ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

8/20〜9/1の期間、パレスチナに行ってきた。その小さな町に資源循環型社会の地域モデルを創ろうという企画があり、山形県長井市で実際にその経験を持つ私に民際支援を行っている日本のNGOであるPARCICより声がかかった。以下はその2報

新潟から仁川空港(韓国)が2時間、そこからテルアビブ空港(イスラエル)までが13.5時間。厳しい検閲で知られるイスラエルに果たして入国できるかと心配していたけれど、スムーズに手続きが済んで空港の外に。そこから1時間、エルサレムのホテルに到着し、PARCICの現地日本人スタッフとの初顔合わせ。20代の女性だった。へぇ〜っこの「前線」にこの若さで・・。ちょっとびっくりした。
 休息日を挟んでラマラ(パレスチナ・ヨルダン川西岸の中核都市)に向かう。しばらく走ったら高いコンクリートの壁が顔をだした。分離壁だ。

イスラエルが築いたこの壁によってパレスチナ領への侵食が固定化されていく。やがて機関銃を持つイスラエルの兵士たちがいる検問所を通過。彼らにカメラを向けることはできない。

 ラマラは車と人の往来がにぎやかな活気ある都市だった。
「治安はおおむね安定しており、日本人が身の危険を感じることはほぼない。都市の発展ぶりと見かけ上の『平和』も、イスラエル占領下にあるパレスチナの現実といえる。」とはアラビア語通訳を引き受けてくれた○○さんの言葉。
 パレスチナに行ってきました。
エルサレムから車で2時間ほど走ったパレスチナのジャマインという人口6,000人ほどの小さな町に、有機物の堆肥化を中心とする小さな循環型社会の地域モデルを創ろうという事業への協力要請を受け、8/20から10日間ほど訪れてきました。

 テルアビブ空港から目的の村まで、日本とは全く違う風景が続きます。山も野も自然の緑が全くと言っていいほどない世界。道の雑草すらいとおしくなるほどの不毛の大地。ジャマインの村の住民たちはその土とはとても言えない「大地」にわずかな自給農地を求め、種をまいていました。

 貧相な野菜たち。堆肥が必要です。食するものの健康を守るにはそれしかありません。日本のNGOであるPARCICはパレスチナのR・w・D、S(農村女性のための開発協会)と協力しながら、有機物の堆肥化事業を進めようとし、私への要請となったのでした。

 イスラエルとの緊張の中で、村の女性たちも子ども達も地域を良くしようと一生懸命でしたが、それ以上にPARCICの若い日本人スタッフ(20代の女性たち)の、住民たちに寄り添おう、少しでも役にたとうとする誠実な姿勢に心を打たれてきました。

国境を越えて草の根支援活動を進めているパルシック(parcic)
というNGOがあります。
このたび地球環境基金から資金を得て、パレスチナに資源循環型社会に向けた小さな地域モデルを作ろうという企画を立て、レインボープランという有機物の循環を経験した私に、現地で助言するよう依頼がありました。
いろいろ考えましたが、心強い友人の同行を得て、8/20〜8/31の10日間ですが、行くことにいたしました。

10日間の不在により、ご迷惑をおかけすることもあろうかと思いますが、盲腸ででも入院したと思っていただき、笑って受け止めていただければありがたいです。

帰国後のお土産話に期待してください。

                         菅野芳秀

どうでもいい話なんだけど。
この暑い最中に話題にしなければならないことでもないんだけど・・・な。
聞くたびにガクッときて大いにリズムが壊されてしまうことがある。それは言葉と話し方に係ることだ。三つ。以前にも書いた話だけど一向に衰える気配がないからまたあげる

一つ目は、「ハーイ」ということ。電話の終わりのところで「ハーイ」。ひどい場合はその「ハーイ」を三つぐらい重ねる人もいる。軽い話の後ならばそれも良いかもしれないが、大切な話や深刻な話の後にこれをやられると、今までの会話はなんだったんだという気分になってしまう。「あんたとの電話はこれで終わり。ハイまたね。」ということか。電話にしたって終った後の余韻というものがあるだろうが。これでは台無しだ。一目置いている人からこれをやられると、エッと思ってしまうよ。

二つ目は「中上げ」。話している途中の小さな区切りともつかないところでクイックイッと話の語調を上げる、そう、例の話し方。出てきたのはずいぶん前だが、やがてなくなるだろうと思って我慢してきたけどもなかなか消えない。なんなんだよ、あの話し方は。聞いているこちらのリズムがかき乱されることおびただしい。上げられる度に思考が停止してしまう。決して話し手のプラスにはなっていないはずなのにそのことがわからないのかな。バカでないべか・・。

三つ目は「〜ございます。」という話し方。こちら(山形県)では公務員からJA職員まで良くやる話し方だ。「〜してございます。」、「〜資料が入ってございます。」、「取り組んでございます。」・・・。決してへりくだっているのではないことは態度でわかる。言葉というか、語尾だけがバカ丁寧なのだ。「〜います。」でなぜ悪い。日常的な態度が尊大である分だけ、このギャップが気持ち悪い。

