べながら、中国の、アメリカの、あるいは他のたくさんの国々の土を食べている。はたしてその土は安全か?食べるに足る土なのか?はなはだこころもとない。 “食は土からはじめよう”、“守ろう、育てよう、食べられる土”である。 堆肥散布は土を守る基本だ。はずせない。 田植え作業までもうすぐだ。たんぼに漂うほのかな堆肥の臭いがうれしい。 ...もっと詳しく |
この文章は昨年、「虹色の里から」に書いたものです。「虹色の里から」には少しカタイ文章を、「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」にはちょっとクダケタ文章を書いています。
田植えの季節だ。 我が家ではこの4月から、息子が一緒に農業をすることになった。 人生どの道に進もうとも「農と食」を学ぶことは人が生きていくうえでの基本を学ぶこと。こんなことを話し合って、高校卒業後、農業の専門学校に進んだ。卒業してからはどこに就職し、どこで暮らそうとお前の自由だよ、自由に選べばいいと伝えていた。それが我が家で就農するという。うれしいような、切ないような・・。私の身体は楽にはなったが、心中はいささか複雑だ。 農業しようかなと最初に息子が話したとき、真っ先に反対したのはばあさんだった。 「なにもお前が百姓することないよ。苦労するのは目に見えている。いい野菜が欲しいならサラリーマンにでもなって、きちんと収入を確保した上で、農民に向かって『安全、安心の農産物を作ってください。私達も応援しています』と言っているのが一番いいよ。」 うまいことを言う。そばで聞いていた私は思わず笑ってしまったが、息子は方針を変えなかった。 「オレが結婚したならば、相手のひとを農家の嫁にはさせないよ。」息子がこう切り出したのは先日のことだ。「嫁は掃除、洗濯、食事など家事全般をこなしながら自分の仕事を続けなければならないべぇ。疲れていても、なかなかお義母さんやってよとはいえない。」 母親を通して、女性が別の仕事を持ちながら嫁をやっていくことのしんどさを見て来た息子の一つの結論らしい。 だから仕事をもっている相手と家事を分担しながら町のアパートで暮らし、自分はそこから田んぼや鶏舎に通いたいと言う。それを女房に話したら、息子がそういうのなら賛成するよ、それに・・と付け加えた。 「あなたも結婚する前は私を農家の嫁にはしない、家事も育児も分担しようといっていたのよ。けど、理屈だけで実際にはできなかった。息子はアパートに暮らすことで親父のできなかったことをやってみようというのだからおもしろいじゃないの。」 確かに大切なのは家族の形ではなく、それぞれの人生をそれぞれが納得して過ごしていくことだ。一般論としてなら分かる。でも、だからといって通いで百姓ができるのか。家畜と一緒に、土と一緒に暮らしながらというのが我々農家の基本だと思うのだが。 息子は村の消防団の一員となった。夕方、農作業を早めに切り上げ、団のはっぴを着て勇んで出て行った。やがてまちで暮らすとしても、村を守る構成員としてがんばっていくということだろう。これも彼の選択だ。 夫婦一緒に身体を使って農業をやってきた父母の世代。共稼ぎの我々の世代。そして息子達の世代。家も、地域社会も、農業も少しずつ変化していっている。 我が家の、息子を含めたあれやこれやの物語がこれから始まっていく。 ...もっと詳しく |
「管理職はやめたよ。手当てが少しばかり増えたって役職の仕事は俺に似合わないよ。」鼻から荒い息を出しながらまくしたてるのは友人の惣さんだ。 赤いバイクに乗って働く彼が、ヒラから役職に変わったと聞いたのは一昨年ことだった。仲間達は小さな酒宴を開いてそれを祝ったが、それから一年半後、惣さんは自ら申し出てもとのヒラにもどった。仲間達は多少とまどいながらも、今度は激励会をひらき、彼を肴に愉快な酒を飲んだという。 人生はつまるところ、自分にあった生き方、暮らし方ができるというのが一番だ。いうまでもないことだが、それを決めるのは自分自身であっって、世間の価値観でも、会社の都合でもない。 