驢馬さんが来てくれました。駅から徒歩10分ほどにある大千醤油店さんから「シソの実漬け」を購入されたようです。お店の方ともすっかり顔馴染みになられたようです。ありがたいことです。
そして今回はお土産を持って来てくれました。「いなかのしろうさぎ」と新しく創作された「いなかのしろうさぎ2」を数十冊持って来てくれたのです。興味のある方に差し上げて下さい、とのことです。駅茶に置いていますので、どうぞお申し出下さい。
驢馬さん、ありがとうございます。また遊びに来て下さい。
米屋こうじさんが鍬を振るっている。土の下には線路のバラス風の石がゴロゴロ。米屋さんの鍬は何度も跳ね返される。その姿を見ていた人が小さな声で話し合っている。
「米屋さん何しったなや。」「ヒマワリを植えるんだど。」「あんな石ころゴロゴロの場所では、鍬の刃などすぐダメになるんでないがぇ」「米屋さんはホームセンターから、開墾用の鍬を買って来たんだと」
先月、成田駅のアジサイの写真を撮りに来た人がいた。「アジサイのエリアが狭くなってますね」と言いながら、「これじゃ写真を撮ってもしょうがないな」というような顔をしていた。
「アジサイの区域は去年と少しも変わっていないよ。アジサイの風景を守るために、私らの苦労を知っているのか? 貴方は貴方が撮りたい写真のために、汗をかいたことはあるのか? 」と言いたかった。
米屋さんは、この荒れ地にヒマワリの種を植えようとしている。成功するかもわからない。けれどもやらずにはいられなかったのだろう。かつて山形鉄道創業時に、社員の気持ちを一つにしようと「みんなで桜の樹を植えないか」との運動が生まれたそうである。山形鉄道が厳しい今、みんなで○○を植えないか、と声を掛け合っていきたいと思う。
成田駅周辺の環境整備に取り組み、数々の受賞にも輝いた「成田駅前生き生きボランティア」は、平成7年度のモミジ広場の造成事業を最後に、その後を「おらだの会」に委ねて解散することになる。平成8年(1996年)4月のことである。
上の写真は平成8年7月に撮影されたものである。広場のシンボルとなったモミジの巨木が奥に見えているが、枯木となって倒木の危険が出たため、平成25年(2013年)7月4日に伐採された。
下の写真は平成9年(1997年)11月9日に撮影されたもので、生き生きボランティアの先輩方とおらだの会の家族が芋煮会をしているところです。「広場に集う」この一枚には、30年という時間の中で消えた地域の姿があり、私達が活動の先に追い求めている夢の一コマがあるような気がする。
現在展示している「30年の歩み」展に関して、幾つかのエポックを紹介したいと思います。
写真は1987年(昭和62)7月に、首都圏にお住まいの高橋裕一郎さんが撮影されたものです。山形鉄道が第3セクターとして再スタートする2年前の駅前風景です。よく見ると事務室側の屋根には煙突があり、正面入口の前には発泡スチロールの箱に花が植えられているのが見えます。
この当時、各町内毎に若衆会という組織が続々と生まれたのでした。町内の清掃活動やソフトボールなどのスポーツ大会、そしてお花見会などをとおして、青壮年の親睦を図っていくことを目指したものでした。当町内でも下宿親睦会が生まれ、その活動の一環として、駅前広場の清掃活動を行っていたのでした。
おらだの会が発足したのは1996年(平成8)ですが、誕生のベースには下宿親睦会や生き生きボランティアといった先輩方の活動の歴史とその姿があったのだと思います。
【おらだの会4】