やめてほしいねぇ。バカとは言わないが、少なくても利口そうには見えないよ。俺だけだべか、こんなことを思うのは・・・。
7月22日が土用の丑の日。
世間の人はそんなにウナギをたべているのだろうか。
たしかに世界のウナギの70%を日本人が消費しているらしいが
土用だからと言ってオレは食べないなぁ。
村の人たちの中でもウナギを食べてきたなんて話、聞いたことがないよ。
ま、あまり話題にするようなことではないけれど。
ウナギを食べても、それらはほとんどが海外からの輸入物。
それで満足しているせいか、古来生息してきた日本のウナギが絶滅危惧種になりつつあることにはあまり関心がない。
日本の食料はほとんど海外からの輸入物(自給率39%)。
それで満足しているせいか、日本の農家が絶滅危惧種になりつつあることにあまり関心がないのと共通する。
おもしろい日本人。
おもしろく、本質迫る文章です。
伊丹万作さんは、伊丹十三監督のお父上ですね。
長い文章ですが一読の価値は十分にあります。


伊丹万作
戦争責任者の問題
最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじっているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになった。
そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとって、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知っている範囲ではおれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。
ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。
多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はっきりしていると思っているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。
たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思っているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。
上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまっている。すると、最後にはたった一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かったにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに画然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこっけいなことにしてしまったのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だったのである。
私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶって出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であったことを私は忘れない。
もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。
そしてたまたま服装をその本来の意味に扱っている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによって、自分の立場の保鞏(ほきょう)につとめていたのであろう。
少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇ってくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であったということはいったい何を意味するのであろうか。
いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまったためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかった事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかったと信じているのではないかと思う。
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかったか」と。たとえ、はっきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがったことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもったらどういう結果になるかを考えてみたい。
もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによってだまされたものの責任が解消するであろうか。
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばっていいこととは、されていないのである。
また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかった事実とまったくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかったならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であって、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
山形県一人区の無所属、野党統一候補、舟山やすえさんが自民候補を相手に34万対22万で勝ちました。
反安保法、反TPP、反アベノミクス、そして地域からの経済の転換と日本再生。これらを正面からかざしての選挙戦。
山形県民の良識が問われ、同時に日本の未来がかかった選挙でした。 圧勝といっていいでしょう。
一夜明けて早朝、仲間たちとお礼の辻立ちを行ってきました。山形県民であることに誇りを感じます。
 
 昨年の夏。暑い京都の町を歩いていた時のこと。ガシガシガシ・・、これは何の鳴き声だ?えっ、セミ?これがセミか!まったく風情がないではないか。ただうるさいだけだ。ガシガシガシ・・それにまわりと協調せずにあたりを圧倒しようとする、なんというか・・京都に似つかわしい下品なセミだ。
その点、山形のセミはどこか控え目で、哀愁感さえ感じてしまう。セミの鳴き声にまで山形の風土の優しさ、上品さが生きているということか。
セミにまで・・もちろん、人間は言うに及ばず・・とう言葉が抜けていましたね。
 京都というのは常に日本史の中心で、東北、羽前(山形県)などというのは京都に言わせれば蝦蟇(がま)の一字をもって「蝦夷(えぞ)」と蔑んできたように、人間の住むところとは考えていなかった。歴代の朝廷が京都から送ったのは征「夷」大将軍が率いる軍隊。東北は攻めの対象、征服の対象でしかなかったということだ。それにもかかわらず一度たりとも東北、山形は、京都に攻め入ったなどということはなく、幕末の 会津藩のように、逆に京都を守ってやって悪者にされてしまうという貧乏くじばかり引いて来た。
ガシガシとただうるさいだけのセミの中にも、ある種の傲慢さを感じ、さらに不愉快になってしまうのは東北、山形県の中でも性格がまっすぐな俺だけかな。 
http://www.christiantoday.co.jp/…/shukyosha-shinjya-zenkoku…

このように呼びかける宗教者がいる。
「日本会議」の構成団体なっている宗教者(団体)もいる。
決して無関心であってはならない。いま、だれもが当事者だ。未来の日本に責任を負わなければならない。
https://www.youtube.com/watch?v=Aw21hsX8Sz0&feature=share

「バー二―・サンダース議員が湾岸戦争に反対して
米国議会で行った1991年当時の演説の画像」

そのあとに続く演説もすばらしい.
https://www.youtube.com/watch?v=a_z7PnaYjNM

サンダース候補の演説動画です。
もし彼が当選したならばアメリカは大きく変わるだろう。
サンダースさんを指示する人々がかくも大勢いるというアメリカの現実。
他の演説もお聞きいただきたい。

(上記をコピーしてヤフーかグーグルに張り付けてみてください。)
 
 緑がよみがえりニワトリたちが外で戯れ・・
ようやく気持ちのいい季節が戻ってきました。外に出たニワトリたちもうれしそうに日向ぼっこをし、草を食んでいます。
 この光景はいい。流れる時間がゆっくりしていて、気持ちが穏やかになっていくのが分かります。ときどき近くの草場に腰掛け、ニワトリたちを眺めています。数羽のニワトリたちが私のまわりに寄ってきて、私の靴をツンツンと突っついたりします。裏山にそびえる朝日連峰の山々の緑は毎日のようにせり上がり、ツバメが飛び、春の風は髪を揺らして通り過ぎて行きます。

 なんかね・・ふくよかな気分になってさ・・。いい光景、いい季節、いい時間。こういうことかな、しあわせって・・なんてね・・似合わないことを・・な。