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2008年友師百期会 旧学年主任 小野隆夫

 先日の第三回友師百期会に参加した折,幹事の方から会報への原稿依頼があり,今回は在学当時の思い出を書いてほしいということでした。それに答えるべく,当時の,出来事を思い出すために,中学三年のときから五二年間書き続けた日誌から1989年(平成元年)分を取り出して,読んでみましら八月四日(金)に以下のような記述がありました。
 「一一時半から閉校式をやり,昼食を半端にして一人ロープに乗り,学校に着いたのが一二時五十分頃であった。直ぐユニフォームに着替えてグランドに出て三崎高校との練習試合をし,終わって四時半頃,いったん家に帰り着替えて,野球部父兄会の反省会に出席して帰ったのが一二時近くであった。暇がないというのだろうか,生活が充実し過ぎると言うのだろうか,とにかく体を休めるというのか,ゆっくり寝てみたいという感じである」
 この文を読んで当時の様々なことを思い出しました。閉校式というのは,本校として始めて実施した天元台における夏期学習合宿のことで,八月一日から四日まで三泊四日で八二名の参加者でした。(八月一日の日誌より判明)この合宿で確かな学力のつけかたを会得した人も多かったように記憶しています。正直,私などは寝不足で体力的に相当疲れていたのを思い出しました。当時私は野球部監督という立場にありましたので,試合があれば当然指揮を執らなければならず,夏休みを利用して神奈川県から米沢に来ていた三崎高校との練習試合を組んでありましたので一足先に山を下りたのでした。
 野球に関しては,一生忘れられない想い出があります。この年の夏の甲子園大会の県予選会は,1,2回戦と地元で勝って三回戦は強豪日大山形と上山球場での対戦となりました。この日は学校では,授業があった日でしたが三年生の何十名かは記憶になくなりましたが,休んで(授業をボイコットして)友達の応援に上山まで駆けつけてくれました。私としては応援に来てくれた生徒に対する感謝の気持ちと,学校では授業が行われていると言う事で本当に複雑な気持ちでした。今考えれば,ああいう場面は全校応援にすべきだったとつくずく思います。学習合宿と野球応援の事を今回は記してみましたが三年間でといえばもっともっと想い出は沢山ありますが字数の関係で今回はこれだけにしたいと思います。最後になりましたが,いつも中心になって,会の運営や,会報発行などに積極的に,献身的に動いてくださっている幹事の皆さんに心から感謝申し上げます。
2008.05.07:友師百期会:コメント(0):[2008年会報]

2008年友師百期会 旧3組担任 菅 弘

 1月6日からNHKの大河ドラマ『篤姫』が始まった。1回目は薩摩藩を舞台に黒船の来航,藩の財政再建の苦悩,領民の苦しみなど暗雲立ち込める幕末が描かれ,このドラマはその幕末と新しい日本誕生の物語であるとの予告が告げられていた。その変革の時代を生きた人とって,未来への強い願望があっても,それが歴史の流れに沿っているかどうかはわからない。
 しかし,歴史の潮目の変化は,まったく同じようなパターンとして警告を発するものだとドラマを見ながら思った。政府機能の低下,財政再建,増税,貧富差の拡大,浮浪者の増大,など幕末と同じようなことが現在現われている。ただ幕末は日本という鎖国していた国が,開国するという苦悩だったが,グローバル化した現代にあっては,日本のみならず全世界がその潮目にあっている。それは18世紀から始まった産業革命とアダム・スミスによってもたらされた「自由放任」という思想でなりたっている資本主義体制,市場主義という体制の終焉を物語っているよう思える。さしずめ幕末の「黒船」にあたるものが,自然環境の破壊といえないこともない。
 エネルギーが現在の鉱産資源の石油から太陽光発電にかわり,バイオマス燃料に変われば,産業の中心が温帯地方から熱帯気候帯に変わることは当然である。科学が進歩し,情報が世界を飛び交いする現代では,もはや現在の国家という衣服が窮屈になってきているのではないかとも思う。
 このような時代に生きる人にとっては,苦悩の日々である。しかし,この潮目の流れを自覚した人が,次の時代の主人公になる。ゼロからの発想が大切にされる時代じっくりと自分と向き合い挑戦的な生き方をしてほしいと期待している。
2008.05.07:友師百期会:コメント(0):[2008年会報]

2008年友師百期会 旧2組 石黒紀子

 同窓会皆勤賞を目指していましたが,昨年は私事の都合で参加できませんでした。今回一年ぶりに参加させていただき,楽しいひと時を過ごすことができました。
 毎年同窓会を企画・運営してくれる幹事の皆様ありがとうございます。地元,米沢で生活している私でも,どこかでばったり同窓生に会う機会はめったにありません。同窓会という機会があってこそ懐かしい顔ぶれに会うことができ,記憶の奥にしまってある高校時代の思い出話に花が咲くというもの。普段は3児の母として育児,家事,仕事に追われる日々ですが,懐かしい高校時代を振り返る良い機会となりました。
 さて高校時代といえば日々の勉強や課題テスト,部活。そろいのTシャツで望んだクラスマッチ,マラソン大会や合唱コンクールなど勉強以外にも本当にいろんなことが沢山あって,あっという間に過ぎてしまったように思います。私はどれも一生懸命取り組んで楽しかったなあという漠然とした記憶しかありません。そう,三年の夏の高校野球の応援にも行ったけれど,剣道場?に正座させられた記憶のほうが鮮明なのです。
 今回の同窓会では,応援練習での基本姿勢?や家庭科の授業でのきゅうりの輪切り?半月切り?の件,合唱コンクールで歌った『エトピリカ』のことなど細かい出来事の話も飛び出し本当に楽しかったです。クラスでの思い出が多い私にとって,2組の参加者が少ないのが残念ですが,次の同総会にはこの楽しさを味わっていないクラスメイトを誘ってまた参加したいと思っています。
2008.05.07:友師百期会:コメント(0):[2008年会報]

