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(35)川西町玉庭 御伊勢町の草木塔

  • (35)川西町玉庭 御伊勢町の草木塔
  • (35)川西町玉庭 御伊勢町の草木塔

前回の玉庭犬川の熊野神社からおそよ1km弱、小松方面へ戻ると、真言宗のお寺である瑞光寺があり、その境内地の一角にひっそりと建てられています。

建立は1868年(明治元年)11月とあります。

約40センチほどの小さな自然石にシンプルに「草木塔」と刻まれています。

熊野神社の草木塔から3年後、距離も近く、字体もよく似ている。

ただし、凝灰岩と安山岩という違いはある。

 

ご住職にお話しをお聞きしたところ、このお寺に大木があったのだが、事情があって伐らざるを得なくなり、その鎮魂・供養のために建立されたとのこと。

建立者と思われる瑞光寺の住職の名「宥寛」と刻まれており、由来は口伝されている。

由来が代々伝えられてきたのは、石塔に刻まれているものを除くと初めてではないだろうか。

けして大きな石塔ではないけれど、明治時代最初の草木塔はたいへん意味があるものである。

 

 

2013.10.08:dentakuji:コメント(0):[草木塔を歩く]

(34) 川西町玉庭犬川の「草木塔」

  • (34) 川西町玉庭犬川の「草木塔」

口田沢からお隣り 川西町玉庭地区。

そこにも犬川という地域があるのですね。御伊勢町の西の方に位置しています。

そして、またまた慶応元年建立です。

飯豊町宇津沢が6月。

米沢市口田沢上中原が7月。

そしてこちらは10月。

現在建っているところは、玉庭犬川地域の熊野神社境内の一角にひっそりと立っています。

凝灰岩の四角く加工した石のようで、せいぜいたかさ50㎝ぐらいの、シンプルな字体で草木塔と刻まれています。

地域の方によると、元はここより西側の田んぼ付近にあったそうで、おそらく地主の方がこちらに移転されたものだろうとのこと。

残念ながらこの塔の由来などは解らないようです。

昨年訪れた時は、ただ置かれていただけだったのですが、この度訪れた際には、おそらくコンクリートだと思うのですが基礎を造って、しっかり固定されていました。

熊野神社は集落の鎮守様だと思います。

地域の方が関心を持ってくださっているのだろうと思い、嬉しくなりました。

2013.09.30:dentakuji:コメント(0):[草木塔を歩く]

33 米沢市口田沢 上中原の草木塔

  • 33 米沢市口田沢 上中原の草木塔
さて、私の地元 田沢に戻ります。
田沢地区は、米沢市街地の方から、ほぼ国道121号線と小樽川に沿うように長い地区で、大字口田沢・大字神原・大字入田沢となっている。

田澤寺のある下の町から草木塔のある上中原までが口田沢。
その先から神原になる。

上中原の草木塔は田沢地区に現存する江戸時代に建てられた10基の草木塔の中で最も年代が新しい。
慶応元年(1865年)七月二十日と刻まれている。

石塔の中央には「草木塔」と今までの草木塔にはないような大きな文字で、崩した感じの字体である。
なんという字体なのだろう。

その左側には建立者と思われる「三田沢講中」とある。
三田沢とは、当時の口田沢村・神原村・入田沢村のことと考えて間違いないだろう。

自然石で大きさも160㎝と堂々としている。
国道沿いに建っており、とても目立って見つけやすい場所である。

草木塔研究の先達である藤巻光司氏によると、道路改修で数メートル移動しているが、昔とほとんど変わっていないとのこと。



この一角には草木塔以外にも、通称「三老(翁)の碑」と湯殿山塔、右には「蚕神塔」「伊藤氏生碑」などが建っている。
さらに、推定樹齢200年ともいわれている松の木が三本。
これを「三老(翁)の松」と田沢の人達は呼んでいる。

田沢の三老とは、幕末から明治に移行する当時の三田沢の代表にあたる人。元米沢藩の山林が売りに出されそうになった時に、自らお金を出し、また地区民に呼びかけお金を集めて山を買い、その後の田沢のために役立てようとし、じっさいそのようになったため、顕彰されたとのこと。
その後、昭和初期に購入した山を基本財産とし、教育支援を目的とした公益法人が設立され現在に至っている(現在は一般財団法人)。

また、「蚕神塔」は、この周辺地域がかつて養蚕が盛んであったらしく、毎年5月20日頃にこの紙漉集落でお祭りお行い、田澤寺の代々の法印が呼ばれ供養を行っていた。
その時に、草木塔の前でも供養祭を行い、御札が各戸ならびに関係者に配られていた。
田沢で、どういう形であれ草木塔に人々が集まり供養するという例は他にない。

