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今日の朝、雲がきれい

  • 今日の朝、雲がきれい
朝、娘を高校に送りに藤島に向かって走っていたら、東の山並みのデコボコが雲におおわれていて、上の方が平らになっていました。結構すごい景色でした。娘と二人でプチ感動してしまいました。
2010.09.01:yuchan:[いろいろ記事]

アダルトサイトの請求でお困りの方へ

よくあるトラブル。アダルトサイトを閲覧していると、正規会員登録されました。○○円お支払い下さい。みたいなのが画面にあらわれ、あと何時間以内にお支払い下さい。という表示が数分に1回表示される。基本的には、無視していいのですが、典型的な「ワンクリック詐欺」です。払う必要はありません。でも、請求画面がうるさいですよねえ。その場合以下の方法で復元する場合があるので、試してみてください。「スタート」「すべてのプログラム」「アクセサリー」「システムツール」「システム復元」その画面の右側の一番上の「コンピュータを以前の状態に復元する」をえらび、画面の通りに進でOKです。ヤフーの知恵袋に「アダルトサイト請求」で検索すると、いろいろな対処法が出ています。くれぐれもお金を払わないように。詐欺です。
2010.08.29:yuchan:[いろいろ記事]

平成の大合併とはなんだったのか

「平成の大合併」とは何だったのか
-合併検証の課題-
福島大学行政政策学類教授 今井 照
「失敗」は「成功」
平成の大合併とは何だったのかということを考える一助として、現在、地域内の有識者層に対する全国アンケートを実施している。合併前にどう考えていて、合併後はどう評価しているか、地域内の各層によってその傾向には特徴がみられ、また自由記入欄からも切実な声が聞こえてくる。年内には結果をまとめるつもりで集計を急いでいる。

論文検索サイトを利用すると、平成の大合併に関する論文や単行本は約3000にのぼる。市町村合併が日本の市民社会にとっていかに重要な問題であったのかがわかる。ただし、大部分は合併前に書かれたもので、推進的立場にしろ、批判的立場にしろ、「合併したらどうなるか」という将来の問題としてとらえられたものが多い。合併して(あるいは、合併しなくて)どうなったかという検証は案外少ない。

これまで実施されてきた自治体の首長、議員、役所などに対するアンケートは、当然のことながら合併について現状肯定的な結果になっている。その逆に、合併しなかったところがほとんどを占める町村会や町村議会議長会が中心となってまとめた合併検証レポートは、批判的なアプローチが多い。新聞社が実施してきた市民意識調査では、市民の半数は合併について無関心で、残りの半数を合併肯定と合併否定で分けるというのが一般的な傾向である。市民の半数が無関心という事態そのものが大問題であるが、いずれにしても、立場によって今回の合併をどうみるかという見解がかなり異なることはわかる。

 私は2008年に出した著書(『「平成大合併」の政治学』公人社)のまえがきで「今回の市町村合併は、どこからどうみても失敗であった」と書いたが、このような情緒的な表現は研究者としていかがなものかという批判をいただいた。確かに、「失敗」を意図して合併を進めた人たちにとっては、むしろ「成功」だったのである。もっと冷静に、客観的に今回の市町村合併とは何だったのかということを描き出さなければならない。

昭和の大合併についてのすぐれた検証研究は合併期以後5年程度で刊行されている。それ以上、時間が経過すると合併や非合併による影響なのか、その他の要因によるものなのかが判別しにくくなってしまう。合併の成果は 10年、20年しないとわからないというのは、検証作業をサボタージュする先送りの論理にすぎない。ここ1、2年こそが合併検証にとって最適の時期であり、最後の機会ともいえる。

「美しい」誤解の数々
今回の合併について調べていくと、多くの誤解によって成り立っていたことがわかる。単純なことからあげると、「合併すれば地方交付税が減らないので、合併したほうが得」とう自治体側の誤解がある。合併前に首長が市民に対してそのように説明していたこともあったし、合併後は「減らないはずだったのに減らされた」という発言もよく聞く。

