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軽井沢プリンスホテルスキー場

  • 軽井沢プリンスホテルスキー場

軽井沢プリンスホテルスキー場のリトモスノーアカデミーのスタッフ登録案内、もうすぐ締め切り・・・今年は行くかどうかいまだ悩んでいますが、このプリンスホテルスキー場はもと会社の先輩が定年になり、アルバイトで務めていて、どこよりも早くから滑れるし、8時からのリフト開始でミーティング集合が9時半∴開始まで1時間半の空き時間、講習は10時から12時で昼は1時間半、午後は13時半から15時半講習で終了、16時から17時までイントラ勤務の時もたまにあるが、なければ16時から無料のスキー講習もある、ナイターもあるからナイターで自主練習もできる、元気があるならですがね、都心勤務で仕事終了後、東京から車で約2時間、JR長野新幹線で約1時間というアクセスのよさもあり、現役世代で金曜夜に仕事帰りに来て日曜までイントラ勤務しながら空き時間に滑って日曜に夜に帰る人もいた、認定指導員なら2級からでも時間単価は低いが勤務できる、指導員取得目的で来る人もいた・・私も準指導員目指した頃はここでバイトしながら練習したものだ・・

プリンスホテルスキー場は、なだらかな斜面を中心にしたコースが豊富で初心者にはいいところ、初心者コースは混み合うからいやだが、上級コースもあるから、滑りごたえも充分にある、強風運休などないし、快晴率は95%くらい、12月の中頃までは、一部のコースしかできないが末には超上級コース以外オープンする、造雪機と人工降雪機を使い、ゲレンデは常にベストコンディションとなっている・・

2025.12.11:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

寒々しい景色

  • 寒々しい景色

昨日の天元台高原スキー場、麓は雨でしたが、高原は雪、昼でも-5度、木々は霧氷で覆われて、金属部分についた雪も寒々しい・・でも雪はいい感じ、明日は晴れ予報、そして明後日からは雪マークが続く・・

2025.12.10:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

防空壕

  • 防空壕

先月、置賜地域観光ボランティアガイド研修会に西吾妻山案内人クラブで参加、喜多方のボランティアガイドさんの説明で喜多方街中散策を行いました・・蔵の街とラーメンで有名・・江戸時代、会津藩内の北部にあることから(北のほう・きたかた)と呼ばれていたことにちなんで付けられ、のちに”よろこびおおいほう”と『喜多方』となったと、なるほどと感心しました、蔵めぐりの中で昭和古民家案内があり、今でも残る防空壕がありました。

太平洋戦争中に民間個人が自家用に作ったもののようです、中は小さくて簡素な防空壕でしたが・・よく残していたものです

・日本の本土空襲が現実のものとなる1944年頃から学校の校庭、強制疎開先の空き地、個人の自宅床下や敷地内などに大量に作られるようになり、人々は空襲警報が鳴ると、身近なところに造られた防空壕に身を隠した。1940年に内務省計画局が発した通牒「防空壕構築指導要領」は、空き地や庭に堅固な防空壕を作るよう国民に指示した。ところが、防空報改正により退去禁止と消化義務が法定された後、1942年には内務省防空局が発した通牒「防空待避施設指導要領」は、床下に「簡易ニシテ構築容易ナルモノ」を設置するよう指示したというのだ。逃げるより消火優先というのね!国は・・冷たいね

ところで防空壕の世界の状況みるとスイス、イスラエルの人口あたりの核シェルター普及率は100%以上となっている
ノルウェーは98%
アメリカは82%
ロシアは78%
イギリス67%
シンガポール54%
日本は0.02%

世界各国では、核ミサイルの脅威への備えの重要性を認識し、いざという時の避難場所として、核シェルターの整備を政府主導で進めている。
日本は唯一の被爆国でありながら、かつ周囲の中国、ロシア、北朝鮮などの核保有国に囲まれているにもかかわらず、核シェルターの普及が全く進んでいない。緊張感のない日本と思わざるを得ないね

2025.12.10:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

川崎で

  • 川崎で
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  • 川崎で

先月弟が帰省し、帰りの車に便乗して・・川崎で同期の飲み会に参加・・東芝日野と東芝小向の同期10名でグループライン作っている・・・昭和50年に東芝日野入社・・この年は過去にない少ない採用数、自宅待機があった年、三菱に富士電機に行く田舎の同級生も自宅待機があった年でした・・日野に入社するも2年半で所属の職場の部が解散した、そこの課長の同期が東芝小向の電源装置開発部課長をしており、その課長推薦で、今度は簡単につぶれない防衛と宇宙事業のある小向で電源装置の開発部署に転勤した・・日野の寮から鶴見の東芝寮に転居、鶴見駅から川崎駅まで電車・・そこから会社のバスで小向に通勤となった・・あの頃の川崎駅は工場の街”川崎”という感じの駅でしたが川崎アゼリアとして川崎駅と地下街再開発が1981年(昭和56年)長男が生まれた年に着工したので覚えている1986年(昭和61年)に完成し川崎のイメージが一転した・・「アゼリア (Azalea) 」は西洋ツツジの英名で、ツツジは川崎市の市花であることに由来する。懐かしい川崎駅・飲み会まで時間があり駅内のカフェで人の流れを眺めていた・・1977年から2000年まで川崎が勤務場所、飲み会も川崎駅界隈の繁華街でしたね、久しぶりの川崎繁華街・・金曜日とあってかなりの混雑・・久しぶりの同期・老けたね

2025.12.09:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

昨日風無し快晴、今日は強風運休

  • 昨日風無し快晴、今日は強風運休

昨日の天元台は風もなく、快晴で朝一番のゲレンデはピステンかけた快適バーンでしたね、一昨日までは、もさもさと雪降り状態から昨日は一転して快晴で日差しも心地よい・・・遠く月山、朝日連峰がきれいに見えましたね・・今日は一転し強風で朝からロープウエイ試運転もできず、風回復の見込みもなく、運休となりました・・なかなか変化の激しい天元台・・

2025.12.07:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]