いよいよ明日になったのですが、天気予報は「雨」。会員は「何とかさんなね」と、脚立に登ってテントを張りました。悪天候かとは思いますが、足を運んでみて下さい。
そして駅茶(旧駅務室)の展示をご覧下さい。「泉米会」の皆さんの写真と「長井雪ざさ短歌会」の皆さんの短歌、さらに「柳華書道会」の皆さんの流れるような筆づかいをお楽しみ下さい。そして東京からおいでになった林さんのように、一句ひねってみて下さい。今展は「参加型展示会」です。どうぞお楽しみ下さい。
いよいよ明日は、長井線祭りである。成田駅にもたくさんの方が来てくれることを期待しています。おいでいただいた皆さんに、今展のこんな風な楽しみ方もあるのでは、と思える作品を紹介したいと思います。
写真は上西靖弘さんの作品である。ホームで手を振る二人の姿を映したものですが、服装も若々しくダリア号の彩りと重なり、防風林とのコントラストが際立っている。さらに列車が進む南の空には、未来を象徴するかのような残雪の輝く山並みが見える。爽やかな春風に包まれたホームの風景である。上西さんには特にお願いして、自身で句を詠んでもらった。
「残雪に彩り添えるダリア号 手を振る人に春風が舞う」(上西)
これに対して貫司さんの句は、先の吟行会の際に見た羽前成田駅の防雪林の姿を詠んだものであろう。蔦に絡まれた防雪林に向けられた視線の向こうには、若い頃に見た手入れの行き届いた杉木立の風景が見えていたのではなかろうか。現在の姿を見ながら、過去の賑わっていた駅の風景を重ねているのである。この駅と共に生きて来た人の視線が、この句にはあると思うのです。
「無人駅となりて人手の足らざるや 防風の杉木蔦に絡まれ」(貫司)
中島みゆきの「ホームにて」という歌もあるが、駅での別れを詠んだ作品にとくさんの句がある。
「長井駅に就職列車を見送りき 15のわれらただに明るく」(とく)
就職列車を見送った同世代の私にも、50年以上経った今でも鮮明に思い出す別れの光景がある。視線はそれぞれの人生や原体験によって造られた礎石の上に立つもののようである。写真や短歌に共感するものがあるならば、それは自身の何処から生まれている感情なのであろうか、と探ってみるのも面白いのではないだろうか。そして若い写真家の皆さんが、これからどのようなホームの姿を映し出すのであろうか、と想像してみるのも面白いと思うのだが。
来る10月25日(日は)、長井線祭りです。長井線祭りは、1981年(昭和56)に初めて行われました。「長井線廃止反対」を掲げて開催されたものであり、長井駅前では黒獅子舞が披露されたこともありました。
米坂線開業100周年イベントの様子を見るとき、長井線祭りの意義を改めて感じました。祭りの日は最寄りの駅に出かけてみませんか。かつて飾られた万国旗もありませんが、乗車して来た人達に手を振りませんか。
成田駅では10時から次のような事業を計画しています。よかったら遊びに来てください。一緒に楽しみましょう。(天候等により変更になる場合があります。ご了承下さい。)
10時 ~ 短歌と写真のコラボ展「視線」 開場(旧役務室)
11時 ~ 芋煮会/11時15分~ オカリナ演奏会
12時 ~ チビッ子集まれ おもちゃをゲット
《芋煮会プレイバック》
【2012年10月28日】 会のブログに載っている最初の芋煮会の記事です。
【2013年10月19日】 長井線100周年の長井線祭りに、初めて協賛芋煮会を開催しました。この時に、段ボール製の蒸気機関車と顔出しパネル(上の写真参照)を制作しました。今年、成田(ニャリタ)駅長が10年振りに復活します。
→ いよいよ明日は 100周年長井線祭り:山形鉄道 おらだの会
【2015年10月25日】 登録有形文化財の認定プレートのお披露目会も合わせて行われました。また翌年から広田泉さんの多大な長井線応援事業が実施されました。
→ 長井線祭りエンディング in 成田駅 :山形鉄道 おらだの会
【2016年10月23日】 広田泉さん、米屋こうじさん、123の会の皆さんによる3駅(成田・時庭・西大塚)合同写真展と連携して行われました。米屋さんも広田さんと共に羽前成田駅に降臨です。
「蚕桑駅は母を恋う駅共に降り 田の間(あい)行きき祖父の家へと」(武子)
短歌は武子さんの作品である。「蚕桑駅は母を恋う駅」というフレーズに作者の思いのすべてが表現されているように思う。そして、列車の中でお母さんはどんな話をしてくれたのだろうか。お母さんの手を握りながらお爺さんの家が見えて来た時は、どんな気持ちだったろうか。お爺さんはどんな顔で迎えてくれたのだろうか。また、お祖母ちゃんはどうしたのだろう、などと読む人の想像を掻き立てるのである。それは短歌が持つ「余白の力」なのかもしれない。
写真は鈴木啓公さんの作品である。鈴木さんは、「今展のテーマを知る前に、“視線”を意識して撮った作品です。」と教えてくれました。うす暗い車内灯を視野の片端におきながら、車窓に流れる桜の景色をぼんやりと“眺め”ている自分がいる。焦点の定まらない視線の先には何が見えているのだろう。心の中に広がる空虚なもの。それは楽しかったひと時との別れか、あるいは逝った祖父母との惜別だったのか。写真は画像として切り取られた一瞬ではあるが、そこには時間の流れがあり、その時空に浮遊している“自分”という存在を見るのである。
通常のコラボ展では「写真を見て短歌を詠む」あるいは「短歌の世界観に合わせて写真を撮る」という手法が一般的なようである。しかし本展では、それぞれが全く独立して制作されたものである。この展示空間に立つ人は短歌から写真を想像し、写真から短歌を詠もうとする。そしてその次には、脳内に穏やかならぬコンフリクトを抱えながら、自分なりの新たな心象風景を描こうするのではないか。そのように考えると、本展は歌詠み人と写真家、そして鑑賞者の三つの視線が交差する舞台ではなかろうか。今回紹介した二つの作品を観てそんなことを感じた。
写真は土屋勝範さんの作品である。右に長井駅のホームに佇む女性、中央に成田駅の枝垂れ桜、左には長井駅から蚕桑駅までの乗車券が2枚。組写真風に仕上げられていて、これ自体で旅の物語が綴られそうなユニークな作品である。硬券が2枚あるのはなぜだろう、と考えてしまうのですが•••••。
「カメラ抱き背にはリュックの旅の人 わが長井線に乗りくるは嬉し」(美壽)
短歌は、美壽さんの作品である。若い旅行者がリュックを背負い、カメラを抱えて乗車してくる情景を詠んだものだろう。「わが長井線」、「嬉し」という言葉に、故郷を走る長井線を誇らしく思う作者の心情がみえてくるように思う。
長井線に若い旅人の姿を見ることは嬉しいことだ。この旅が、この地を訪れた人たちの心に、何かを残してくれることを願っている。
トカイヲ ハナレテ タビスル ヒトヨ
キミハ ナニヲ モトメテ キタノカ
トカイニ カエル タビビトヨ
キミハ ナニヲ ミツケタ ダロウカ
→ 「長井線リポート(32) 高架を超えて:おらだの会」より