あらためていうまでもなく、合併すれば地方交付税はむしろ減額される。旧市町村が交付されていた総額を下回るからこそ、特例的に期間限定で激変緩和措置がとられるのである。このことに限っていえば、合併しないほうが合併するよりは得である。また、ほとんどの場合、合併後10年間は現状維持という計算になるはずであるから、少なくとも、今の時点では合併による減額は生じていない。実際に地方交付税が減っているのは合併以外の要素であって、これは合併しようがしまいが同じだ。

 こういう誤解で心配なのは、合併してから 15年後、合併特例措置がなくなったころに生じるにちがいない混乱である。シミュレーションしてみると、合併した自治体の地方交付税は、合併15年後に少なくとも3割程度は減額される。その時期は合併特例債の償還時期のピークにあたる。いずれもほぼ確実にやってくる。このころになれば、合併を決断した当事者たちは第一線を退いていることだろう。残されたものがその重荷を背負うことになる。

第二の誤解は、「苦しいけれど、国の財政をよくするためにはしかたない」という考え方である。合併した自治体の市町村長たちは「合併は時代の流れ」「避けて通れない道」と市民に説明してきた。これは、自分たちが犠牲になっても将来の国の財政のためにはしかたないという美しい精神のようにもみえるが、もし前提となる事実が異なるとしたら単なる自虐的自傷的行為である。

総務省に置かれた研究会は合併による財政効果として、10 年後に約1兆8千億円という数字を出している。一般人からみれば、1兆8千億円というのは途方もない数字であるが、地方財政計画を分母とすれば約2%にすぎない。地方財政計画にとって2%とは誤差の範囲内で、現実に、毎年、この程度の増減がある。地域社会がこれだけの犠牲を払って実現した市町村合併が誤差の範囲内であり、しかもそれは10年後になって実現する数字だとしたら、あまりにも切ない。

現在、人口1万人以下の市町村の地方交付税は全体の約5%である。小規模市町村を絞れば地方交付税が浮くというのも誤解にすぎない。全体の5%の中をたとえ2割削減したとしても、全体では1%の削減にしかならない。しかし2割も削減された小規模市町村にとっては多大な犠牲を払う。全体の効果はきわめて少ないのに、個々の地域社会にとってはまさに致命傷となる。

「鰯の頭も信心から」
第三の誤解は、誤解の中でも最大のものだ。それは「合併すれば行財政の効率化になる」というものである。今回の合併が国政の政治家によって唱道され、地域内の企業家グループによって後押しをされたというのは、ほぼ間違いのない事実だ。彼らがなぜそのような行動に出たのかは、いまだにはっきりとしないが、確実なのは、その背景に合併すれば行財政の効率化に繋がるという、ほぼ「鰯の頭も信心から」にも似た誤解がある。

2007年の参院選で自民党が大敗したとき、自民党自身の総括の中に、市町村合併によって選挙の動員力となる自治体議員が減ったからというものが含まれていた。執筆日時点では不明だが、ひょっとしたら今回の総選挙でも似たようなことがいわれるかもしれない。もしこれが現実であればこの程度のことは予測可能であったし、実際にそのような指摘もあったわけだから、あえてそれを承知しつつ、国政の与党が自分自身の身を削るような合併を推進したということになる。さすがにこれではあまりにも非合理的な行動である。

国政与党がこのような非合理的行動を取った原因を推測してみると3つの可能性がある。第一は、単純に誤認していた、そうなるとは思わなかったというものである。第二は、そうなると思っていたがあえてそうした、第三は犠牲以上にもっと得になることがあったということが考えられる。

まず第三の可能性から考えてみる。地域社会には合併騒動によって得をした人たちがいる。しばしば「合併バブル」と呼ばれたが、「合併バブル」は合併後に来るのではなく、ほとんどは合併協議過程の「合併前」にきている。これまで貯めてきた積立金を合併前に取り崩し、地方債をたてて事業を実施し、合併後の自治体にその債務を先送りする、というのが合併自治体の一般的な行動だからである。