ヒラに戻った彼は、元気にバイクのハンドルを握っているのだが、その顛末を聞きながら、私は例によってわが家の800羽のニワトリ達にまつわる、似たような話しを思い浮かべていた。 惣さんとニワトリをごちゃまぜにするのは不謹慎かもしれないが、まぁ、彼なら笑って許してくれるだろう。 わが家のニワトリ達にとって、鶏舎の中が過ごしやすいかどうかの問題は大きい。彼らが休むときは、たいてい止まり木の上にあがる。スズメやカラスたちが木々の上で休むのと一緒だ。私は全ての止まり木を、1メートルぐらいの高さにそろえて作っていた。みんな同じく、一様にここで休んでくれと。 たいていのニワトリにとってはそれでいいのだが、中には群れから離れ、屋根裏に通してある高い横木の上に、自分だけの世界を見つけて休むトリ達も何羽かいた。「へぇー、こんな所にも止まるのかい?」 ある時、彼らは多様な止まり木を求めているのかもしれないと気がついた。 これが自然界の鳥ならば、いくらでも自由に好みの場所を選ぶことができるのだが、わが家のニワトリ達の選択肢はとても少ない。高さ1メートルの所か、屋根裏の横木かだけなのだ。この選択はいかにも貧しい。 さっそく作業にとりかかった。下は地面から50センチぐらい、上は屋根裏の高さまで、傾斜をつけ、たくさんの止まり木を固定した。ニワトリ達は始めのうちこそとまどっていたが、少しづつ上にあがるようになり、やがて4〜5日後には下から上まで、それぞれの好みの場所で休むようになっていった。 「うん、世の中、こうでなくちゃいけない。」 人間社会では横並び以外の人、あるいはちょっと目立った人が排除されがちなご時世。ニワトリ達を見ながら、あらためて生き方、暮らし方は人それぞれ多様でいいんだと思った。 そうだよな惣さん。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 写真説明;止まり木や屋根裏に渡してある横木で休むニワトリたちを撮ろうとしたが、朝の時間が遅くて、止まり木にはほとんどいなかった。撮れたら入れ替えよう。 この文章は「虹色の里から」に掲載された文章です。 「ぼくのニワトリは空を飛ぶー再開2回目」は毎月1日と15日をメドに書こうと思っています。 |
「虹色の里から」では、少しずつ、バックナンバーを更新しています。
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」は、だいたい10日から2週間に一回のペースで更新していきます。下の話は「番外編」です。 朝、まだ眼が覚めぬが眠っているともいえない「まどろみ」の時間に、夢とうつつが重なり合って、思わぬ方向に発想がふくらんでいくことがある。 ある日、まだフトンの中でトロトロしている時、「20才の頃の私」と「桃太郎」と、それに「一寸ぼうし」がつながった。 以下、その話を紹介するが、多少の飛躍や、突然の転換には眼をつぶっていただきたい。なにしろ、まどろみの世界でのことなのだから。 20才の私はどういうわけか生き方を求めていた。自分らしい生き方をさがしていた。 人生の岐路に立った時は、たいていの場合、自分がそれまでにたどってきた道を振り返り、どこかにヒントがないかを捜そうとする。当時の私に最も大きな影響を与えていたのは高校時代の三年間のはずだった。しかし、思い出すのは三角関数や英単語だけとはいわないが、頭の中をさぐっても、出てくるのは生き方とはあまり関係のない、あれやこれやの雑多な(と思える)知識がほとんどだった。 そこでようやく私は、「いかに生きるか」を全く考えることなく20才になってきたという、それまでの人生の浅薄さに気付いた。 やがて、どうも、その浅薄さは私だけのものではなく、おそらく程度の差こそあれ、同時代人にかなり共通しているもの、あるいは大部分の日本人にさえ言えることなのではないかと思うに至った。 何故かといえば、その根っこは、だれもが幼児の頃からくり返しくり返し聞かされてきた「桃太郎」と「一寸ぼうし」の中にあるのではないかと思ったからだ。 まずは「桃太郎」。最大の問題は話の終わりかたにある。