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1986年の春が終わるころ、加藤典洋さんが『菊屋まつり』のフリートークに出るというので、一緒について行った名古屋で、橋爪大三郎さん=社会学者と1度だけ話をしたことがある。
フリートークというのは『菊屋』という詩の雑誌が吉本隆明を招いて、当時まだ30代だった加藤典洋、橋爪大三郎、竹田青嗣、瀬尾育夫など、若手の論客と応答をするというものだった。

『菊屋まつり』フリートークでの話で、わたしがおぼえているのは、吉本隆明が最後に聴衆からの質問を受けることになって、北川透という詩人が、「現在の日本で、革命というような社会変革はもう必要ない、と考えてらっしゃるのでしょうか」と問うたのに対して、「はい、そう思っています」と簡素に応えたことである。
そのころはまだわたしにも、いいひと→良心→左翼というようなことが漠然と信じられていて、左翼の大儀=存在意義である革命がもういらないということになったら、左翼はどうなるのだろう。これは大きな宣言だな、と思って聞いたのだった。
吉本隆明のこの考えは、1995年に出版された、『わが「転向」』という著作に詳しく展開されていて、中で、1972年にあった時代の大転換の、同時代感覚を担う文芸評論家として、加藤典洋、竹田青嗣、初期の浅田彰の名前があげられている。

その夜、詩誌の名前にも借りていた、酒場『菊屋』の宴会と、もう1件別の宴会をすませて、ホテルに戻ってから、加藤さんの部屋で橋爪大三郎さんと3人で、わたしが持参したワインを飲んだ。
橋爪大三郎さんは、まだその時点で、ソヴィエット連邦の崩壊まで5年の歳月を残していたが、社会システムとして、存続はもう不可能だろうと話していた。
すでに『ソヴィエト帝国の崩壊』=小室直樹という本が出版されていて、わたしもそれは読んでいたが、奇矯のひととして知られるそのひとの論説を、そのまま信用する気にはなれないでいた。橋爪大三郎さんの話では、その論説の大筋は正しく、アメリカ=レーガン政権のSDI構想というものも、体制崩壊の促進を目的とした仕掛けだというのであった。
現在から振り返ってみると、SDI構想がソヴィエット体制崩壊の最後の引き金となったことは、定説となっている。

そのとき橋爪大三郎さんが、社会学者となった初心を、問わず語りにはなしたことをよくおぼえている。
日本というものを、外人の目が見てもすっかり分かるように開いてみたい、というのであった。その構想の遠大さと困難は、『とまどうペリカン』であったわたしにも想像できた。
最近、WEBでアクセスしたあるひとの論説で、橋爪大三郎さんが初心から続いている思いを、『完全な自動翻訳機』という比喩で語っていて、「完全な自動翻訳機ができるとしたら、天皇制はなくなる」と言っているのを知った。橋爪大三郎さんの言葉としては、めずらしく分かりにくいのだが、わたしはこれを予言としてではなく、日本人と外国人とが共有できないものの核心=天皇制を、『すっかり分かるように開いてみたい』という表明だと思って読んだのだった。

名古屋に来る新幹線の車中で、そのころではまだ珍しいノートパソコンを打ち込んでいる、橋爪大三郎さんの姿を見た加藤典洋さんが、感心しきりであったのを思い出して、あのころ時代はまだアナログの世界で、井上陽水の『ライオンとペリカン』も、わたしはLPで持っていたのだったことを思い出した。

わたしの『とまどうペリカン』の名古屋の夜が、1986年のことだとはっきりおぼえているのは、持参したワインが取って置きの、葡萄の出来がよかった1985年のシャトーヌーフドパフだったから、というだけの『とまどうペリカン』らしい理由である。

2007.04.30:higetono:count(1,750):[メモ/やれやれ]
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