債務を背負うのは新しい合併後の市民だが、当然のことながら、合併後の市民は合併前の市民によって構成されている。好意的に考えれば、市民にとっての損得は中立的だが、その一方で事業は既に実施されており、その支払いは済んでいるわけだから、得をした人たちがいる。つまり、このような人たちに支持される国政政党が合併を推進したということが考えられる。こう考えれば、合併が行財政の効率化に繋がるというよりはむしろ、合併こそ最大のムダ遣いといえる。

第二の可能性について、もちろん個人レベルで自虐的自傷的な性向があることは認めてもよいが、国政を担う政党がそうで、市民や地域社会の犠牲を巻き込むとしたらあまりになさけない。

企業合併との錯誤
問題は第一の可能性で、どうして合併が効率化に繋がると誤認したかということだ。私の推測によれば、このような人たちは市町村合併を企業合併と似たようなものと理解していたにちがいない。銀行やスーパーをはじめとした各種の企業合併の主たる狙いは、シェアを拡大し、特に国内の競争環境をできるだけ排除してグローバル化に備えるというものである。つまり消費者側の利益を圧縮して、その分、企業側の行動が自由になるように意図されたともいえる。

しかし市町村はもともとシェア100%であり、合併しても単純に人口や面積が加算されるだけにすぎない。消費者と企業との関係のように顧客のダブりはなく、その点で合併効果は生じない。確かに首長や議員の数は減るが、直接的な効果はそれだけで、もし合併による効果を追求すれば、中心部に投資を集中し、周縁部を切り捨てていくことでしか成り立たない。企業合併では、集中化された投資でこれまで以上の成果があげられればそれでもよいが、市町村はすべての市民と地域に対するユニバーサルサービスが前提であるから、そういう意味でも効率化は進まない。むしろ大規模化することで非効率化する可能性のほうが高い。

一方、前述のように、合併すれば否応なく財政規模は縮小される。効率化の果実がないままに、全体が縮小されるのであるから、合併は住民側に犠牲を強いて、役所が生き残ろうとするシステムにすぎないのである。国政政党や地域内の企業家グループがここまで理解して合併を推進してきたのであれば、別の意味で感服するが、おそらくそれほどの悪意からではなく、善意から誤認しているだけだろう。地獄への道は善意で敷き詰められているのである。

大規模化すれば効率化するという素朴な誤解が道州制論議でもみられる。政治的、市民自治的な側面からみれば、合併には一理もないが、効果があるとみられた経済的合理性や効率性からみても合併には何の一利もない。これらのことは学問的世界では常識レベルであり、昭和の大合併の検証時にもそのように主張されてきた。なぜ同じ過ちを何度も繰り返すのかといえば、やはりみんなの犠牲によって誰かが得をしているのではないかという疑念が拭えない。

今井 照(いまい あきら):1953年生まれ 東京大学文学部社会学専修課程卒業後、1977年より、東京都教育庁(学校事務)、大田区役所(企画部、産業経済部、地域振興部等)勤務。1999年より現職。近著に、『「平成大合併」の政治学』公人社、『市民自治のこれまで・これから』公職研、『自治体政策研究ノート』公人の友社、など。雑誌『ガバナンス』に連載を掲載中。
2010.08.28:yuchan:[いろいろ記事]

建設弘済会解散について

 前原誠司国土交通相は6日、国交省発注の業務をほぼ独占的に受注している同省所管の公益法人、建設弘済会について、事業を段階的に民間へ移管したうえで、3年以内を目途に解散させる方針を明らかにした。全国の空港で駐車場を運営している公益法人の空港環境整備協会(整備協)についても、事業を大幅に縮小する考えを示した。

 両法人とも国交省からの天下りの受け皿になっており、建設弘済会には4358人の職員のうち548人が国交省OB。一方、整備協にも68人の国交省OBが天下っている。前原国交相は会見で「天下り団体をなくすという毅然(きぜん)たる態度で臨む」と強調した。

