ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
http://www.gen.or.jp/event/events/ev001011.html
来し方行く末を話せと言うことでした。 60代も半ば過ぎの私に 「来し方」はあっても。「行く末」は短くなっているんで 「タスキ渡し」を含んだ話になるのでしょうが・・。 どなたにとっても、語りうる物語がある中で・・ 俺が?というテレがありますね。 |
100羽を一群にして、1,000羽のニワトリを飼っている。 鶏舎の中にはしょっちゅう入るのだが、時々オンドリのキックの洗礼を受けることがあり、その度に近所のキヨシさんのことを思い出す。 面白いことに、彼が鶏舎に入るときまってメンドリたちが数羽、彼の傍に寄ってきて交尾をせがむ姿勢をとるのだ。彼だってそんなポーズをとられたとしても、何かできるわけでもなく、ほっておくしかないのだけれど、でも、そんなメンドリたちを見ている彼の表情が(何を勘違いしているのか)、どこかうれしそうなのが彼の理解しがたいところだ。 そこに現れるのが、群れの中に一羽だけいるオンドリ。女性の心を奪われてたまるか(たぶん)と、キヨシさんにキックで戦いを挑んでいく。彼はワーワー言いながら身をかわし、鶏舎の外に逃げ出ていくのだが、それにしてもなぜメンドリ達にモテルのかは大きな謎だ。 彼は65歳で当村の農民。 俺が見るところ、別に優しそうな雰囲気を持っているわけではないのだけれど。 |
昨日、コンバインの整備代金の見積もりと、新しい機械を紹介するカタログをもって農業機械屋の村さんがやって来た。見たらコンバインの整備代金が90万円。勧められた新しいコンバインがなんと500万円。コンバインとは田んぼの中を走る稲刈り機械のこと。前に刃がついていて茎ごと刈り取り、瞬時に脱穀し、モミはタンクに、茎を小さく切断して田んぼにバラまいていく、そんな機械だ。足回りはキャタピラーでできている。 「エーッそんなの無理だ!毎年、絶望的に安い米代金が続いているのに、そんなお金があるわけがない。」と思わず叫んでいた。 昨年の秋は雨続き。稲刈りには最悪の環境だった。田んぼがぬかるんでコンバインが動けない。足回りはキャタピラーだからぬかるみには強いのだが、それでも田んぼのあっちこっちで立ち往生している姿を見かけた。機械が壊れたとの話も聞いた。我が家でも故障をおこし、田んぼまで何度か村さんに来てもらっていた。なにせ、3条刈りのコンバインを中古で手に入れたのが10年ほど前。以来、丁寧に使ってきたとはいえそろそろ故障が出てもおかしくない頃だ。今年は何とか稲刈りを終えたが、きっと機械には多くの不具合ができているだろう。そこで来年に備えて機械屋に点検と整備した場合の見積もりを頼んでいた。あえて修理ではなく、見積もりとしたのにはわけがある。安くおさまればいいが、もしも高い修理代となった場合、この機械は高額の修理に値しないのかもしれない、すでに寿命が来ているのかもしれないとの考えがあったからだ。 コンバインの一日の稼働時間はせいぜい6時間。モミ乾燥機の容量もあり、それを面積に置き換えれば40a(100m×40m)。年間稼働日数は我が家の場合、11日間で足りる。実際には1か月近くかかるのだが、あくまで稼働日数を言えばこんなもんだ。10年間で110日。もしここで廃棄となれば、130万円で買った中古のコンバインの寿命が10年で尽きたということになる。高額の割には稼働期間が短い。だからと言って機械の共同化はやりにくい。稲も作物、刈りとりには適期があり、またお天気にも左右されやすいので刈りたい時が重なるからだ。 「菅野さん、ここはよ〜く考えてくださいよ。90万円かけて整備する価値があるかどうか。古い機械だから部品がそろそろ切れる頃でもあるしな。」と村さん。 我が家には3つの選択肢が準備されているというわけだ。90万円で修理を行い、なお古いコンバインを使い続けるか。または新しい機械を500万円で買うか。あるいはもう一度中古のコンバインを探してくるかだ。 村さんは「古いコンバインは論外だ。中古も当たりはずれがあって勧めない。菅野さんには若い後継者がいるのだから、やっぱりここは新しく買った方がいいと思うよ。」と言う。機械屋が新しいコンバインを買えというのは当然だろうが、そうは行かない現実があるんだよなぁ。 今年のJAへの売り渡し価格は1俵(玄米60kg)で13,000円前後だ。