HOME > コンテンツ
南陽市宮内町に生まれた粕川健一少尉は昭和19年12月7日にフィリピン島オルモック湾の海原に特攻隊として讃華と牧野房氏が「軍神 粕川少尉」と題する一文を寄せています 増川少尉は双松公園の忠魂碑に祀られています この忠魂碑は芳武茂介がデザインされたと言われています また宮内小学校150周年記念誌に昭和21年同校を卒業した渡部邦夫氏が粕川健一少尉に関する文章が載っていますので下記に紹介します
「宮内小学校創立150周年記念誌」から
昭和16年日米が開戦しました。開戦に先立って、小学校は国民学校に改称されました。日中戦争から日米戦争に展開すると一層戦死者が増加していきました。そうした戦死者の中に粕川健一少尉がいます。昭和19年のレイテ沖海戦で初めて神風特別攻撃隊が編成され、粕川はその一員として特攻戦死しました。多分朝礼の時だったと思います。近野校長先生から、粕川少尉戦死のこと、しかし、自分の撃とうとした船が病院船であったため、急反転したことを聞いた時の感動は、本当に身体の震える思いがしたものでした。「あゆみ」には父長一郎にあてた最後の書簡と「軍神粕川少尉」の歌が紹介されています。 (昭和21年卒業 渡部邦夫)
※ この歌は、宮内小学校の原知一先生が作詞し広居忠雄先生が作曲したもので、全町民あげて称賛し愛唱され、宮内小学校では全校生が声を張り上げて歌ったと言われています。