 前原国交相は建設弘済会について今後、外部有識者を交えた検討チームを省内に設け、民間事業者への事業譲渡や職員4千人の再就職について検討する方針を示した。弘済会が保有する預金や有価証券など計約420億円の資産の一部を職員の退職金などに充当し、残りを国庫に寄付する。

 一方、整備協が保有する約170億円の資産について前原国交相は「(空港の)駐車場料金の値下げに使うのか、国庫にどの程度寄付できるのか今後議論していきたい」と述べた。

感想:当然ですよね。4000人の再就職先の確保が問題と言うが、それこそ官の論理であって、民間なら再就職先は保障されないのが常識。ハローワークに行って職をさがすのが当たり前なのだが、ハローワークには、こんなおいしい就職先は絶対ないし、それがわかってるので、醜く屁理屈つけて反対するだろうなあ。それと、3年後政権が代わっていたらどうなるんだろう。自民党時代は温存されてきたわけだし。官の常識 民間の非常識!
2010.07.07:yuchan:[いろいろ記事]

中高年に必要なのは情感を満たす性愛です

高樹 のぶ子
対談
渡辺 淳一
「枯れない人」になるために
中高年に必要なのは
情感を満たす性愛です
たとえ好意を持っていても、一歩踏み出せない人が老若男女問わず増えている昨今。
生涯¨現役¨でいる秘訣から、異性の思いを知る方法まで、
恋愛と性を描き続けるおふたりが語り尽くしました。
ラクで簡便な愛ばかりの時代
高樹 最近、恋愛することに臆病な人がすごく増えた感じがします。恋愛感情が100あったら98は成就しないのだから、ダメもと精神で、行っちゃえばいいのに、傷つくのが怖いのね。

