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257 ドキュメント『よい病院とはなにか』

  • 257 ドキュメント『よい病院とはなにか』

病むことと老いること

関川夏央:著 (小学館  1992年5月20日発行)

 

 

およそ20年前に「エキスパートナース」という専門誌に掲載されたルポをまとめたドキュメント。

生老病死 を四苦としてとらえたのはお釈迦さまとされていますが、生きている以上、老いること死ぬことは必定であり、おおかたの人は病の苦しみも経験するものでありましょう。

そうした逃れられない運命である以上、やはり病院と付き合うことになる。

ならば、どんな病院に行き、どう関わってつきあってゆけば良いのか、ということを、著者は現場に行き、目の当たりにしたこと、感じたことを、率直に述べているようである。

 

普通、若い頃にはあまり病院とのなじみは薄いものだ。

やがて、加齢や老いとともに付き合いが深くなる。

 

私の場合は、ちょっと違うかもしれない。

もともと丈夫でない子どもだったのだどうかはわからないのだが、小学2年生時に小児リウマチを発症し入院。これを皮切りに、じんう炎も含めて小学5年生までに5度の入院をして、在宅の療養期間を含めると、まる1年分ぐらい学校を休んでいる。

 

その後、病み抜けたように健康になり、以後20代~30代 40歳前まではほとんど病院とのお付き合いがなくなった。

しかし、42歳になるあたりから不調感を感じるようになり、病院へ行き、その後10年余り個人医院で定期的な受診と投薬を受けている。

 

そして、これから加齢とともに病院との付き合いはもっと多くなるに違いない。

 

この本の主題である、良い病院とはなにか?なのである。

著者は、「心臓外科」「ガン医療」「脳神経外科」「老人病棟」をとりあげ、その当時としては先端的な取り組みをしている病院の例をあげている。

さらに、「特別養護老人ホーム」についても書いている。

 

病院には、医者がいて、看護師さんがいて、療法士や技師などの専門家がいて、事務職がいて、食事を作るなどの様々な部門があり、総合して病院であるのだと思う。

優秀な医師がいても、それだけではいい病院とは言えないのだろう。

そして、経営という部門があり、病院としての経営理念が現場で具現化されて、そして、看護師をはじめとした多くの人が交代し分担しながら仕事をする。そこに不統一があってはならない。

なかなかたいへんなものである。

専門的な医師の技術は高度化しており、移植手術も含めて、多くの命が救われているに違いない。

それとおなじように、死を受け入れざるを得ない時だって、間違いなくある。

現代では、おおかたの人は病院で死を迎える。

そう思った時に、病院の医療技術の高さと、職員の能力の高さとともに求められるのは、そこに働く人の人間的なチカラと言ったらよいのだろうか・・・。

患者と向き合う姿勢みたいなものが問われるのかもしれないと感じる。

 

 

 

 

 

2014.01.27:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

256 『花のパロディ大全集』

  • 256 『花のパロディ大全集』

丸谷才一・井上ひさし:選 (朝日文庫  1984年4月20日発行)

 

さてさてこれは、「週刊朝日」に1974年12月6日号~1978年10月27日号に連載された、一般読者からの投稿で構成されている。

 

選者が、丸谷才一と井上ひさしという、山形県が生んだ・・・というよりは、日本におけるでっかい才能なのであります。

厖大な投稿から秀作を選び、さらに若干手を加えるという、とてつもなく大変な作業を、このおふた方は実に楽しげになさっていたようであります。

 

さて、パロディとは何か。

言葉遊びの一種であり、原典の文章を使って面白おかしく換えて楽しむもの。そして、そこには社会風刺や権力に対する一撃的な、しかもユーモアがあって笑えるものというようなものでありましょう。

そう考えると、なかなか難しいものではありますね。

 

ちょうど、1970年代半ばから80年代半ばまで刊行されていた「ビックリハウス」という雑誌がありました。私が高校生から大学生ぐらいの時代で非常に勢いがありました。

パロディ雑誌ということで、当時のサブカルチャーのマニアックな部分では抜き出た存在だったと思います。

やはり、投稿で成り立ったおり、その中にパロディの部分があって、その後底から、投稿者がサブカルの世界だけでなく有名人が出たりしてます。

 

