西吾妻山からグランデコへの縦走登山で見かけたミヤマリンドウ、茎の先に青紫色の花を咲かせる日本固有の植物、本州の中部から北海道の高山帯、湿原で生育する・・漢字だと”深山竜胆・ミヤマリンドウ”と表記される・・西吾妻には多くの高山植物がみられる
グランデコ縦走
一昨日,山友4人で西吾妻山から西大巓そしてグランデコへと縦走登山しました、山友は福島メンバーと米沢メンバーで福島側はグランデコに車を置いてからの朝8時10分前天元台高原湯元駅集合、休日始発8時発のロープウエイに乗り、リフトを乗り継いで西吾妻山最短登山口から登山開始・カモシカ展望台から大凹湿原、梵天岩、天狗岩吾妻神社、西吾妻避難小屋と小休憩しながら西大巓に進みます・・西吾妻山から西大巓を望むといったん下りがあってまた昇りの西大巓山頂が見えますグランデコにはその西大巓山頂から左に下りて縦走します昼は西大巓でと頑張りです避難小屋でて30分ほど降りて登るのがつらいですが西大巓到着します、一枚目が西大巓を望む2枚目写真は西大巓ついて振り返りの西吾妻山を望んだところです・・西吾妻は大凹湿原から西大巓まではいろんな高山植物見て景色を楽しめますが西大巓からグランデコまでは樹林帯・・下り一辺倒の原生林なにも見えません1時間20分くらいですか展望が開けグランデコスノーリゾートのゴンドラ山頂駅が見えます・・残念ながらゴンドラ運航はまだでゲレンデを歩くことになります・・結構長いゲレンデで下りは太ももに堪えます疲れました・・癒されたのはゲレンデにはヨツバヒヨドリの花が群生していてその花の蜜を吸うアサギマダラ見れたのが良かった
白布温泉中屋別館不動閣聖火台
昨日いつものメンバー4人で天元台ロープウエイ、リフト利用しての西吾妻から西大巓そしてグランデコへと縦走登山しました、終わって白布温泉泊まり・・オリンピック開幕にちなんでオリンピック風呂の名を持つ中屋別館不動閣へ泊まりました、長さ18mのプールのような長ーい風呂があります、入り口の、のれんもオリンピックマークです、通路には当時のオリンピックユニフォームと聖火台が展示されてます・・旧県庁現在の文翔館で聖火を灯した聖火台です、当時の写真と説明版ある・中屋別館は1964年(昭和39年)東京オリンピックにオープンしたことからだけでなく聖火台が白布温泉の石を使用したことからその名がついたとのことです・・登山の疲れをいやす食事に温泉・・歳なんでお酒はいると食べきれないようになりました・・品数減らしたコースがいいようになった・・歳だなぁ・・
茅葺
私が小学生5年(1967年、昭和42年)川西ダリア園の下・・殿原という街に住んでいた・・この年までは家の周りにも茅屋根の家が多数あり、まだ牛馬を飼ってる家がちらほらと残っていていて、里山などに行くとほとんど茅屋根の家でした、しかしこの昭和42年8月も終わる時に羽越水害が発生、甚大な被害をもたらした、殿原地区も床上1m以上浸かりました、時代は高度成長とも重なりこの機を境に災害復興とともに河川工事が進み自然の河原はコンクリートブロックの河川となり、家は茅屋根から普通の家に変わっていきます・・牛や馬を飼っていたいた家は、機械化とともにいなくなり、どこにでもあった茅屋根は今ではほとんど見かけることはなくなってしまいました、里山では自前の茅場が近くにあり、農家はみな茅葺道具も持っていて自前でできたそうですけど、今日では茅葺の家も、茅葺経験ある人もほとんどいなくなってます・・・夏は涼しく冬は断熱に優れた茅屋根は日本の里山の象徴でその生活技術は後世に残したいものですけど・・茅は屋根を葺く草の総称でありその材料はススキ、ヨシ、かりやす、かるかや、しまがや、ちがやなどイネ科の多年草がすかわれる、ススキは全国いたるところで群生したいたのでよく使われたようです・・そんな中若い人が茅葺職人となって奮闘中でてこに茅片付けで週一程度数時間ですけど手伝いすることにしました・・