渡辺 男が元気をなくしちゃってるからね。本来口説くのが男の仕事なのに、それをしようとしない。
高樹 だから、女性の側が動かないと、恋愛が成立しないんですよ。
渡辺 男の性って、イマジネーションだけで満たされて、射精にまでゆきつける。その意味では自立した性だからね。女性の体がなくても、十分な快感を覚え、まっとうできるところがあって。
高樹 あら、女性にもセルフサービスで快楽を得る人はいますよ。
渡辺 自慰でも得られるかもしれないけれど、本当の満足を得るには、男性に優しく抱かれたり、愛撫されて、性的な興奮が、高まって結ばれる、というプロセスが必要でしょう。でも男は一人で完結できる。
高樹 でも、それと恋愛におけるセックスの快楽とは、全然違うでしょう。
渡辺 たしかに違う。でも、快感に関してだけ言えばほとんど変わらない。いや、自慰のほうが自己中心な分だけ、満足感が高いかもしれない。それに較べると、女性と結ばれるまでの恋愛や結婚に伴う煩瑣な条件を考えると、一部の男性が自慰に走って満足するのは仕方がないかも。
高樹 煩瑣ねえ、セックスも面倒なのかな。自分とは全く違う対象に欲望を覚え、自分のほうに引き寄せ、あるいは相手に歩み寄り、なんとか関連性をつけていく、という行為そのものが。
渡辺 それが望ましい姿だけど、結婚している夫でも、妻に、「今夜いい?」「眠いから明日にして」「そこをなんとか」みたいなやりとりが面倒で、一人でポルノ見てオナニーをしているケースって多いんじゃないかな。ラクで気をつかわなくてもいいようにと、そこだけ求めていったら、やがてはお互い触れ合わず、オナニーするという形になっちゃうかも。
高樹 生身の女性よりもアニメのキャラクターに欲情する人も出てきたでしょう。生理的に人間が変わってきちゃったのかな。
渡辺 生活が簡便でラクな方向へ動いていくと、風速も変わり、やがて愛まで変わっていく。でも愛にかかわる人間関係の煩瑣を否定するのは怖いことですよね。本当は楽しくて素敵なことなのに。
年をとるのは性的にもチャンス
高樹 中高年の場合、恋愛に臆してしまうのは、自分の容色の衰えを自覚しているから、ということもありますよね。加えて男の人は精力の衰えもある。もうオジサンだしオバサンだし、という負い目を乗り越えて、一歩踏み出すのはたいへんなエネルギーがいります。渡辺さんは、そのあたりはどうしていらっしゃるの?
渡辺 いや、僕は年をとることって、ある意味でチャンスだとおもっているのね。なんか、年齢とともに、少し自信が出てきたようで。
高樹 性的自身が!
渡辺 ほとんどの男性は、セックスというものを、「あそこをがんばらせて、一生懸命やればいい」と思っているけど、性の快楽ってそんなものじゃないでしょう。それより、優しく抱き寄せてゆっくり愛撫する、素敵だねと言葉をかける…そうした情感が満たされれば燃えあがるのに、かなりの男は、へたなモノを入れて激しく動いて終わり、ですよね。
高樹 みんなわかってないから…。
渡辺 そう、自己というか、男性中心の考えが強くて。
高樹 ただ、若いころのように自分のモノでは、もはや相手を満足させることができないという男としての哀しみみたいなものはあるでしょう。
渡辺 それはある程度仕方がない。でも愛撫にはいろいろな方法があるから。ある年齢から、男は射精しなくなるんです。交感神経が強くないと射精ってできないから。
高樹 だけど、射精しないと男の満足は得られないんでしょ?
渡辺 そういう満足じゃなくて、愛する女性が満足する姿を見る満足。
高樹 ふーん、女性が満足すれば、射精しなくてもおとなしくなるんだ。
渡辺 そもそも、なぜ男が女性に対して一生懸命セックスしたり、愛情をかけたり、お金を使ったりするかというと、自分というものを受け入れ、愛するようにさせるため。それが男の快感だから。
高樹 なついてくれる人がいい。
渡辺 なつくというか、優しく受け入れてくれる人、自分の意見に賛成してくれる人。
「背中掻いて」といったら、すぐ掻いてくれる人。男は、そういうことで受け入れられ、
認められて強くなる生き物だから。
高樹 だから、男性が年齢を積み重ねて弱くなってきたら、女性もそのぶん優しくならないと成立しない。
渡辺 いや、違う。
高樹 えっ?違うの?
渡辺 無理して合わせるというのでなく、愛で満たされていたら、女性は自然に優しくしてくれますよ。
高樹 なるほどね。でも、いぬにちゃんとえさをやれば、なついてくれる、みたいな感じもするけれど。
