勝負を知るための判定法には、種々あるが、孫子は六つの着眼を上げている。
①将いずれか能ある
経営者なり、その部門の長は、どちらが優秀か。リーダーの能力をみれば勝敗ははっきりする。
②天地いずれか得たる
環境はどちらに味方しているか、戦いの立地条件はどうか。
③法令いずれか行われる
定められたことがよく守られ、規律が保たれているか。乱れている方には勝ち目はない。統一と指導性が問題である。
④兵衆いずれか強き
社員はどちらが優秀なのがそろっているか。
⑤士卒いずれか練れる
チームとしての団結力、訓練、しつけの程度はどうか。いかに個々人が優れていても、命令一下、力を結集することに欠けていては、勝負はすでについている。
⑥賞罰いずれか明らかなる
士気というものは、賞罰をはっきりしなければ上がらない。信賞必罰というが、どちらが明確に実施されているか。
以上をチェックすることにより、戦いを見なくても勝負はわかるというが、これを現代訳になおすと
業績はその長の責任である。長たるものは、能あるだけではダメで、これを行動に移せる人でなければならない。
能とは、知能をいう。経験と知識をもち、よく情勢を分析し、敵に勝る有利な条件で戦わねばならない。それがためには、決断力、判断力が優れていなければならない。
また、経営は個人の力で行うのではなく、経営方針、経営目的に結集した社員の総合力が必要である。
団結の中心になるのは規則であり、これを守る規律である。決められたことを守ることから、個は個でなく、全体の一環として働くのである。
力を一つの方向に結集するためには訓練を重ね、一人ひとりを精鋭に鍛え上げる。さらに、やる気を出させるためにも、信賞必罰をはっきりさせ、それにも増して、深い愛情が必要である。そして、それらの総合力の差が勝負を決めることになろう。
”我これをもって勝負を知る”と孫子は結んでいるが、さて、わが社はどうであろうか。
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