1月28、29日、30日と米沢スキー場のスキー授業担当しました・・このところ毎日雪降り・・そんな日は気が進まないですよね、早朝出かける前に家の前を除雪して、朝8時半のミーティングに間に合うように米沢スキー場へと向かいます・・いつもより道路は混んでおりました・・駐車してる間に20~30㎝程積雪ですよ、昨日31日も雪でした・・今日から2月早いものです、今朝はようやく降りやんだようですね、久しぶり除雪なしで家出れそうです、今日は休みして米沢スキー場でテク検定攻略講習受ける予定でしたが、夜天元台アルブ助勤頼まれて・・天元台で自主練習しに行きます・・
自然界で生きる
天元台高原ロープウエイ湯元駅(920m)付近にいるおさるの集団、以前はロープウエイ支柱を登る白ざるが見られたが今現在はこの集団にはいない、小野川温泉から船坂峠にかけての集団で3回ほど白ざるを見かけたことがある、天元台付近のむれでも、いづれかは白ざるの子が生まれることであろうが・・早く見たいものである。世界にすむ多種多様なサルの仲間で、最も北にすむサルがニホンザルである。青森県の下北半島にいるのが北限で、本州以南、九州の屋久島に至るまで幅広く生息しているが、北海道にはいないとあります。下北のサルは一年を通して冷涼な環境下にいるため、ほかの地域にすむサルより毛足が長く、ふさふさとしている。野生のサル、冬を越すのはなかなか大変なようで、年老いた個体や親とはぐれた子ザルなどは、越冬できないことも多いと言います・・ここ数日朝は非常に冷え込んで寒い、ロープウエイから下の木に数匹が抱き合って寒さをこらえている、2匹から3,4匹と密着している・・なんか違う生き物のようですよね、中に子が入っていたりする・・高原の厳しい冬、もっと暖かいとこに行けばいいのにと思うのだが、今が一番寒い時期、この時期、抱き合うサルが見れますね
カラオケ
かなり久しぶりにカラオケ店へ行く、午後からの用事に時間があるので昼用弁当を買って、まねきねこ米沢店行ってきた・・2人カラオケで隙間なく2時間弱ですからね・・すぐに回ってくる・・ストレス発散になりましたね・今は持ち込み自由だし料金も安いですよね・・カラオケのカラは「空」、オケは「オーケストラ」の略で、楽団・楽隊による生演奏ではなく、レコードやテープで代用することを指しますね、本来は放送業界で使われていた用語であった。そうですよ楽団員らの雑談から出た言葉という。録音機材が発達する前は放送は基本的に生で行われていたが、次第に録音素材が用いられるようになり、費用がかかるオーケストラを準備させずとも、あらかじめ録音した「カラオケ」に歌手の唄を重ねることが技術的に可能になると、番組制作経費の削減目的で普及した。カラオケという言葉が普及する以前は「空演奏」と表現することが多かった。現在でもこの意味での「カラオケ」は放送業界用語として使われている。とあります・・昔、実家で8トラックのカラオケがあり年末とか集まるとカラオケ自宅でやってましたね・・1980年代にはいりはやりましたね・・私が就職したのが1975年昭和50年のこと、この年、新宿の歌声喫茶に行っているがこの年で最後だったと思う、歌声喫茶は、集団就職で単身東京に移住してきた青年たちの寂しさを紛らす心のよりどころでもあった。とあるが1965年(昭和40年)頃をピークに、歌声喫茶のブームはうたごえ運動の退潮に連動して急速に衰退、その後の10年ほどでほとんどの店が閉店していった。とある・・就職した東芝日野・・職場の宴会は何か一人芸を披露しないといけない時代、ピンクレディやヒデキのまねしたりしましたね、歌を歌うと手拍子で全員で歌うというスタイルでした、それも1975年を境にカラオケスナックがはやり、家庭用カラオケ機械が出現して個人で「人前で歌を歌う」ことに移行した。因みに、歌声喫茶は一般の喫茶店やカラオケボックスとは異なり、客全員が合唱する形態のため、飲食物の注文が少なく客単価が低いという経営的な問題もあった。とあります・・
米沢スキー場
昨日の米沢スキー場は和田小、窪田小、西部小、米沢東高と大型バス7台でした、私は窪田小担当のスキー授業でした。聞けば現在の窪田小は、1年から5年が2クラスなんですが6年は一クラスだそうです。私が都会生活41年を経て米沢に移住し1級を2016年に受け翌年の2017年からスキースクールのスキー授業お手伝い始めました、そして準指導員を2021年合格しました・・気が付くと2017年始めたころは、バス台数が13台ほどきてましたが、今は7台とかですかね・・そんだけ少子化が進んできてると感じます・・小学校の閉校、高校も統合と進んでいる。。スキーヤー人口も年々減ってます・・スキー場なくならんことを祈る・・