松山さんとうなぎと3人で、当時ドキュメント映画の”音楽の大陸インド””クリシュナ巡礼の旅”そして””モルディブ“の3本をそれぞれ勉強会が終わってから観に行った。
モルディブは今でも観光地として知られているが、その当時も知ってる人は新婚旅行に出かけてた。だんらんの客のユカリちゃん夫婦、その後パイプ夫婦も行った。
ところが、その映画では、米がとれなくて大変、もともとサンゴ礁なのでとれなくて当たり前なのに、そのドキュメンタリーを作った人たちはかわいそう、かわいそうって売りたかったらしいが、地元の子供たちが出てきたが小ざっぱりした制服を着てるので制作者側はびっくり。しかし、流石観光地だということは一言も言わず、毎日同じカツオのカレーで可哀想、という姿勢。松山さんは由利ちゃん、これ、編集終わってんのかね、まだ未完なのって、俺が作ったみたいじゃないかいそんなもんシランと言ったことがあった。
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松山さんとのこと
2014.12.08:jay:[我が師 松山俊太郎さんのこと]
松山さんとのこと
うなぎと松山さんとこ行き始めたある日、
松山さんは蓮が出てくるとその頁に紙テープを貼るので、
本が開いてしまい、紙箱に入らなくなってしまう。
大正新修大蔵経も入らなくなったので、紙箱を破って捨てるというので
それを手伝うということになり、ベリベリ破ったら、
松山さんは”ユリちゃんはやらなくていい”といい、
その箱のワザワザホッチキスをはずし、平面状態にして
捨てるのだということで。奥さんに捨てるんでしょうと聞くと
綺麗に並べて捨てたいみたい、変わった人だからとのことでした。
捨てるものにも美学を求めたのかも…。
松山さんは蓮が出てくるとその頁に紙テープを貼るので、
本が開いてしまい、紙箱に入らなくなってしまう。
大正新修大蔵経も入らなくなったので、紙箱を破って捨てるというので
それを手伝うということになり、ベリベリ破ったら、
松山さんは”ユリちゃんはやらなくていい”といい、
その箱のワザワザホッチキスをはずし、平面状態にして
捨てるのだということで。奥さんに捨てるんでしょうと聞くと
綺麗に並べて捨てたいみたい、変わった人だからとのことでした。
捨てるものにも美学を求めたのかも…。
2014.12.01:jay:[我が師 松山俊太郎さんのこと]
松山さんとのこと
蓮の研究家としても知られている松山さんは、所持してた本の数もすごく、何処から何処までも本が平積みにしてあり、それを何処に何を置いてたかというのを解かってて、ちょっと動かすと怒られた。本を置くために近所にアパートを借りてた時もあり、そこに泊まったことがあったが、水を飲んでもいけなく、トイレも使ってはいけない。近所の公園に行けとのことだった。水を使うと本が濡れるからとのこと。
台湾で中国の随筆集100冊でてて蓮の関連してたのは1冊だけど、それを取り寄せたりと大変な思いで研究してたのでした。
台湾で中国の随筆集100冊でてて蓮の関連してたのは1冊だけど、それを取り寄せたりと大変な思いで研究してたのでした。
2014.11.24:jay:[我が師 松山俊太郎さんのこと]
松山さんとのこと
野沢から大森まで行ってるバスがあり、それが安かった。
私の同級生の女性が、お母さんがやってたスナックを引き継いで経営してたので、
松山さんと月1回か2ヶ月に1回行った。
松山さんは相変わらず、
私も相変わらず。
相変わらず同志で飲んでて、
その後、大森から新宿へ出てと後の店、その後の店とはしごだった。
勢いだけだったのかなとも思える、あの時代。
まぁ何であれ、お互い飲んでれば
それはそれでめでたいということで…。
私の同級生の女性が、お母さんがやってたスナックを引き継いで経営してたので、
松山さんと月1回か2ヶ月に1回行った。
松山さんは相変わらず、
私も相変わらず。
相変わらず同志で飲んでて、
その後、大森から新宿へ出てと後の店、その後の店とはしごだった。
勢いだけだったのかなとも思える、あの時代。
まぁ何であれ、お互い飲んでれば
それはそれでめでたいということで…。
2014.11.17:jay:[我が師 松山俊太郎さんのこと]
松山さんとのこと
松山さんとこの勉強会を終え、下北沢に飲みに行こうということでTAXIにのった。
松山さんは0戦闘機の話をし始めた。こっちは知らない世界なので、ただ黙って聞くしかない。
そうしたらTAXIの運転手さんがその話に入ってきた。その人は戦記雑誌『丸(まる)』の愛読者らしく詳しい人だった。
そうすると松山さんは今までとってた態度ではなく、真摯にものを教わる人の姿勢をとって運転手さんの話を聞いていた。
その時、隣にいた私は、ああ松山さんってなんて素晴らしい人なんだろう、この人の弟子になってて良かったととても嬉しかったことがありました。
松山さんは0戦闘機の話をし始めた。こっちは知らない世界なので、ただ黙って聞くしかない。
そうしたらTAXIの運転手さんがその話に入ってきた。その人は戦記雑誌『丸(まる)』の愛読者らしく詳しい人だった。
そうすると松山さんは今までとってた態度ではなく、真摯にものを教わる人の姿勢をとって運転手さんの話を聞いていた。
その時、隣にいた私は、ああ松山さんってなんて素晴らしい人なんだろう、この人の弟子になってて良かったととても嬉しかったことがありました。
2014.11.10:jay:[我が師 松山俊太郎さんのこと]