孤立が生んだ二つの殺人
池谷孝司:編著 (新潮文庫 2013年5月1日発行)
2009年7月に25歳で死刑執行された山地悠紀夫。
2005年11月、22歳の時に大阪で若い姉妹を惨殺し逮捕されたのが死刑判決を受けることに到った罪。
2000年7月、16歳の山地は母親を殺害し、その後、少年院で矯正教育を受けて、2003年10月に20歳で社会に戻っていた。
母親を殺害し、その五年後にまったく関わりのない姉妹が殺害されてしまった。
姉妹殺害を防ぐことはできなかったのであろうか、著者のルポルタージュはそこから始まっている。
「孤立が生んだ二つの殺人」という副題が付いている。
この山地の殺人事件については、この本人の社会的な「孤立」がキーワードになるということなのだろう。
第一の殺人は、実の母の惨殺である。
父は働きがよくなく、酒癖がわるく家庭内での暴力もあり、その父親は小学生の時に病死してしまう。
なのに、なぜ母親を殺してしまったのか。
このあたりを、親の親族や子ども時代の同級生などからの取材で様子が見えてくる。
家庭経済の貧困、母親の愛情表現の乏しさ、山地本人の性格というのか個性というべきか、そういった生活環境や社会との関わり方は、普通とは言えないものかもしれない。
けれども、彼と同様或いは同等の環境にある子どもは、全くいないとは思われず、そこに加わる要素の一つとして、ある種の発達障害ではないかということ。
実際に、犯行後にそれを調べるテストも受けている。その発達障害が発行の直接の原因ではないのであろうが、そのことによって学校や社会の中で人間関係を上手く作ることができないで孤立するということはあるのではなかろうか。
自ら母親を殺めたことによって、一人っ子の山地はさらに孤立することになってしまった。
少年院を出た後、彼には戻るところが無いのだ。
こういった矯正教育を受け、社会に戻るについては、システムとしては受け入れ先はあるのだろうけれど、実際には彼にとってよい落ち着き先が無かった、ということになるのだろう。
結局、彼が比較的心を許していた父の仕事の関わりのあった人のところに行くのだけれど、その人が非合法な仕事をしている人であった、そのことが結局第二の殺人へ導く結果になってしまっている。
ここを別な形で社会に出たならば、惨殺殺人は起きなかった、などと断言できるものではないのだが、少なくともたった2年でほとんど彼と面識のない姉妹が殺されと言うことはなかったのではないか。
判決確定後、わずか3年余りで、なぜ姉妹を殺めなければならなかったのかという真相が語られることなく、被害者への贖罪の言葉はおろか反省の言葉も無いまま死刑になった。
表題の「死刑でいいです」というのは「さっさと死刑にしてくれ」という彼の言葉の一つ。
「どうせ生まれてこなければよかった」という言葉も吐いているそうなのだが、こっちの方がまだ人間のこころが感じられるような気がする。
母を殺めたことについても、反省の言葉はなかったという。というよりも、反省という概念が欠落しているのではないかとも思われる。
第二の殺人後、彼が当時に正当な判断が可能な精神状態であったのかどうかという精神鑑定が行われている。
姉妹殺人事件に関して言えば、発達障害ではなく人格障害という、刑事責任能力ありという鑑定が出され、死刑が求刑されることになった。
はたして、これでよかったのだろうか。
被害者側としては、一刻も早く極刑に処するようにと、嘆願書を出している。
普通に考えれば当たり前であろう。
ただし、この事件に関して、本当に死刑にしてしまえばよかったのであろうか。
もっと時間をかけて、発達障害との関わりや、構成システムのチェックというようなことがあってもよかったのではなかろうか。
そんな気がしてならない。
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