HOME > 我が師 松山俊太郎さんのこと

松山さんよ、いつまでも

足は痛い、引きずりながら下北沢へ。
3階の会場なのだが、エレベーターが使えず、何とか会場へ。
北川も来てて、シノハラ、うなぎ、クワバラさんと懐かしい顔ばっかし。
2次会は4~5分近いと言ってたが20分以上歩き、東京の人の感覚はすごいと毒づいていたが、
途中の店でプレ2次会をして2次会の店。ウナギも、宮崎さんも寄ってこなかった。
しようがなくシノハラと坊主頭寄せて話して読んでて、(2日後に聞いた宮崎さんの話では)2人は本当に仲良しなんだなと誰も邪魔できない雰囲気だったそうだ。二次会終わったので早く出てくださいと言われシノハラと出て、みんなを待ってたが、誰も来ず、シノハラと別れてカプセルホテルへ。




松山さんのこと

松山さんのことをいろいろ書いてきて、
いよいよ、私には先生といえば松山さんしかいなく、
心の中にいつもいて何かをする時は、いつも見ててくれてる。

一応松山さんのこと月曜に書くの休みにすることにしよう。
思い出すことがあれば、その時、その時に、書いていこう。

松山さんのこと

松山さんにとっては、人間より犬の方が偉いという考えがあり、勉強会に連れて行ってた飲み友達のことを赤犬と名付けた。
彼は、劇団四季のメンバーだった人だが(犬か)働きもせず、飲み歩いた犬だが、飲みすぎると鼻のあたりが赤くなり、それで赤犬と呼ばれてた。
その当時の新年会、忘年会は彼のおやじの店でやってた。彼のおやじも喜んで参加したり、大賑わい。メンバーは5人だが。
ある時なんで赤犬なんですかと聞いたら、いや、赤犬は荒淫だからという返事が返ってきて、なるほどと思ってしまった。

松山さんのこと

松山さんはもともと、時間論をやるつもりだったが、その前に、蓮の研究をといいながら、結局、蓮の研究の膨大さに気付いたが、ゆるぎないものにしなければという作用がはたらいたのでしょう。
そして喪くなる前の1年間で法華経の新しいカードを作ったとのこと。
流石松山先生。
小指をグラスの底へ押し当て、人差し指と中指でグラスを挟んで飲んでる様が、
目に浮かびます。

松山さんのこと

佛教大の関わりで朝日カルチャーセンターの浄土宗系の話を受講する時も、松山さんに許可を得て通った。
石上善応という大正大の教授も教えに来てて石上先生は後に大正大の学長になった人で、私が松山俊太郎の弟子ですと言ったら、松山先生は梵文(サンスクリット)のすごい人だと言ってくれたので嬉しくなり、松山さんに話したら、いや、俺あったことないよとのこと。
でも、それだけ、松山さんの名前は響いてたんだということでしょう・・・と。