渡辺 つまり僕がいいたいのは、射精する能力が衰えても、カバーする方法は十分にあるということ。広い意味でのスローラブかな。それを実行していけば、それなりの存在感を持つことができる。自分がここまで尽くして、その結果、女性はこれだけ自分につくしてくれるんだ、と。
高樹 じゃあ、単純に射精だけが男女の関わりだと思っている男性は、年をとったとたんにコミュニケーション能力がガクンと落ちますね。
渡辺 定年になって奥さんに突然冷たくされる男は、そのタイプかも。
いい男の陰に年上女性あり
高樹 今のお話、ぜひ男性に聞かせたい。すごく勇気づけられると思うな。「オレはもう勃たないから、女性とはかかわれない、恋愛できない」とあきらめる必要はないってことですよね。いっぽう、私たち女性にとっても、自分がいつまで性的な対象でいられるのかはとても気になるところ。私、酔っぱらうとついリサーチかけちゃうもの。「ね、私を抱ける?『うん』っていっても、『ではひとつよろしく』とはいわないから、心配しないで正直に答えて」って(笑)。この年になると、男性が40歳だったりすると、この人にとって私は女か女でないかを考えてしまうわけですよ。
渡辺 僕は40代のときに60歳になったばかりの女性と関係したことがありますよ。
高樹 ほんとに?それ、私の夢なんですけど。ぴちぴちギャルがいっぱいいるのに、60歳の彼女のなにがよかったの?
渡辺 セックスが素敵だった。それからそこまでの過程も素敵で。その人のご主人とも僕は知り合いだったんだけど…。
高樹 じゃあ、そのご夫婦の間にはセックスがなかったのね。
渡辺 ところがね、あるパーティーでご夫婦といっしょだったとき、奥さんに「渡辺さん踊りましょうよ」と誘われたんです。そして踊っているうちに奥さんが吸いつくようにぽったり体をつけてくる。それで僕があって、「ご主人、見てますよ」とささやくと「いいのよ。あの人、こうすると興奮して今夜私を抱くの。だから、もっとくっついて」って。
高樹 かなりの女性ですね、それは。
渡辺 そんなことをしているうちに、関係ができるのは当然でしょ。
高樹 当たり前です。その人がベッドで若い男をどれだけ狂わせるか、想像がつくなあ。
渡辺 そのころ、僕にはほかにも女性がいたのに、奥さんの方にひかれちゃった。セックスもいいけど、とにかく雰囲気がいい。なんともいえない柔らかな。
高樹 ああ、包んでもらえるような大きさがあったんですね。いいお話。
渡辺 年齢を重ねた女性の方が素敵ですよ。そう思う男は少なくないと思うな。
高樹 私のリサーチによると、何歳の女性までならOKかという線引きは、その男性の年齢には関係なく、女性へのキャパシティ次第。これまで私が恋したいい男たちや、たいてい若いころにうんと年上の女性とつきあった経験がある。そういう経験を持つ人は、女性のキャパも広いんですよ。年齢じゃなくて、その女性の持っている何かに感応する力が磨かれているっていうのかな。それって、いい男の必須条件ですよね。
渡辺 僕の初体験は18歳だったけど、全然うまくできなかった。でも、その後長くつきあった7歳年上の洋裁学校の先生とは、素晴らしい体験をしたな。
高樹 ね、だから、渡辺さんもキャパが広い。男の人にも、もう少し豊かになってほしいと思うな。シワの数にごまかされないで、女性の中のセクシーさに反応する感性を持ってほしい。そうすれば、お互いにときめくことができるのに。つまらない男ほど「女は若い方がいい」といいますよね。
渡辺 うん、なにもわかっていない男はいっぱいいるね。妻がヨン様に夢中になり、韓国まで追っかける姿を見て「バカなことをしてる」と冷笑する夫がいるじゃないですか。でもバカなことをさせているのは自分だ、ってことに気がつかないんだな。自分がつまらない夫だから、妻はヨン様にときめくことで満たしているのに。僕は日本中の中高年の女性に、もっともっとときめいてほしいと思う。ときめく相手は、ヨン様でもだれでもいいから。
本命か遊びかを見抜く試薬とは
高樹 日本の男性は女性に対して言葉が足りないと思います。渡辺さんには、決めゼリフはありますか。
渡辺 素敵な部分をほめることかな。
高樹 でも、ほめるって案外難しい。相手が自信を持っていて、かつ客観的に見てもいい、という美点をまず見つけ出さないことには、的はずれになっちゃう。
渡辺 いいの、的はずれでも。とにかく言葉が大事。「今日はキレイだね」「肌が輝いている」など、顔をほめるのが難しかったら「ヘアスタイルが決まってるよ」とか。日本の男はそんなことをいうと軽く見られると思うのか、あんまり女性をほめないよねえ。でもある意味、心を入れなければほめるのは簡単なんだけど。
