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五合庵-国上寺

  • 五合庵-国上寺

新潟寺泊泊して、良寛さんの地巡り、国上寺内にある五合庵に寄りました。この庵は、良寛和尚が諸国行脚の末、越後に戻った寛政5年(1793年)から約20年過ごした庵。国上寺本堂を再建した客僧「萬元上人(ばんげんしょうにん)」が、毎日米五合を給されていたことから「五合庵」と呼ばれています、国上寺から吊り橋を渡って少し下ると、良寛さんが暮らした「五合庵」がありますが、国上寺から五合庵へは10分はかかるのかな、なかなか険しい石階段です・・・・つくと、茅葺の8畳間くらいの小さな庵、良寛はここで托鉢に出たり、座禅をしたり、『源氏物語』や『万葉集』、『永平録』などを読んだ。そして、多くの漢詩・長歌・短歌を生み出したとされる。良寛40代のころのことですね

「焚くほどは風がもてくる落葉かな」は、良寛が詠んだ句で、彼のシンプルな生活や自然への感謝を表現しています。句碑は五合庵の横に建てられてます

2026.05.15:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]

国上寺

  • 国上寺

新潟の寺泊に泊り、良寛さんの地巡り、良寛さん誕生の地から資料館をみて、国上寺(新潟県燕市国上)を訪ねてきた。この寺院は和銅2年(709)弥彦大明神の託宣によって金地大徳を開山として創建された真言宗豊山派の寺院・・開山1300年の越後最古の名刹。現在の堂宇は客僧万元上人が中心となり享保3年(1718)に再建し、県内最古とある、酒呑童子や源義経・弁慶伝説も残る。良寛ゆかりの五合庵はこの寺の敷地内にある。本尊は行基作 阿弥陀如来像、境内客殿に各1体良寛座像がある。 雷神により掘られたという雷井戸があり、年中水が枯れることがないと言われている。弘法大師ゆかりの「五鈷掛けの松」がある。

2026.05.14:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]

安久津八幡神社

  • 安久津八幡神社
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5月の連休、安久津八幡に行く、三重塔は寛政9年(1797年)に再建されたもので、初建は、寛永2年(1625年)といわれている。方三間造で銅版葺き、置賜地方唯一の層塔である。安久津八幡神社としては、貞観2年(860年)、慈覚大師が豪族、安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりと言われるふるいところ、中世以降は、長井氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、幕府直轄地と支配者が変わるとともに、安久津八幡神社も大きく変化しつつ、社領回復運動や別当寺の無住状態の中で、何度も社殿や寺院が焼失。徐々に衰退の道を辿りました。明治期に神仏離令によって寺院がなくなりますが、一部の仏像はは亀岡文殊の別当、大聖寺に移され現存している・・・初の例祭・・倭舞、田植え舞を見て、このあと亀岡文珠に向かった

2026.05.08:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]

安久津八幡神社倭舞

  • 安久津八幡神社倭舞
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5月3日(日)、安久津八幡神社で行われ た「春祭り」、巫女が本殿で倭舞を舞う、初めて見に来たのが2004頃だったか、子育ても終わり自分の時間ができて、好きだった絵でも習おうと相模原市の女子美近くの絵画教室に通い始めて、なんかテーマで描こうとしたのが”舞する少女”ここの巫女舞を見てのことでした、そこから相模原市の絵画サークルに移り、現在も在籍しているもう20年ですかね、そんな思い出の巫女舞、その種類は様々で、起源は日本最古の書物である「古事記」、「日本書紀」に登場する神話の世界まで遡り、以来1300年以上経った現在まで受け継がれ、また変化を加えて舞われ続けています。安久津八幡神社は、貞観2年(860年)、慈覚大師が豪族、安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりと言われ、後、平安後期に奥州平定のため、源義家が、戦勝を祈願して、鎌倉鶴岡八幡を勧請したと伝えているが、定かではない。
安久津八幡は石畳参道の入口左手に、三重塔、参道途中に舞楽殿、その奥に本殿がある。舞楽殿は、室町末期のものといわれ、毎年5月3日には、倭舞(やまとまい)、9月15日には延年の舞が気品高く、古式豊かに舞われる。舞楽殿では本殿で踊り終えた巫女が”田植え舞”を披露します

2026.05.07:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]

田植え舞(安久津八幡神社)

  • 田植え舞(安久津八幡神社)
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5月3日(日)、幼馴染の弟が帰省してきており、一緒に高畠町の安久津八幡、亀岡文珠、長井市の獅子舞とまわってきた、安久津八幡神社で行われ た「春祭り」、巫女が本殿で倭舞を舞ったあと、舞楽殿で田植舞を奉納します、終わると餅撒きがあります、今回はなんと4個もゲット、場所が良かったですね、この”田植え舞”その年の豊作を祈る舞、田植え前の「予祝」として、田んぼでの作業を舞で先取りし、稲の成長と五穀豊穣を願う神事です。全国各地の御田植祭と同じく、田の神を迎え、稲作が無事に進むことを祈る古い農耕儀礼がもとになっているとされます。古くは、田の神への信仰と結びついた民間の田植行事があり、それが神社の祭礼に取り入れられ、儀礼的な舞として洗練されてきたと考えられています。氏子の小学生から中学生までの巫女8人で舞います・・晴れ姿を撮るためにじいちゃん、ばあちゃん、両親、姉妹盛んにシャッター切ってました・・かわいいですね、私も孫に逢いたくなりましたね

 

2026.05.06:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]