ただ、その当時も私は面白がりながらも、これはパロディという範疇ではないような感は持っていたのでした。

 

lっこちら『花のパロディ大全集』を読むと、その間が一層増してきます。

なにしろ、いきなり岩波文庫の「読書子に寄す」のパロデイですからね。

格調高い意識の表れであるこの文章を使って、さぁどんなパロディが生まれてくるのか。

 

その一席に選ばれたのは「国民賢者に寄す」  三福連合に際して     というもの。

当時の政治状況、田中角栄の金権政治に対して、福田が三木と政権奪取に手を組むということについていかがなるものか・・・というようなことなのであります。

まぁ、当時の私は全く関心監視ありませんでしたけども、どれもこれ、政治権力の争いなどというものは、皮をむけば皆同じというよな思いが込められているようでありますね。

 

なにしろ、この原典をしらなければ、優れた作品であっても「あぁそうなんだ」という感じしか持てないし、パロデイというものはなかなか深そうなのです。

 

その点、百人一首などのパロデイだと、文字数が少ない分、なんとなくわかったような気分にもなりますね。

 

例えば、大賞に選ばれたこの作品。

 

対 アントニオ猪木戦の感想を問われて詠める  モハメド・アリ

「顎の裏を打ちに出てみれば白けるなう不意のゴロ寝に俺は困りつ」

というの。

原典は万葉集の「田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りかる」 山部赤人

 

百人一首では「田子の浦に うち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」となります。

 

田子の浦 →あごのうら 

うちいでてみれば → 打ちに出てみれば

白妙の → しらけるなぁ

富士の高嶺に → 不意のゴロ寝に

 

というように、韻を踏んで作られているところがまたすばらしい。

その当時、この異種格闘技は世紀の一戦というか、珍奇な一戦というかわからぬが、相当な興味を集めた一戦だった。

ところがふたを開けてみたら、ゴングが鳴るなり、猪木はリングに背をつけた恰好で、正対しているものの、ありはどう戦ったらよいかわからぬという感じで、ラウンドは進んで行った。

時々苛立ったアリが仕掛けるものの、寝技に持ち込まれては勝ち目がないから、散発の攻撃となる。猪木は猪木でまともに殴りあったら勝ち目がないので、そのスタイルに終始するしかない。

 

結局、10ラウンドだったか12ラウンドだったか忘れてしまったのだが、消化不良というか欲求不満というか、そんな状態のまま試合は終わってしまった。

 

アリは困ったであろうし、テレビ観戦の私たちは期待はずれでチカラ抜けちゃったし、一番損したのは会場で高いチケット買って見てた人かもね。

 

こうした短い分のパロディなら、もしかしたら自分も作れるかも、一瞬そんな気がするのだが、選者も選評をパロデイで書いており、やはり叶わぬなぁと感服。

 

最近ちょっと息苦しい感じの時代にこそ、パロデイはいいかもしれぬ。

 

 

 

 

2014.01.21:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

255 『助けてと言えない』

  • 255 『助けてと言えない』

孤立する三十代

NHKクローズアップ現代取材班:編著 (文春文庫 2013年6月10日発行)

 

 

もうずいぶん以前のことになる、NHKテレビドラマの中の台詞を記憶している。

時代は戦後あたりの関西が舞台の物語で、商いをしている中年の女性が田舎から出てきて、何かと困っている若い物語のヒロインに向って言うのである。

「あのな、おねえちゃん、自分が困っていたり病気するようなことがあったらな、『困ってます、痛いです、苦しいです・・・』って、皆に遠慮しないで言ってまわるんやで。そしたら、必ず誰か助けてくれはるから」

このセリフが、この本を読んでいるうちに甦って来た。

ドラマを見ているときも、なるほどなぁ、自分の体裁とか気にしてたら助かるものも助からないよなぁ、そんなことを思ったものだ。

 

さて、この本は、NHKクローズアップ現代で、2009年春に、39歳の男性が住宅で孤独死しているのが見つかり、その傍らにたった一言「たすけて」という文字をつづった便せんが残されていた事件をきっかけとして、この事例とこの時期に起きていた生活困窮者に関わる今の特徴的な問題を掘り下げ、番組としてとりあげたものをまとめたものだ。