10年ほど前から、地域での維持が難しくなったこと、養蚕が途絶えて久しいことから、祭主が地域から財団法人「田沢自彊会」に移行され、6月に草木塔供養祭を行っている。


この草木塔の特徴である書体、それと三田沢講中という建立者から、その由来が何らかの文書にあるのではないかと想像し、気長に探しているところである。

2013.06.05:dentakuji:コメント(0):[草木塔を歩く]

32 飯豊町宇津沢の草木塔

  • 32 飯豊町宇津沢の草木塔
中津川地区にある草木塔の中では5番目に古い草木塔が宇津沢という所にあるとのことで、案内して連れて行ったいただいた。

主要道である県道を、車で白川荘と源流の森を左手に見ながら先に進むと、やがて右手の山に向かって入る道路があった。
ここから大字宇津沢方面に向かう道である。
本道よりは狭いものの、車では十分に余裕のある道幅である。
どのくらいの戸数があるかははっきり判らぬが、やがてぽつぽつと家が見え始め、1.5kmも進んだところの道端に杉の樹があり、その幹と並ぶように草木塔があった。

入り口さえ間違えなければ、容易に見つけることができる場所に建っていた。
そして、草木塔の周囲は地域の人の手によるのだろうか、きれいに手入れされているように感じられる。

1mほどもある大きな塔で、薄明るいグレーの石の碑面にははっきり大きな文字で「草木塔」と刻まれている。

今までの草木塔にはなかった字体に思える。

向って右側には 慶応元年、左側には 六月 山口八良左ェ門と刻まれているようだ。
これまでの中津川の草木塔は建立者が明確でなかったが、この塔には個人名が記され明確である。
この人の子孫が今も残っているらしいのだが未確認。
もともとこの場所にあったのではなく、近くの畦道に倒れてあったのをこの場所に移転してきたものとのこと。
しかし、詳しい元の場所と移転時期はよく判らない。

近くに人が住んでいる家が見える。
機会があれば、地元の人にお話を聞きたいものだ。

周囲を眺めてみると、田んぼは跡はあるがほとんど作付けされていないようである。
かつては相当数の集落があったと思われるのだが…。
この地域については、再度訪ねて来て調べてみたいと思う。

(2012年10月)
2013.06.02:dentakuji:コメント(0):[草木塔を歩く]

31 川西町大舟稲場の草木供#32682;塔

  • 31 川西町大舟稲場の草木供#32682;塔

岩手県から置賜に戻り、川西町大舟へ。

我が家から、車で10分もあればついてしまう。
かつては、最短コースの螻尾峠を越えるのが最も一般的であったろう。
今は、車一台がやっと通れる曲折路なので、東沢を廻って行く方がはるかに楽である。

田沢と大舟は、米沢と川西という違いはあるものの、生活圏としてはかなり近い関係にあったようだ。
山で隣接しているのだから近いのは当たり前だけれども、その山に入って生活していたその昔は、よりその関わりがあったものと考えてよい。

小学校も、昭和一桁生まれの私の父親の時代あたりまでは、大舟から田沢の小学校に通った人もいたとのこと。
また、当田澤寺にも大舟からお参りに来る方々が少なくなかったらしい。



毎回訪問する時間がまずくて、石塔の字がよく画像に写らない(ー_-;
石塔や石仏の多くは、概ね南や東を向いて建てられるものだから、陽が当たる午前中に訪ねればよいのに…。

さて、碑面の正面真ん中には「草木供養塔」と細いきちっとした字体で書かれ刻まれているのだが、草という字の「日」の部分が立て棒が通してある文字になっている。

この字は川西町の草木塔で最も古い玉庭柴引の字と同じ。
ただし「供養」の養が、こちらは?である。
字の傾向はちょっと似ている。

建立年月日は元治元年(1864年)8月吉日と、正面に刻まれている。
台座に文字が刻まれているのは判る。
資料によると、 「施主 柳沢弥七 上組 中」とある。

個人名が記されている。
田沢の草木塔には個人名がなく、一村一塔説もあるのだが、こちらの草木塔はこうした故人の施主名が書かれていることが多いようである。 

このあたりには、かつてはそれなりに集落があったものと思われるのだが、年々家の数が少なくなっている過疎地域になっている。



以前は田んぼの向こう側の山際にも家が点在していたものだ。
けれども、田んぼは作っている人がいて、荒れた雰囲気がないのは救いである。

草木供養塔の脇にはお地蔵さまの小さな祠がある。
この並びから想像するに、草木供養塔がどこからか移転したと考えた方が自然のような気がする。

お堂の裏を見ると…、金属製の檻のような…。
これはクマ捕獲用の罠ではなかろうか。

このあたりに熊がいても、最近のクマの動きをみれば不思議ではない。
お尻のあたりがちりちりというような感じがしてきたので、クマに出会わぬうちに退散だ。

※(2012年8月に訪ねた)

2013.05.30:dentakuji:コメント(0):[草木塔を歩く]