荷車いっぱいの戦利品、お宝を満載して桃太郎は村に帰ってくる。桃太郎は「お金持ち」となった。そして・・。話はそれで終わりだ。手に入れたお金で川に橋を架けたり、学校を造ったり・・・そんな話はまったくない。 「一寸ぼうし」。彼も鬼退治をして、助けたお姫様と結婚し、やがて「エライお役人様」となった。そして・・、この話もそれから先がない。話はそれで終わっている。 手に入れたお金を使って何をしたのか、あるいは「エライお役人様」になって何をしたのかは全く語られてない。つまり、何かお金を得ること、あるいはエライお役人になることが目的であるかのように描かれているのだ。 こんなお話を、小さい時から、くり返し聞かされてきた結果、「お金」や「出世」が人生の目的であり、その成否もそこにある、と考えるようになってしまったとしてもおかしくはあるまい。 私の感じた「浅薄さ」と桃太郎たちをつなぐものは「生き方」、哲学の不在である。 まどろみながら、論理の飛躍を楽しみつつたどりついた結論は次のようなことだった。 私達は、「桃太郎」と「一寸ぼうし」に変わる「新しい童話」を子どもたちに語り聞かせなければならない。それは俺たち自身の物語だ。あっちでぶつかり、こっちで泣いた、けっしてカッコイイ話じゃないけれど、自分がたどってきた中から得た「生き方」を子どもたちに。 これが、まどろみの中の結論だった。どうだろうか、ご同輩。 ...もっと詳しく |
春になった。
春になると米作農家は種モミの準備にはいる。まず始めは塩水に浸して、沈むモミと浮き上がるモミを選別する「塩水選」。私たちの地方ではこの作業を「しおどり」と呼んでいる。実の充実した種を選ぶ大切な作業だ。 その後引き続いて、種モミの消毒をおこなう。種モミに付着しているいもち病、バカ苗病などの、もろもろの病原体を取り除くためだ。私はこれを「温湯法」でおこなっている。 「温湯法」とは60度のお湯に種モミを5分間浸け込み、その後冷水で冷やすという方法だ。それまでの私は農薬を使ってこの消毒をおこなっていた。でも、ある出来事をきっかけに今の方法に変えた。15年ほど前のことだ。 「チョット来てみてくれ。大変なことになった。池の鯉がみんな死んでしまったよ。」緊張した表情で訪ねてきたのは近所で同じ米づくりをしている優さんだった。急いで行ってみると池の鯉がすべて白い腹を上にして浮いていた。その数、およそ60匹。上流から種モミ消毒の廃液が流されてきたらしい。川の流れは細く、水に薄められることなく池にはいってきたのだろうと優さんはいっていた。 種モミは農薬のはいった水に浸けられ、殺菌処理されるが、問題はその後の廃液の処理だ。河川に流せば水生生物に被害をあたえる。下流では飲み水として活用する地域もある。流せない。 農協は、河川に流さず、畑に穴を掘り、そこに捨てるようにと呼びかけていた。でも、畑に捨てたとしても土が汚染するだろうし、地下水だって汚れないともかぎらない。どうしようか。種モミの殺菌効果は完璧だが、毎年おとずれる廃液処理に頭を悩ましていた。 そんな中でであったのが「温湯法」である。これを教えてくれたのは、高畠町で有機農業に取り組む友人。この方法はきわめて簡単で、しかも、単なるお湯なのだから環境は汚さないし、薬代もいらない。モミの匂いを気にしなければ使用後、お風呂にだってなってしまう。なんともいいことずくめの方法なのだ。 へぇー、こんな方法があったんだぁ。始めて知ったときは驚いた。環境にいいし、第一お金がかからない。 幾年か経験を重ねた後、近所の農家に進めてまわったが、我が集落で同調する農家はごく少数。15年間増えてはいない。どうも私には技術的な信用がないらしいとあきらめていたのだが、この間、農業改良普及センターにいったら、うれしいニュースにであえた。 「庄内地方に「温湯法」が増加。今年は1,500〜2,000haの見込み」。 いらっしゃったのですねぇ。ねばり強く普及に取り組んでいた方々が。 単純に計算すれば、県内でおよそ400万リットルの廃液ができる見込みだ。 やっぱり俺もあきらめずにPRしなくちゃ。 |