高樹 心を入れないと、相手に見破られてしまうのでは?
渡辺 そんなことはない。ほめられればだれだってうれしい。
高樹 いわれ慣れしている人も?
渡辺 それでもほめる。「高樹さん、最近、とってもいい小説を書いていらっしゃいますね」っていわれたら悪い気しないでしょ。
高樹 当たり前です。もっといって、もっといって、と思う。(笑)
渡辺 それと同じですよ。
高樹 じゃあ、この女を口説いてベッドに誘いたい、というときは?「素敵だよ」「キレイだよ」だけじゃなく、「君と寝たい」とか「君の体に触れたい」という決定的な言葉がやっぱり必要じゃないの?
渡辺 もちろん。最近の男はそれをいわない?
高樹 その一言がないために、いっしょに食事に行ったり、飲みに行ったりはするけれど、その先へ進めず、相手の気持ちを測りかねてうじうずする女性が多いんですよ。渡辺さんのようなアグレッシブな男性は近頃とても少なくて、恋愛も結婚も女性が主体にならないと動かない時代です。それを見ていると、男に使う「試薬」脈ありかどうかを判断するものとは何なのかを、女性たちに提示してあげたいの。
渡辺 なるほどね。ただ、男から口説くときに、相手の行為の度合いをテストする方法はあるよ。僕は愛のテスティングって、いってるんだけど。
高樹 試薬とはまさにそう、テスティングなんですよ。
渡辺 たとえば、いっしょに飲んでいて、だいぶいい感じかな?もう一歩近づきたいなと思ったら、「これ、うまいよ」といって、口をつけたグラスを差し出す。受け取って飲んでくれたら有力。
高樹 ええっ、私も飲みますけど、有力かどうかわからないですよ。
渡辺 でも、嫌いな人のなら絶対飲まない。それから、バーのカウンターで並んで座っているとき、軽く膝を触れあう、パッと引かれたら可能性なし。触れたまま黙っていたら、可能性あり。また、「ねえ」と軽く肩に触れ、さらに紙に触れても避けない。そこまでいったら、かなり有力。
高樹 今おっしゃったことを女性が男性にした場合、嫌がる人はいませんよね。男は女に触れられてイヤだとは思わない生き物ですし。でも、女は好きな男ならうれしいけど、好きでもない男だと嫌悪感を覚える。そこが根本的に違うところで…。
渡辺 たしかに、女が男の気持ちを測るテストとしては、少し違うかも。
高樹 いよいよもって、女性が主体的に関係をつくっていこうとするときの困難が見えてきましたねえ。
渡辺 あと、女性は何でもハッキリさせたがるじゃないですか。でも男は、あんまり本当のことをいわない。今抱き合っていて幸せなのに、明日はどうするの?昨日は何をしていたの?と、問い詰められるのはうっとうしい。昨日は他の子とデートしてた、なんていえないでしょう。
高樹 女にとっては問いかけること自体が愛なんですよ。大切だからこそ、自分は本命なのか遊びなのか、試薬を振りかけながらリサーチする。男は真実に対して受け身で、女は真実の追究者だから、そのせめぎあいがおもしろくもあるんだけど、女としてはいらだちが出てくる。
渡辺 僕のことが好きなら、僕の好きなようにさせてほしい。そんな気持ちになることもあるね。
高樹 それって、究極の男のわがまま。そういう男女の決定的な違いによって、恋愛のあらゆる懊悩が出てくるんです。でも、幸せですね、渡辺さん。そんなことをぬけぬけといえる男性はめったにいませんよ。
渡辺 高樹さんのいいたいことはよくわかりました。これまで女性は受け身で積極的に自分から動くことがなかった。それを変えたいという、それは大切なことだよね。
高樹 私は女性たちに、記憶のどこかにこびりついている、人を恋うるやるせなさを思い出してほしいの。人を好きになって損はありません。若くなろうとするし、キレイにもなるれ。満たされない結果に終わっても、恋はしないよりしたほうがいい。
渡辺 もう何歳だから恋はできない、ときめつける必要はない。年をとればとるほど個人差が大きくなる。「最近の若者」とか「最近の30代」とひとくくりにできても、60代、70代になると共通項がない。老けこんでいるいる人もいるし、活発な人もいて、ひとつにくくれない。60歳の女はダメ、なんていっている男は、最初から相手にしないことですよ。もっともっと柔軟な男がこの世にはいるから。
高樹 なんだか私、欲が出てきちゃった。40代の男を探して、悪魔的なかわいい女になる。よし、がんばるぞ、という気持ちになりました。
2010.01.31:yuchan:[いろいろ記事]