だけどその生産費は15,000円ぐらいかかっている。農水省東北農政局が言っているのだから間違いはない。生産原価を割って販売する状態がすでに10年以上続いていて、産業としてはまったく成立していないのだ。稲を刈るだけの500万円もする機械などとても買える状態にはない。もし、私に後継者がいなければ稲作はここで終わりだろう。残りの機械をすべて売りに出して、販売農家としては廃業する道を選ばざるを得ない。 だが、幸か不幸か・・・いや、幸いにもだ。我が家には、殺菌剤ゼロ、殺虫剤ゼロ、化学肥料ゼロを基本とした稲作に情熱を燃やし、直に消費者の台所とつながることで何とかこの苦境を乗り越えようとする若い後継者がいる。息子だ。そのような道を歩もうとしているからと言って決して先が明るいわけではないが・・。 500万円は重すぎる投資であることには変わりはない。 悩ましい現実が続く。 (拙文・月間「地域人」大正大学出版会・おきたま通信「百姓の独り言」より ...もっと詳しく |
粉雪がうなりを上げて横に流れて行く。そんな吹雪の朝、鶏舎に近づくと中からにぎやかな小鳥たちの声が聞こえて来た。そっと中をのぞいてみたら・・なんと、100羽を超えるスズメたちがニワトリたちと一緒に仲良く餌を食べているではないか。普段なら決してこんなことはありえない。鶏舎の主は、エサ場に近づく小鳥たちを見ると「あっちに行け!」と言わんばかりに飛び掛かって行き、追い払ってしまうのだ。今までも幾度となくこんな光景を見て来た。
でも今朝は違う。「さぁ、こっちに来いよ。一緒に食べよう!」言葉にすればこんな雰囲気だ。外は吹雪。酷寒の世界。雀にとっても外にエサなんてあるわけがない。ニワトリたちにはそれが分かっているのか、決して雀たちを追い出そうとはしないのだ。 こんな光景を見て短歌ともいえない以下のような歌を詠んでみた。 「ニワトリと雀が餌を分け合っている 吹雪の鶏舎(こや)の如月(きさらぎ)の朝」 この光景には教えられたよ。おい、人間、しっかりしろよなってな。言ってみたら雀は「難民」。あ〜ぁ、俺なにやっているんだろ。 (写真は梅の木にとまっている雀たち。見えるかな。ダブルクリックしてみてください。たくさんの雀が見えます。) |
https://www.youtube.com/watch?v=p2uxf9CunF4
私が27歳の農民駆け出しのころ、ギリギリのところで支えられた歌だ。加藤登紀子さんのコンサート、川島英五の歌を歌っていた。 歌の途中から肩が震えて止まらない。熱いものがどんどん込みあげてくる。涙が堰を切ったようにあふれだし、滴り落ちる。声に出ないように下を向いて堪えていたが、嗚咽が止まらない。 生き方を探して煩悶していたとき・・・・・・。様々なことが走馬灯のように頭を駆け巡っていた。「菅野さん、大丈夫ですか?」 俺が普通でないことを見た南郷の友人がそばに寄ってきたが、それ以上声をかけずに戻って行った。 それから約30年後の2008年ごろ。千葉県の鴨川にある加藤登紀子さんたちが主催する自然王国でお話しする機会をいただき、伺った時の事、楽屋で加藤登紀子さんとお会いし、二人だけだったので思い切ってあの時のことをお話しした。すると黙って立って行った加藤さんがギターを持って戻ってくるとそっと歌いだした。 君が悲しみに心を閉ざしたとき・・・ あの時の歌だ。またまた涙があふれてきた。あの時の感情が戻ってきたことはもちろんだが、もう一つは加藤さんの温かい気持ちがうれしくて・・ ま、こんな俺にも人並みにいろいろあったと言うことです。 |
https://www.youtube.com/embed/Cu1C4U5LHuE
ちょっと懐かしい歌。学生の頃にはやっていた。 金がなく、いつもお腹がすいていたし、着ているものも粗末なものだったけど・・夢があった。もちろん辛さの方がずっと多かった・・そんなときに口ずさんでいたような気がする。若かったねぇ。 |
冬の2月は雪、ゆき、雪のまっ白い世界だ。 今日の最高気温はマイナスの2度。 この寒さは尋常じゃない。 今は夜。どんな音もしない静寂の世界。 こんな夜なんだよね、窓の向こうの雪明かりの上を右から左にスーッっと、 白い和服をまとっただけの雪女がとおり過ぎていくのは。 彼女、 大丈夫かな・・そう思っても、決して部屋の中に誘ったりはしていけないよ。 そんなことをしたら、明日の朝、俺は凍った姿で発見されるに違いないのだから。 そりゃ、幸せそうな顔をしているかもしれないが。 先日、「雪女には気を付けよう」との村の回覧板が回って来た。 俺も気をつけなければならないな。すぐに人を寄せたがるから。 悪い癖だよ。 (下は朝日連峰と俺たちの村。右の雪原は村の前に広がる水田) |
