米屋こうじさんが鍬を振るっている。土の下には線路のバラス風の石がゴロゴロ。米屋さんの鍬は何度も跳ね返される。その姿を見ていた人が小さな声で話し合っている。
「米屋さん何しったなや。」「ヒマワリを植えるんだど。」「あんな石ころゴロゴロの場所では、鍬の刃などすぐダメになるんでないがぇ」「米屋さんはホームセンターから、開墾用の鍬を買って来たんだと」
先月、成田駅のアジサイの写真を撮りに来た人がいた。「アジサイのエリアが狭くなってますね」と言いながら、「これじゃ写真を撮ってもしょうがないな」というような顔をしていた。
「アジサイの区域は去年と少しも変わっていないよ。アジサイの風景を守るために、私らの苦労を知っているのか? 貴方は貴方が撮りたい写真のために、汗をかいたことはあるのか? 」と言いたかった。
米屋さんは、この荒れ地にヒマワリの種を植えようとしている。成功するかもわからない。けれどもやらずにはいられなかったのだろう。二宮尊徳翁の言葉に「木を植えるは徳を植える也」がある。一方で、「日本を耕す」と語るポスターが立っている。かつて山形鉄道創業時に、社員の気持ちを一つにしようと「みんなで桜の樹を植えないか」との運動が生まれたそうです。山形鉄道が厳しい中、みんなで○○を植えないか、と声をあげるのは誰なのか?



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