下の文章は「虹色の里から」(朝日新聞山形版)に掲載されたものです。2年前ですがある全国紙の山形版に、レインボープランはうまくいっていないという特集が組まれたことがありました。それに対する反論を朝日新聞紙上に書こうとしたのですが、最初にだした原稿ではあまりにもリアルすぎるという担当記者からの指摘をうけ、少しオブラートに包んで書いたのがこの文章です。
レインボープランがスタートして7年目に入っている。ありがたい激励がほとんどだが、まれに参加農家が減っていることを指摘する声や、生ごみ堆肥の有効性について疑問視する声もないわけではない。 レインボープランのまちづくりは、白紙の状態に絵を描くのと違って、人びとが暮らしているただ中に、市民主体で、循環のシステムを築いていこうとする事業だ。当然すんなりとはいかない。 以前も今も、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりの連続で、いつも課題は山積だ。利と理が衝突することもある。問題がでればみんなで時間をかけ、ゆっくりと考えていけばいい。それらは未来にむかっての必要なプロセスであり、肝心なのはいつもこれからという姿勢を保ち続けることだと思っている。参加農家の問題もそういうこととして取り組んでいる。 でも、生ごみの堆肥化自体に問題があるかのような見方は明らかに認識不足だ。よく指摘される問題は効果と塩分の二つ。 まず効果についてだが、堆肥には「作物の肥料として」と、「土づくりとして」の大きく二つの用途がある。窒素成分の低い生ごみ堆肥は土づくりに最適だが、肥料としてなら豚や牛の堆肥の2倍以上は必要だ。それに比べて畜産堆肥は窒素が多く、作物への肥料効果は高いが、土づくりとして使う場合は藁や草、落ち葉などを大量に混ぜ、窒素分を薄めて使うことが求められる。 ちろん生ごみ堆肥にも肥料効果はある。森の木々はいってみたら「生ごみ」をエネルギーにして成長しているのだから。要はそれぞれの堆肥の特性をおさえて上手に使うことが基本だ。このことを取り違えた議論が多い。 塩分の問題はよくいわれることだが、その含有量は酪農堆肥とさほどかわらず、露地での使用にはなんの問題もない。雨が降らないハウスでの使用にあたっては一年ぐらい外に晒してからというのは、畜産堆肥と同じだ。 そもそも私たちが毎日の食事で使っている程度の塩分は土にとって大きな問題ではない。自動車もさびつくほどの潮風があたる海岸端でさえ、田や畑を耕しながら人びとの暮らしがつづいている。潮風によって田畑の土が壊れたと言う話はきかない。 東京農工大の瀬戸教授は、生ごみ堆肥に含まれている塩分を30年分投入した野菜の成育調査において、発芽、成育になんの問題も無かったという研究成果を発表した。教授は生ごみを堆肥にするための疎外要因はなにもないと結論づけている。 生ごみを燃やせば猛毒のダイオキシンが発生する。土から生まれたものを土にもどすことが循環型社会の基本である。そうはいっても人間社会は一筋縄ではいかない。当然のことを当然の状態にもどすことにおいてすら、さまざまなためらいがあるということか。 |
それぞれの地域にはその地固有の風土があり、暮らしがあり、それに見合った食材と食べ方がある。それを「郷土食」というのだそうだ。その郷土食は近年、ファスト・フードやたくさんの冷凍食品などに押され影が薄くなっていた。でも最近その存在がみなおされてきたという。
「なんといっても健康が第一だよ。だから郷土食。」と若い友人はいう。 私はその郷土食で育てられてきた。思い出すことができる夏の郷土食といえばナスの漬物、蒸したナス、ナスの煮物、炒めもの、キュウリの漬物や煮物など、買ってきたものはほとんどない。旬の野菜というと聞こえはいいが自分の家の畑で採れたものばかり。ほとんど毎日が同じもののくり返しだった。 当時、郷土食という気取った言い方はなかった。あったとしてもそれは貧しさの別の表現だったと思う。今でもわが家の食事はそのころとあまり代わってはいないけれど。そんな身からすれば若い友人の言葉にいささか思いは複雑だ。 