宮崎県で鳥インフルエンザが発生したという。今年の冬はこれで131万羽。すべて殺処分だ。この事実は重い。
本来、歩いたり、走ったり、飛んだりできる鶏たちの自由を奪い、身動きのできないゲージ(カゴ)に彼らを無理やり押し込んで飼育する。鶏たちにとってはつらく切ない日々。 金魚鉢の金魚や、動物園の象だって、自由を奪われ不幸には違いないがここまでではない。そんな日常の中からは自然の病原菌に対する抵抗力、免疫力なぞ生まれるわけがない。挙句の果ての殺処分。 鶏たちをその状態に追い込んでいるのは、「経済効率」というものだ。鶏たちを不幸な境遇に置くことで人間が幸せになれると思っている価値観だ。1パック100円台に喜ぶ我々だ。 でも、それが我々の喜びか?それで幸せになれるのか?生き物たちはそれぞれ別個に存在しているのではなく、それらはつながりの中で生きている。一つの生き物の不幸が回りまわって人間の不幸につながっていく。どうしても私にはそう思える。 EUでは2012年1月から鶏たちをゲージで飼うことを禁止したという。いかに経済動物であっても、処理される直前まで、その動物らしい生き方、暮らし方を保障しなければならないとした。 一方、日本では鶏たちの周りにそんな風は少しも吹いていない。鶏どころではないと言うことだろう。我々自身がゲージの中にいる。鶏たちを解放するには、まず我々自身が「経済効率」のゲージ飼いから解放されていなければならないということか。 (写真は我が家の鶏たち) |
パレスチナ6報
ジャマインの村に向かいながら、RWDS(農村女性による開発協会)のリーダーの話を思い起こしていた。 「パレスチナはA地区、B地区、C地区と別れています。」 A地区とは行政をつかさどる権利、治安を守る権利の両方がパレスチナ側にある地域。B地区は、行政権はパレスチナにあるが治安権はイスラエルにある地域。C地区は行政権も治安権もイスラエル側にある地域。 C地区は特に悲惨だ。いきなりイスラエル軍がやってきてブルドーザーで家を壊す。軍に守られたユダヤ人の入植者が、もともと住んでいるパレスチナ人の家屋を焼き討ちして追い出す。育てたオリーブの木を伐採する。抵抗する者への逮捕も毎日のことで、13歳の子供でも逮捕していく。殺戮さえ日常的に行われているという。 ジャマインの村はB地区。それでも成人男子の二人に一人がイスラエルに逮捕された経験を持つと言うことだ。 ユダヤ人の入植者は地域の水源地、作物が育つことのできる農地から優先的に占拠してきた。その結果、パレスチナ人は水がなく、作物が育ちにくいところに追いつめられてきたという。 ジャマインの村に入って、周囲を見たら、1kmほど離れた小高い丘の上(水源地)にユダヤ人入植者の村が見えた。下がパレスチナ人の村。 |
友人、知人のみなさん
山形の百姓・菅野芳秀です。 ここに、2016年12月2日、北海道がんセンター名誉院長の西尾正道氏が 参議院のTPP特別委員会で意見陳述をした動画があります。 17分の動画ですので、ぜひ、ご覧ください。 できれば一人でも多くの方に拡散いただければありがたいです。 下をコピーして検索してください。 動画画面に行きます。 http://useful-info.com/dr-nishio-shows-idea-in-tpp-diet |
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我が家の水田面積は約420アール(420m×100m)。でも、今年の減反・転作面積は約4割。4割ですよ!米を作付できるのは残りの6割(240a)でしかありません。ため息がでますねぇ。どうにもなりません。そのくせ政府はTPP協議で約束した7・8万トンを含め、およそ85万トンのコメを毎年輸入することにしています。
山形県の総生産量・38万トンの2倍以上の米ですよ。その結果、コメはだぶつき、暴落はとどまるところをしらず、その対策だと称して農家に4割の減反を強い、かくて農業、農村、農家の壊滅的危機が進行していく。我が家の収入のことではなくて、国民の胃袋の問題、いのちの問題としてですよ、不安ではないのかと。自国の食料の生産基盤をここまで壊してなんの取引か!この国の為政者に問いたいですね。