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「豊かさの中で見失った家庭教育」

今日の教育のあり方を「偏差値教育」などと名づけ、人間性が大切という人は多い。
それでは、人間性を養うという点で、自分は家庭において何をしているのかを考えると、どうだろうか。
いや、自分は忙しい、という人は、「人間性教育」を全面的に学校教育に任せようというのだろうか。

何ごとも経済優先の世の中だから、自分はお金を稼ぐのに忙しく、教育は学校でと割り切るのだったら、学校教育にもっとお金をかけるべきではなかろうか。
教科のみならず人間教育もお任せ、というのだったら、教師の数をこれまでの倍にするとか、教師の給料を倍にするとか、を真剣に考えるべきであろう。

自分がするべきことを他人に任せて、稼ぎを多くし、他人に金を払わないというのは資本主義の理念に反している。

(「人生学ことはじめ」より)
2006.12.09:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「教育・学校」

何人かが集まると他人の悪口を言ったり、こき下ろしたりすることも人間の楽しみの一つかもしれない。
現在は、教育論が花盛り、最後は文部科学省がけしからんとなって一同溜飲を下げる。

しかし、生涯教育が重視される今日において、自分自身の教育はどうなっているか、家族、社会の一員として何らかの意味で教育にかかわっているはずの、自分の生き方などを考え始めると、現在の日本における教育の困難さが身にしみて感じられる。

学校とか教育とかの問題として論じられる前に、日本人あるいは自分自身としての生き方ということを見直していく必要があるのではないだろうか。

(「人生学ことはじめ」より)

2006.12.08:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]

「地域の原点をみつめ新しい可能性を拓く」

 民族研究家の結城登美雄氏(山形出身、仙台市在住)は、15年で600ヶ所以上の農山漁村を歩き、住民との会話で得た知恵を地域に活かす活動を続けてきた。
 与えられた自然条件を生かし、この地に住むことに誇りを持ち、一人一芸何かをつくり出す。何百年も生き抜く知恵がそこにはある。
 村には、”つくる豊かさ”がある(自給)。足りないものは、相互扶助によって補い、それでも不足するものだけを市場の力を利用して間に合わせた。現代はこのバランスがくずれ、ほとんどが市場の力、つまりお金によって賄われている。我々はもう一度”つくる力”を取り戻すべきではないか、という。
 沖縄では、食は”ぬちぐすい”(命の薬)といい、村では、自給の畑をもち、”ゆんたく”(おしゃべり、お茶のみ)を楽しみ、”ゆいまーる”(共同作業)で相互扶助により生活を楽しんでいる。少子高齢社会を生き抜く知恵は村の中にこそある。
2006.12.07:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

水の中にいて渇を叫ぶ

“会社にとって一番大切なのは、金でもなければ設備でもない。それは従業員の心である”とは、ホンダ技研の本田宗一郎のことばであるが、どこでも人材不足を嘆き、社員の能力向上対策に一生懸命である。

それも、従業員の異動は激しく、企業規模は拡大していきつつある状態にあっては、とくに中堅幹部の能力をいかに向上するかが焦眉の急と考えている。
人材がいないのではない。人はいながら、人材はいないといっているのが現状ではなかろうか。

その姿は、洪水の中に飲み水なしというか、水の中にいなから喝を叫ぶ姿そのものである。トップ層は、いますぐ役にたつ人間、あるいは放っておいても自己啓発をして、経営者が期待する仕事をしてくれるような人の不足を訴えているのではなかろうか。

悠然として流れる水を飲用に適する水に変えるのは、それを生かす人の能力であり、知恵である。部下の能力アップをはかるより、だれでもがそのとおりにすれば、立派な仕事ができるような仕事の仕組みをつくるのが経営者の仕事なのである。

子は親の鏡というが、トップ゚の姿勢が問題なのである。親が模範を示す。しつけをする。よい家風をつくることが必要なのだ。
理屈ではない。毎日毎日の現実の仕事のあり方、習慣をどのようにしていくかである。その基本がしっかりしていれば、だれでもが一番よい仕事ができるのだ。

各人の頭で考えさせるのではない。しきたり、しつけをこしらえるのである。たとえば、出退勤管理についてみると、タイム・カードは長に手渡しするとなると、責任者は部下より早く出勤するだろうし、カードの手渡しを通して、朝のあいさつから仕事の打ち合せ、健康状態をも含めて、人員の掌握ができるであろう。

この考え方を、執務のすべてに及ぼしていくことだ。人さえいれば、仕事ができるような仕組みや、システムづくりをするのが各人の能力アップより大切なことであることを知らねばならない。人材不足をいうのは、トップの怠慢といわれてもいたしかたないであろう。

2006.12.06:反田快舟:コメント(0):[経営箴言]

「諍いの中から学ぶ距離感」

 私たち人間が生存を脅かされた場合、これと戦うということは極めて自然の行動で、非難されるべきことではない。
子供同士のけんかや殴り合いも、同じように自己主張のための活動力だ。

 また、人の所有物をとりたいという衝動は、人間誰にでもある。しかし、とっても罪の軽いもの、重いもの、さらに絶対にとってはならないものがあるということを見分けていかねばならない。
そのためには、子供のうちから小さな悪の体験を積み重ねていかねばならない。

 けんかや殴り合いにしても同じだ。子供の頃から小さなけんかや殴り合いをしていれば、暴力の加減が分かってくる。

(「人生学ことはじめ」より)
2006.12.06:反田快舟:コメント(0):[自分を見つめる]