2008年友師百期会 旧5組 土開智佳

 去る平成20年1月2日,御屠蘇気分もそのままに,友師百期会に参加いたしました。前々日からの大雪で,会場へ向かう道中は米沢の冬の風情たっぷりでした。雪で埋もれた米沢の歩道に悪戦苦闘した一日でもありました。
 今回の参加は,初回からかぞえて皆勤の3度目になります。初回参加のきっかけは,高校在学中にはほとんど交流の無かった他のクラスメートたちと,卒業後に友人になる機会に恵まれたことです。年に数回食事をしていたところに会への参加の話が出てまいりまして,めでたく3年連続出席の運びとなったのでした。
1回目の参加の際には,とても緊張していたのをよく覚えています。それも当然で,まだうら若かった高校生のころの私は今より激しく人見知りだったと思います。(では無かったですか?)その時の記憶が強く,ほとんど会話を交わしたことの無い方々と15年もの久しぶりにうまく話せるかしらと不安でした。が,そこは年の功と同級生の妙で,あっという間の楽しい時間を過ごすことができました。
 同級会の醍醐味は,お互いの15年以上の足取りを気取らずに語れることだと私は感じております。社会に出て10年も経ち,当たり障りの無い会話で濃いコミュニケーションを避けがちの私ですが,そんな私でもたった3年間ともに過ごしたという共通項だけで,皆さんと味わい深いたくさんの会話をさせていただけました。また,いろいろな仕事を持ち,それぞれに家庭を持ち,色んな風に年を重ねた同級生の方々に接していますと,わが身の立ち位置も見えてきましてまた感慨深いものです。そんな豊かな時間が心地良く,毎回参加しております。
 ただ女性の方々の参加が少なく残念です。忙しい仕事や育児の合間に,米沢でタイムトリップしてみるのも良いのではないでしょうか?皆さま,今度お会いできるのを楽しみにしております。
2008.05.07:友師百期会:コメント(0):[2008年会報]

2008年友師百期会 旧6組 佐藤政敏

 この度,初めて平成2年卒同窓会に参加させていただきました。これまでに「友師百期会」なるものが幾度か開催されていることは同会開催事務局からの連絡を通して知ってはいたものの,なかなか仕事の都合がつかずこれまで参加を見送っておりました。今回は事前に情報を頂き予定を前もって確保しておくことができましたので,満を持しての参加となったわけです。  
さて,卒業後,我が6組の面々はどうなっているのかと期待や好奇心に胸躍らせ会場に向かったところ,受付場所にてあの懐かしい面々がすぐに飛び込んできました。あの頃のフレッシュな風采と比べると皆貫録に満ちた顔付きになっていたことは月日の経過を感じながらも,皆,「大人」になったのだなという例えようのない感覚がこみ上げてきました。談笑をする中で,皆,気持ちは高校時代のあの頃のままで内心ホッとしました。
思い起こせば,我が6組(理数科)は男子だらけであり,入学当初からハイスクールライフの行く末を案じずにはいらなかったことを記憶しております。在学中はご存知の通り,勉強など二の次三の次。男子だらけということで異性の話題で大盛り上がりの毎日でした。勿論,女子がものすごく近寄り難いクラスへと成長していくのにそう時間はかかりませんでした。
我が6組で一つこんなことがあったのを覚えています。今となっては何の行事だったかは定かではありませんが,移動手段として全クラスが大型バスを使ったことがありました。その時,なぜか我がクラスだけがバスの用意がされていなく,一つ上の学年のクラスのバスに分乗する(しかも補助椅子!)ことになったのです。少し前にクラスマッチで上の学年に対し行き過ぎたヤジを飛ばし先輩の逆鱗に触れることとなった者(6組らしい一面です)の中の私は,はりのむしろ状態で先輩からバス中で現地までずっと鋭い視線を浴びることになったのでした。この時に感じたのは,ヤジの反省というより,なぜ我がクラスだけがバスの配車ができていないのだということでした。これは我々6組が男子だらけで構成されているから少々粗い扱いをされてもしようがないということだったのでしょうか?あるいは,普段の行いに対する「罰」だったというのでしょうか?当時自分なりに自問自答してみましが,解決には至りませんでした。しかし,このことは実に6組らしい扱われ方の一件として鮮明に記憶に残り続けております。
 結びに,当時,クラスの中で,「気合入れろ~!」が挨拶代わりになっていたことを今思い出しました。こんな私も現在,高校で真面目?に教職の仕事をしておりますが,今一度あの頃を思い出し,疲れ果ててしまった身体に活を入れ直し,気合のこもった「興譲館魂」でこの先を突っ走っていきたいと思っております。
2008.05.07:友師百期会:コメント(0):[2008年会報]