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川樋 神明神社

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川樋地区下にある神明神社です。

(画像は昨年撮影したものです)

地域の人は「オスメサマ」と呼びます。

川樋から日影道を進むと、左側に神明鳥居があります。鳥居から社殿まで約300m位です。

途中で道が分かれますが右に進むと神明神社で、左に進むと秋葉神社への参道です。

嘉永(1848~1855)年中創立ですので、地区内では比較的新しい神社になります。

 

神明神社の総本山は伊勢神宮です。江戸時代に伊勢参りが盛んになり全国各地に神明神社が創建されました。

 

以前は川樋の法印様、不在になってからは元中山の法印様、現在は川樋松林寺住職がご祈祷を執り行っています。

祭神の一柱が大日如来であることから、神仏習合の形が見てとれます。

 

赤湯町史(昭和43年)より

 神明神社

 祭神:天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)

    大日如来(だいにちにょらい)

 由緒:嘉永年中創立

2022.03.29:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

地名考 碇田

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  • 地名考 碇田

小岩沢地区の字碇田(イカリダ)です。

 

イカリという地名には、漢字で「碇」「猪狩」「五十嵐(イカラシ)といった字が使われます。

川(自然)がイカル=「怒る」「溢れる」という意味を持ち、洪水の被害に遭いやすい場所や水はけの悪い場所を示しているということです。

 

碇田も前川のそばにあり、大雨になるとすぐ冠水する場所です。

(画像2は大雨の時の様子です)

中川地区は山に囲まれた地域ということもあり、災害地名が数多く残されています。

 

参考文献:災害・崩壊・津波地名解~地名に込められた伝言 太宰幸子著

2022.03.23:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

地名考 天矢場

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川樋地区の字天矢場(テンヤバ・テンニャバ)です。

 

天矢場は一般国道13号上山バイパス改築事業に伴い、山形県埋蔵文化財センターによる天矢場遺跡の発掘調査が行われたことがあります。

調査報告書に

「天矢場遺跡を含む周辺には縄文時代の中期~晩期にかけての集落跡が存在していたものと考えられ、陥穴や石鏃から天矢場遺跡は当時の狩猟場の一部であったと推測される。」

と記載されています。

 

天矢場を通る通称日影道の近くには昔、秋になると鳥を捕獲するための霞網が仕掛けられていました。(現在は違法で、所持することも違反です。)

それだけ野鳥が集まる場所だったようです。

 

天矢場の地名の由来は鳥獣を捕獲するため、矢を射たところから名付けられたと考えます。

 

引用文献:天矢場遺跡発掘調査報告書  山形県埋蔵文化財センター調査報告書第174集

     平成21年 財団法人 山形県埋蔵文化財センター

参考文献:中川風土記

 

2022.03.19:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

中川小唄の作詞者

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中川小唄の原作の作詞者は小関仁四郎先生です。

小関仁四郎先生は明治32年東置賜郡伊佐沢村※に生まれ、大正15年から昭和6年3月まで中川尋常高等小学校に勤務していました。

当時の卒業アルバムがありましたので紹介します。

 

中川小唄の原作の歌詞は小関先生が、中川村の様子や風景を織り交ぜて作られたようです。

当時の資料がなく、現在の歌詞とは少し違うといわれています。

 

また、小関先生は岩部山三十三観音について、昭和5年に「北山観世音由来」という冊子を書き著しました。

現在、中川公民館で保管している「北山観世音由来」は手書きの文章をコピーしたもので、判読できない箇所が多数あります。

原本をお持ちの方がいれば、中川公民館までご連絡願います。

 

※現長井市 

 当時、伊佐沢村は東置賜郡に属していました。昭和23年4月1日に所属郡が西置賜郡に変更されました。

 

参考:中川小唄について 後藤嘉一著(元館長代理)

2022.03.18:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

消防組

  • 消防組
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春は火災が発生しやすい時季です。

火の取扱いにはご注意願います。

 

法被には「中川村消防組第三分団」の文字が見えます。

(ポンプ庫は現南陽市消防団第八分団第一部第三班)

 

明治27年2月9日勅命第十五号をもって「消防組規則」ついで、同年5月2日県令「消防組規則施行細則」が交付され、全国の消防団体は統一されることになりました。

その後、昭和14年に「警防団」となり、昭和22年に「消防団」となりました。

 

古い写真をよく見ると、ご存命(90歳過ぎ)の方がいらっしゃいます

 

参考:南陽市史下巻

 

2022.03.15:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]