一昨日、天元台は夏山営業前の救助訓練でした、2人乗りのリフトが強風やリフト故障などで緊急停止して利用客が取り残されたという想定で行われる、長さ7メートルほどのポールが各乗り場降り場に用意してあり、救助に向かう、まずは、乗客の健康状態確認し安全本部に連絡、救助の説明をしてから、ポールの先端についている金具をリフトのケーブルに引っかける、利用客に救助用のベルトを装着してもらい、ベルトにつながったロープとポールを使って声をかけ合いながらゆっくりと地上に下ろしていくという訓練、毎年2回、夏山営業と冬シーズン営業前に乗客にふんし、降下するのと救助するほうと行っている・・
父の日
昨日は父の日でビールが届きました・・ビールが一番ですね!ありがとさんです。
この父の日、ネット検索してみると、世界の主流となってるのはアメリカから始まったものと言われています。
アメリカのワシントン州スポケーンに、ソノラの父ウィリアム・ジャクソン・スマート(William Jackson Smart)は、男手一つでソノラを含む6人の子どもたちを育て上げました。ソノラは、深い愛情を注いでくれる父をとても敬愛していました。
1909年5月、教会で行われた母の日のお祝いに参加していたソノラは「なぜお父さんの日はないのだろう?」という疑問に思い当たります。母の日は1907年に5月に提唱され、すでにアメリカ国内に広く浸透していました。その母の日と同じように、大好きなお父さんのための日も作ろう、そう思い立ったソノラは、地元の牧師教会に父の日を作りたいと相談しました。そして翌1910年、6月の第3日曜日にあたる6月19日に、最初の父の日のお祝いが行われました。当初は、ソノラの父の誕生日である6月5日の開催を目指したようですが、準備が間に合わず延期となり、そのまま6月の第3日曜日が父の日として定着することになったそうです。
母の日はすぐにアメリカ国内に定着しましたが、父の日はなかなかそうもいかず、父の日が正式にアメリカの祝日として認定されたのは60年も後の1972年でした。
そういえば、小学校の頃は母の日にカーネーションとか贈りましょうとありました・父の日は私が中学の頃なんですね、しかし日本で一般的になったのが1980年代・・私も2人の子が生まれて、子育てに奮闘していたころです・・お店で盛んに父の日に贈り物と宣伝が始まっていたのが1990年ころだったかな・・私が父や母に送るようになったのは子供が大学進学して相手してくれなくなったころかな・・我が子が成人した頃、ようやく時間的にも金銭的にも余裕ができ、父母のありがたさがわかって送るようになったのは2000年頃になってでした・・
ブルースハープ&ホルダケース
中三の頃フォークソングが流行りだし、ハモニカ吹いて引き語りする吉田拓郎に憧れた・・そしてビートルズのサウンドにも心奪われた・・何とか自分でも弾きたくてギターにハモニカ、そしてホルダーも欲しいと思うようになる・・小遣いだけでは心もとなく・・中学卒業の春休み、父に頼んで仕入れ先の牛乳屋さんで初のアルバイトをしました、団子作りに近所へ団子配達、お店の留守番などもしましたね、そして手に入れたギターにホルダ、ハモニカ一本(この一本はいまでも残っている)、長井市で買いましたね、高校の3年間は夢中で練習・・でも都会に就職し最初の1年は同期と3人集まり寮でやっていたが、フォークブームも去り、同期に彼女ができ寮を出たりと、自然にギターもやらなくなった、あれから40年、定年を迎え・・また青春時代が懐かしく、還暦60と同時に知人からギターを買い、また弾き始めた、気が付けば・・今は、一番の癒し、心安らぐ時間が弾き語りとなる、ハーモニカで歌うスタイルが一番好きで、ハモニカも各キー毎に必要なんで8本集まった、そして月一回、新月に開かれる、川西町ブルームでの新月ライブに行くようになる・・持ち運びのときハモニカや小物がバラバラでは不便で先月、ハモニカケースを作ったものの、さらにハモニカホルダやカポ、チューナー、ピックも袋に入れると中はぐちゃぐちゃになり不便で、まとめて持ち運びできるケースを作った。
おもてのイラストは高校の頃、描き残していたイラストを使用した・・当時のスケッチブックが一冊残っているのです、オリジナルイラストでなく何かの雑誌のイラスト模写だったと思う・・












