大切なのは、モノを大事にすることです。
モノを尊敬して大事にする精神がないと、技が空回りしてしまいます。
単にすごい形を思いつく人は世界中にたくさんいますが、本当にモノを大事にして、それに即した建築のデザインができる人は、かなり限られます。
ところが、日本には、そういう才能がたくさんある。
それが、日本建築に対する評価の高さにつながっていると思います。
By隈研吾
〔プロフェッショナル仕事の流儀15 File No.45より〕
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チームの力はどこに表れるのか
建築は、すごい人数が深くかかわります。
図面を描く人、構造設計をする人、工事をする人もみな、「私が作りました」といえるぐらい。
言いだしっぺの人が、自分の思い通りに細かいところまで決めてしまったら、他の人はつまらないですよね。
だから、言いだしっぺはダメ人間で、みんなをやる気にさせつつ、
「こいつを助けてやらないといけない」と思わせるくらいの方がいいのかもしれません。
そんな組織の姿が、その建物の空気に露骨に反映されるんです。
組織がいい空気を持っていないと、建物にも悪い影響が及ぶんです。
By隈研吾
(プロフェッショナル仕事の流儀15 File No.45より)
図面を描く人、構造設計をする人、工事をする人もみな、「私が作りました」といえるぐらい。
言いだしっぺの人が、自分の思い通りに細かいところまで決めてしまったら、他の人はつまらないですよね。
だから、言いだしっぺはダメ人間で、みんなをやる気にさせつつ、
「こいつを助けてやらないといけない」と思わせるくらいの方がいいのかもしれません。
そんな組織の姿が、その建物の空気に露骨に反映されるんです。
組織がいい空気を持っていないと、建物にも悪い影響が及ぶんです。
By隈研吾
(プロフェッショナル仕事の流儀15 File No.45より)
~隈研吾のターニングポイント~ 「負けて勝つの原風景」
今や、建築家・隈研吾の代名詞ともなった「負ける建築家」。
その独創的な建築哲学は、三十代の葛藤の日々から生まれた。
東京大学で建築を学び、24歳で設計の道に入った。
6年後にはアメリカに留学。フィリップ・ジョンソンやフランク・ゲーりーなど、世界をリードする有名建築家と出会い、最先端の建築理論を学んだ。
32歳のときに帰国。理論派の建築家として歩きはじめる。
まもなく大きなチャンスが訪れた。大手自動車メーカーのショールームコンペで、斬新な設計プランで勝ち抜いた。
一面ガラスのハイテク風の建物と、ギリシャ建築を模した廃墟のイメージ。
建物が姿を現すと、厳しい批判の声が聞こえてきた。
「環境を破壊している」「バブルの象徴」。いろいろ考えているけど、金に任せた遊びだ・・・。
隈は厳しい評価に沈み込んだ。
(プロフェッショナル仕事の流儀15 File No.45より)
その独創的な建築哲学は、三十代の葛藤の日々から生まれた。
東京大学で建築を学び、24歳で設計の道に入った。
6年後にはアメリカに留学。フィリップ・ジョンソンやフランク・ゲーりーなど、世界をリードする有名建築家と出会い、最先端の建築理論を学んだ。
32歳のときに帰国。理論派の建築家として歩きはじめる。
まもなく大きなチャンスが訪れた。大手自動車メーカーのショールームコンペで、斬新な設計プランで勝ち抜いた。
一面ガラスのハイテク風の建物と、ギリシャ建築を模した廃墟のイメージ。
建物が姿を現すと、厳しい批判の声が聞こえてきた。
「環境を破壊している」「バブルの象徴」。いろいろ考えているけど、金に任せた遊びだ・・・。
隈は厳しい評価に沈み込んだ。
(プロフェッショナル仕事の流儀15 File No.45より)