ふ〜ん、健康にいいってかぁ。そりゃそうだろう。でも大丈夫かい、質素だよ、と人ごとながら心配になる。 そんな折り、長井市の西根地区公民館から郷土食の調理本である「里のめぐみ」が発行された。作成したのは地区の60代、70代の四人の女性達。夏の郷土料理を食べながら、冊子の完成を祝いたいという案内をいただき参加した。出された献立は、お赤飯、くじら汁、だし、みずのおひたし、つけものなど。 「生まれて始めて取り組む、慣れない作業でした。郷土の素朴な料理や味を若い人達に伝えたい」とご婦人方の弁。 「残しておきたい郷土の料理」という副題のついた冊子を手にとり、めくってみる。「ふきのとう味噌」から始まるおよそ40品目。酢の物、あえ物、煮物、佃煮、炒り物、からめ物・・・そこには春、夏、秋、冬と季節ごとに分けられた様々な料理が丁寧な調理法と解説つきで書かれていた。 驚いた。質素だなんてとんでもない。限られた食材に加えられた多様な調理、工夫のかずかず。たしかにわが家の夏の郷土食といえば、ナスずくしだったが、一年を通してみればやっぱりいろんな物をたべていた。 ところで、郷土食というのはそれこそ何百年もの間、親から子、姑から嫁へと伝えられてきたものだった。しかしいま、郷土料理の本を都会の人達へではなく、おなじ郷土で暮らす人達にむかって発行しようとするのは、その伝達が立ち行かなくなっている現実があるからだろう。 この本の発行によって、若い人たちの中にも作ってみようという人が増えるかもしれない。そうあってほしいと思う。地元の風土に根ざした食の技(わざ)。このまま忘れられてしまうのはいかにもおしい。 冊子の問い合わせ;西根地区公民館(0238−84−6326) |
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一方、我が家のニワトリ達には太った奴はいない。みんなスラッとしたいい格好をしている。それは育て方に由来している。
大切なのは運動と食事だ。放し飼いなので、運動量は充分だ。問題は食事で、意外な印象を受けるかもしれないが、ニワトリたちに与えるエサは粗飼料だ。粗(末な)飼料(エサ)といえば聞こえが悪いけれど、満腹にはなるが必要以上の栄養をとらないように考えられているエサだ。例えばエサの中に約10%のノコクズを入れている。お腹がいっぱいにはなるが栄養はない。
他方、ゲージ(カゴ)に入れられている企業養鶏ではニワトリ達に濃厚飼料が与えられている。最も効率よく卵を産むように考えられたエサだ。文字通り、濃厚な高栄養、高カロリー。その結果、どんどん身体が大きくなり、性成熟が進み、生れてから150日ぐらいで5割産卵となる。産卵率は80%を越えるが、たった一年で身体はぼろぼろになってしまい、淘汰される。
粗飼料を与える我が家のニワトリは、運動しながらゆっくりと身体を作っていく。性成熟は遅く、5割産卵は180日以降になる。人間で言えば20歳を過ぎて、身体をしっかりと作ってから玉子を産むようにということだ。それから2年。平均産卵率は60%に届かないが、クスリに頼らずに、いつまでも元気でおいしい玉子を産み続けてくれる。
これは野菜や稲などの作物にもいえて、栄養たっぷりに育てられたものは、身体はでかいが病気に弱い。生きていくためにはクスリの助けが必要だ。見かけはともかく、中味は一人前の健康な作物とはいえない。
ぼくは191cm、105kg。大きすぎだ。ということは・・・一人前の健康な人間ではないということか。そういえば、性成熟も早かったような気もするし・・・。
やっぱりご飯を減らそう。そう思い、食事を途中で止めたら、88歳の母が声をかけてきた。
「なんだお前。ダイエットで痩せようとする百姓なんかいるもんか。たくさん喰え。そして思いっきり働け。百姓は働いてやせるもんだ。」
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・・・・・・・・・・・だとさ。
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