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九日

  • 九日
お寺の裏に回ると蝉しぐれである。
これだけ鳴いているのに姿を見つけられないなぁ。
栗の木に一匹だけ見つけ、木にそっと近寄って行くと、気配を察したのかジジッと鳴いて飛んで行ってしまった。
今日は、ミンミンゼミの音が聴こえた。
これが聴こえると、いよいよ夏も終盤のような気がしてくる。


今朝は、お墓を改修している方と、新たに建立なさった方のご供養。
七時から始めたのだけれど、もうだいぶ暑くなってきていました。
ともかく、本堂と骨堂に収めていたお骨を安置することができて、なんとはなしに「安心しましたね」とお家の方々と話すことができてよかった。

ご供養を終える頃、八時過ぎに、サルを威嚇する八連発の花火が二か所で鳴らす音が聴こえた。
もう、畑のトウモロコシとかスイカとか美味しいものが収穫時期になっているので、サルの群れはは現れ、住人は神経質になって追い方を始める。


こうあちらこちらで追われると、わが家の畑にも来ないとも限らない。
帰ってみると、無事。
基本はジャガイモ。
あとはオクラとシシトウとピーマンとミニトマト。
山際のジャガイモは草ぼうぼうの中に隠れてしまっているせいか、早い時期に2度襲撃されてからは来なくなった。

オクラの花が、お陽さまを浴びて、なかなかきれいである。
お盆を前に、することは山ほどありそうなのだけれど、一つずつやっつけて、今日も終わりです。
2011.08.10:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

八日

  • 八日
毎月恒例、八日は大荒沢不動尊への登拝である。

例年の如く、お堂に車が到着するや否や、自動車の周りにブンブン…ワンワンと虻やメジロが押し寄せてきて、飛び回った挙句に車体に体当たりしている奴もいる。
意を決して車のドアをすばやく開けて、身のこなしも軽やかに外に出てドアを閉めるのだが、それでもそうとうな数が車に入っている。

どうも車の排気ガスが好き…というかもうたまらなく酩酊してしまうのか、飛んでこないではいられないらしい。
身もだえしている虻・メジロなんですかね。

毎月お参りの人がこれだけ来ていただけるようになればなぁ^^;
メジロさんたちも大切にしておこう。



さて、いつもの如く、ごあいさつをして、お堂のお掃除をしてご祈祷です。
お堂や山門などを見ていると、どうも、めったにないお客様が来た跡がある。



お堂の左奥の角に、ミツバチの巣を板の間から建物の中にかけていた。
そして、それを採ろうとした跡なのである。
「エッ、もしかしたらクマさん?!」





堅い欅の板に、ミツバチの出入り口の高さ30~60cmセンチぐらいを中心に、130センチぐらいまでのところを引っ掻いている。

そして、お堂の後ろ側にも回り、掛けてある奉納の剣をはがして、そこにもチャレンジしたらしい。

うむむ。
一人うなりつつ、お掃除、ご祈祷を終えた。

これは、可哀そうだが、たいじしなくてはならない。
クマではなく、ミツバチさんたちを。
またやってきて、おどうをこわされてしまいかねない。

今まで毎年ミツバチは巣をかけるが、これは初めて。
動物たちもちょっと変になっているのだろうか。
2011.08.09:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

七日

  • 七日
毎年、8月7日の朝は、共同墓地の草刈り作業になっており、お墓をお持ちの方々が早朝から集まって作業を行います。
早い人は、もう5時前からやってきます。

前夜の地区の夏祭りから帰ってきて、バタリと寝てしまい、それでも4時45分に目が覚めた。
こういうときって、何か夢の中で知っている人ができてきて、「なんだろうなぁ・・・?!」という感じで目が覚めて「あ!そうだ!!行かなくちゃ!!!」というような目の覚め方をする。
誰かがいつも起してくれる(ような気がする)^^;


いつも一緒にいる家ネコ二匹(♂)。
○○を抜かれてしまっている(かわいそうだけど)同士。
老猫をしたっているように見えるなぁ。

お盆前の日曜日、檀家さんのお宅でご供養のあと納骨となりました。
昨日は陽射しが相当きつく、墓地でヂガヂガする暑さで汗が止まらない(止まるとこがない^^;)。
参列なされた方々もたいへんでした。

それでも、お盆前に納骨することができて、皆さん落ち着かれたようです。
その後、小野川温泉の旅館でお斎をいただき、ゆっくりみなさんと話をして帰ってきたのでした。

今週はお盆ですね。
多くの方々が実家に里帰りをしたりお出かけなさることでしょう。
みなさん、十分に休養しながら気をつけてお出かけくださいませ。
2011.08.08:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