 

孤独死した男性は、職を失った状態で、住居はあるものの、お金と食糧が尽きて、一人餓死してしまった。なのに、彼はそういった状況について身近な友人や親せきなどに話したり助けを求めるということもなしなかった。

取材の中で、人間的には対人関係は問題が無く、むしろ同級生などとも親しく付き合いのある人だったという。そして、亡くなる前にも、苦しい状況を話して助けを求めることができる状況は間違いなくあったであろうという。

ではなぜ、「たすけて」と便せんに書き遺すほど苦しみながら、助けを求めることが無かったのか。

 

この番組の取材班が取材を進めるうちに、ある一定の年代に特徴的な共通の傾向を見い出す。

2008年に起きている、いわゆるリーマンショックによる、日本でも景気が悪化し、完全失業率も増大。そして、当時30代後半ぐらいからの非正規労働者(派遣社員、フリーターなど)の多い年代層が失職し、それとともに住居も失い、ホームレスが増えていた。

現在で言えば、30代前半から40代前半ぐらいまでの、就職氷河期と言われた時代に社会に出た年代のホームレスが増えている。彼らの、その特徴として、困っているのだけれど、それを知られないようにする、そして孤独化し、家族や親しい人に頼るということをしないという実態。

ホームレスらしくない小ざっぱりした格好をすることに努め、できるだけ人に困っているということを見せずに、それでも何とか仕事を見つけようとする。

かつては、都会に出れば、選びさえしなければ何かしら、日雇労働でもなんでもあるとしていたものだが、現在は(とくにその事件当時は)ホントに仕事が無かったのだ。

 

私ならどうするだろう。

とりあえず、帰る家があり、家族がいて、友人もいるならば、なんとかなるまで頼るということをしないだろうか。

逡巡するには違いない。

30代から40ぐらいにもなって、親に頼るのもどうかと、やはり思うであろうが・・・。

 

団塊ジュニアとも呼ばれる30代。

この年代の教育が影響してはいないだろうか、という点にも言及している。

自己責任ということ、個性の重視ということ。

職を失い、住むところもなくしてしまったのは、自分のせいなんだという思う傾向が強いという。ある意味ではそうかもしれないが、自分ではどうにもできないこともあるってことを感じることも必要なのではないかと私などは思う。

 

ホームレス支援のNPOの存在がある。

この事件の舞台、福岡県北九州市でその活動を地道に行っている人と、その人を通した支援活動に付いても取材している。

積極的に支援を受けようとする人が少ないながら、彼らを頼って、行政の支援を受けながら苦境を乗り切ろうとする人もいるという。

 

冒頭のドラマの台詞に戻る。

助けを求めて、手を差し伸べてくれる人が、必ずしも善人とは限らないかもしれないのだが、声を上げて、とりあえずなりふりかまわず生きる手段を得るということは必要なのではなかろうかと思った。

「いやぁ、今たいへんでよぉ、助けでけんにが」って人に言って頼るのって、やっぱり勇気がいるに違いない。

けれど、頼る勇気を持つこと、なにがしかの支援をするという思いを持つこと、現代の社会には必要なのかもしれぬ。

 

 

 

 

 

2014.01.15:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

254 『フード左翼とフード右翼』

  • 254 『フード左翼とフード右翼』

食で分断される日本人

 

速見健朗:著 (朝日新書  2013年12月30日発行)

 

左翼とか右翼というと、いささか穏やかでない感があります。

あえて、食ということを通して、政治思想というものを考えてみようという試みなのか、或いは政治を通して食を考えてみようというものなのだろうか、そんなことを思いつつこの本を手にしました。

 

ここで著者が言う、フード左翼とフード右翼という分け方は大まかには次のようになる。

自然食         メガフード

ベジタリアン      ジロリアン

有機野菜        遺伝子組み換え作物

ビーガン         牛丼つゆだく

スローフード運動    ファストフード

ミネラルウォーター   水道水

地産地消         B級グルメ

マクロビオテック     ジャンクフード

ファーマーズマーケット コンビニ

というような対比で、まぁよくわからない所もありますけれども、おおよそのイメージを持つことはできるようです。

 

