高校野球史、いや日本野球史に残る延長50回、試合時間10時間18分の激闘、2014年夏の全国高校軟式野球の準決勝の広島・崇徳高校と岐阜・中京高校の試合を紹介します。
この試合は8月28日に行われ9回では決着が付かず延長15回を戦い抜いた後、一旦サスペンデッドとなり翌29日に続行。(前日終了時から続行)この日も30回を終えても決着がつかず継続試合に。(この時点で大会記録の25回を超えた。)翌30日。息詰まる接戦にマスコミも注目し始め、日本野球史上最長記録の延長45回も引き合いに出され始める。この日も互いに譲らず延長45回でサスペンデッド。大会規定における最終日の31日に突入することで、準決勝の最大延長を54回までとすることと、勝利したチームの決勝戦はダブルヘッダーになることが決定した。継続試合ということで一度交代した選手は試合に出られないので、選手たちの健康面を考慮しながら、両校の監督は選手起用に悩まされ続けていた。
最終日の31日。マスコミが注目したこともあり、4300人収容の明石トーカロ球場に5000人を超える観客が訪れた。地元ファンも「プロ野球のオープン戦でもこんなに人が入ったことはない」というほどでした。日本野球史上最長試合となり、永遠に続くかと思われた投手戦も延長50回表、中京高校がヒットやフォアボールでノーアウト満塁のチャンスを作り、2番のキャプテン、後藤選手の2点タイムリーツーベースで先制し、さらにもう1点加え3点を奪いました。崇徳高校もその裏、2アウトからヒットでランナーを出したが、得点を挙げることはできず、中京が延長50回、3対0で勝ちました。
50イニングを投げ切った中京の松井大河投手は準決勝の後、「腰に疲れはあったが、3点を取ってくれたので最後は応援も力にして気合いで投げた。決勝でもマウンドに上がれば思い切り投げて優勝したい」と話していました。 ( 投球数 : 215、217、203、74 = 709 )
同じく50イニングを投げた崇徳の石岡樹輝弥(じゅきや)投手は、「疲れはあったが監督にお願いして、きょうもマウンドに上がった。最後は打たれたが50イニングはとても楽しかった。今は温泉に入りたい」と話していました。 ( 投球数 : 177、214、226、72 = 689 )
中京高校は、その約2時間半後の午後0時半から行われる決勝で神奈川の三浦学苑と対戦しました。この試合の中京高校の応援席には崇徳高校の選手たちの姿があった。何と崇徳高校の選手たちは中京高校の応援歌と振り付けを”完コピ” していた。(互いに相手選手全員の顔と名前も一致していたらしく、”敵”だった相手の応援歌も振り付けも自然に覚えてしまっていたそうです)その応援の甲斐があり、疲れているはずの選手達を後押しし、2対0で見事に中京高校が優勝しました。この試合には、準決勝で709球を投げ抜いていたエースの松井投手がリリーフで登板し、5回2/3を無失点に抑え、チームの2年ぶり7度目の優勝に大きく貢献しました。
松井投手には、日本ハムなどが獲得調査をするなどし、軟式野球界からのプロ野球選手誕生かと期待が集まったが、指名には至らなかった。肩やひじなどへの負担が心配されたが「今は問題なく投げられています」と明かすなど順調とのこと。(松井投手は、愛知の中京大学へ進学し、石岡投手は、福岡大学へ進学。2人とも準硬式野球部で活躍中)松井投手は、プロに行きたいと言っているようです。あの広島カープの大エースだった大野豊投手も準硬式からプロ入りし活躍したので決して夢ではないと思います。
この試合、批判の声が数多く寄せられ、海外メディアも驚きとともに大きく取り上げたそうです。
そんな中、中京高校の選手たちは、当時土砂災害がひどかった崇徳高校のある広島市の被災者に送るために募金活動を行っていた。(崇徳高校は被害が大きかった安佐南区に隣接する西区にある)「決勝戦では崇徳高校の方々からも応援してもらった。感謝の意味も込めて」(後藤主将)と、選手たちが提案したもので、9月3日午前から軟式野球部の選手たちが中京高校の全40クラスを回り、募金を呼びかけたそうです。
今後、両校は交流を深め、定期戦や合同合宿も検討。ただし、延長に入った場合は、適度な回で打ち切るという。
松井投手と石岡投手は、今でも頻繁に連絡を取り合い、野球や私生活について語り合っているという。
改めて思いましたが野球って素晴らしいスポーツですね。感動しました。
高野連の対応
この試合の影響で2015年の第60回大会から、決勝戦を除きタイブレークを導入することが決定され、延長13回ノーアウト・ランナー1・2塁の状態から攻撃を始めるようになった。なお、決勝戦はサスペンデッドとはせず再試合とすることになった。