27 飯豊町大字岩倉の「草木塔」

  • 27 飯豊町大字岩倉の「草木塔」
飯豊町の中津川へ、また戻る。
米沢市万世町梓山の草木塔から4年後に建っている。
年代を追って回るという、一応自分で決めたルールを守って訪ねていくと、本当にあちこちへ跳ぶ格好になる。

さて、中津川の白川荘からさらに奥の方へ進んでいくと、資料によると塩の畑(しおのはた)という場所に建っているらしいという情報のみ。
もともとの場所から移設されているということで、たいていわかりやすいところへ移すものだが…と車をゆっくり走らせると道端の小高い畑の縁に石塔群が建っていた。



すぐ近くに人家はなく、数百メートル先に人が住んでいそうな建物が見える。
中津川は、元気のある地区だけれど、過疎であるには違いない。
その途中までも、廃屋や、家が解体された跡などが目についた。

さて、この場所は、午前中に来た方が、碑面がよく見えたに違いない。左後方から西日が射し、資料として見るにはちょっと画像は難しい。

碑面には、「草木塔」と刻まれている。
しかし、石塔の上部がだいぶ壊れてきているようで、草という字はだいぶ読みにくい。
建立年は、資料によると安政5年(1858年)とある。
大きさも、135cmとあるのだが、破損か地面にめり込んだかわからぬが、1m足らずにしか見えない。


石塔の裏面もだいぶ磨滅しており、この地は半端な豪雪地ではないだけに、今後の保存は気にかかるところだ。

ただし、他の4基の石塔と並んでいて、庚申塔ともう一つは穴あき石が供えられているところから「どうろくじん」ではないかと思うのだけれどどうだろう。
お参りをしている形跡があり、こうして石塔が身を寄せるように建っていると、きっと守られていくんじゃないだろうかという気がする。


旧中津川村は、かつて三沢村と同じ南置賜郡であった。
昭和二十年代後半から三十年ごろの、いわゆる昭和の大合併のとき三沢村(田沢・簗沢・小野川・赤芝)は米沢に合併し、中津川村は西置賜郡飯豊町となった。

かつて、同じ選挙区であったことや、山仕事なども一緒にしたという話を、年配の方々から聴くことがある。実際、姻戚関係も多い。
そう考えると、中津川に数多く草木塔(草木供養塔)が建っていることはそう不思議なことではない。
2011.08.07:dentakuji:コメント(0):[草木塔を歩く]

地区の夏祭り

  • 地区の夏祭り
頭上を見上げると、青空が広がり、、周囲を見回すと夏の雲がモクモクとわき出ていた6日。
外で草むしりをしていて、あまり暑いので早々に退散。
それでもジャガイモを、また一畝掘ってみた。


この畝の端が砂利のようになっているせいか、イモがこぶこぶのような変形になってる。

午後からは、田沢地区の夏祭りの手伝いで田沢コミセンへ。
今年で21回目になるそうだ。
昔、田沢地区に青年団があった頃は、主催でお盆に盆踊りをしていた。
青年団の末期、ビアパーティのようなお祭りにして続けようとしたものの、とうとう、できなくなって2年ほどお休みした。

平成3年に公民館主事になった時、夏祭りの復活ということで、公民館事業として盆踊り歌や太鼓の講習を行い、7月末に駐車場を会場に復活した。
その後、試行錯誤を繰り返しながら続け、回を重ねて21回目。


どこからか雷鳴が聴こえてきて、夕立の心配があったものの、頭上はやっぱり青空。
今年は、最後まで大丈夫そう。

子どものゲーム、出店、ビアパーティ、カラオケ大会、盆踊り、プレゼント抽選会などなど。
夏の夜、野外でのんびりと楽しむのもいいではないですかね。





空が明るいうちは、子どものカラオケ^^
だんだんお酒がまわってくると、おじさんたちの演歌のエントリーが出てきて、しだいにのど自慢の方々が登場してくるようです。
好きな人は自分で音源を持ってくるものね。
コミセンのカラオケ、曲数がイマイチですから。


自分の担当は、音響の助手というわけで、裏方&なんでも屋というような感じ。
一昨年まで自分が担当してきたことでもあり、今は責任がないだけとてもく気楽になった^^;



今年は事情があって?!盆踊り歌と太鼓は音源から流すというので、やっぱりさびしいな。
二十年続けて、太鼓のたたき手も育ってきたのに、ちょっと残念。

片づけを終えて、同じ方向へ帰る人たちと、月のない夜道をあへらあへらと帰ってきたのでした。
ほえ~

2011.08.07:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]