政治思想的な左翼右翼ということでは、前者は革新的なものの考え方であり、後者は保守的な、と言えばよいのでしょうか。細部にわたれば、それほど単純なことではないかもしれませんけれども、私が持つ左右ということのイメージはそんな感じ。

では、この食というものを上で見たような対比で考えると、必ずしも、私がイメージする右左とはちょっと違うのではないかとも感じられます。

 

なぜなら、例えばファストフードというのは、ある意味においては、技術や流通の革新の産物だと考えるからです。国際的な原材料調達と流通形態、大量に安く製造し販売するというのは、昔はありえなかったこと。逆に、スローフードや地産地消は昔はそれが当たり前だったことで、そこに帰って行くというカタチはむしろ旧守的とも思われます。

その点については、著者も述べており、その時代によって革新とは変わって行くものだということなのかもしれない。行きすぎると、また逆の方に戻るというような揺らぎが、食に関してだけではなく政治やその他の分野でもありうることなのでしょう。

 

私の食について言えば、ファストフードあり、地元の食材あり、自然食ありというように、なんでも食す。ある意味では無節操であり、別の見方から言えば偏りがないという表現もある。

外国で生産され輸入されるものが、たいへんずさんな管理なものだというニュースを聞けばやはり良い気分がしなくて、原材料の産出国を確認して購入などということもする。遺伝子組み換えした食品が危ないと聞けば、それを表示で確かめる(危険ではないとこの著書では言っている)。

しかし、コンビニで何の表示もされていない、鶏から揚げなどを平気で購入して食べたりもする。

実際のところ、食物自給率が(ものにもよりますが)低い状態の中で、本来ならば無関心ではいられないこと。右と左を行き来しながら、私たちが口にして安全な物とは何か、ということに関心を持たなければならないのだと、この本を読んで改めて感じた。

フード左翼的な食は、必ずしも日本の食の将来を開くものとは言い切れないということも読みとれる。

狭い国土で高い生産量を上がるために、自然農法からは離れてきたわけである。それに食料の値段が高くなって庶民に手が出ないものになってしまう(あるいはそうなっている)のはおかしなことでありましょう。

食に関心を持つことは、社会や政治にも関心を持つことになる、のかもしれぬ。

というより、私のような食いしん坊には、食が入り口だと関心が高まる、ということでしょうかね。

 

 

 

 

2014.01.07:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

253 『建物と日本人 移ろいゆく物語』

  • 253 『建物と日本人 移ろいゆく物語』

共同通信社取材班 (東京書籍  2012年6月26日発行)

 

日本にある建物と、日本人が関わった建物に関わる話しが49編。

単純に写真を見ただけでも面白いと思う。

けれど、それ以上にその建物にまつわる逸話や物語を知ると面白さは倍増する。

 

この本の、いわゆる腰巻と言われるものに、「人が生きるための場所」と記されているのだかれど、例えば一番最初に出てくる「東京スカイツリー」は、なんで人が生きるための場所なの?と思ったりするのですけれども。

この世界一高い電波塔が、結果的に五重塔のつりさげ型の芯柱を用いた制震構造になったというエピソードが紹介されている。

スカイツリーの設計者は、当初、五重塔不倒伝説は知っていながら、現実的にはその制震能力は証明できなかったという。けれども、結局たどり着いたところはそこだったという。

私はスカイツリーには何の思い入れもないし、できればあんな高いところに昇ってみたいとは思わないのであるけれども、これを読むと少しだけ心が動いたように思う。

 

島根県の三朝町にある三仏寺投入堂(なげいれどう)という、山の岩の上(岩壁)に建つお堂がある。

まるで、修験者の、役行者(えんのぎょうじゃ)がそこに投げ入れたとしか思えないような場所に建っている。

前から気になっていた建物で、これを読んだら、ぜひいつか行って登らせていただきたいと思った。

 

え?高い所が苦手ではないのか?

そうそう。

でも、自力で登ることができる(可能性がある)場所は別なのであります。

2014.01.02:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]