2008年友師百期会 旧6組 佐藤政敏

 この度,初めて平成2年卒同窓会に参加させていただきました。これまでに「友師百期会」なるものが幾度か開催されていることは同会開催事務局からの連絡を通して知ってはいたものの,なかなか仕事の都合がつかずこれまで参加を見送っておりました。今回は事前に情報を頂き予定を前もって確保しておくことができましたので,満を持しての参加となったわけです。  
さて,卒業後,我が6組の面々はどうなっているのかと期待や好奇心に胸躍らせ会場に向かったところ,受付場所にてあの懐かしい面々がすぐに飛び込んできました。あの頃のフレッシュな風采と比べると皆貫録に満ちた顔付きになっていたことは月日の経過を感じながらも,皆,「大人」になったのだなという例えようのない感覚がこみ上げてきました。談笑をする中で,皆,気持ちは高校時代のあの頃のままで内心ホッとしました。
思い起こせば,我が6組(理数科)は男子だらけであり,入学当初からハイスクールライフの行く末を案じずにはいらなかったことを記憶しております。在学中はご存知の通り,勉強など二の次三の次。男子だらけということで異性の話題で大盛り上がりの毎日でした。勿論,女子がものすごく近寄り難いクラスへと成長していくのにそう時間はかかりませんでした。
我が6組で一つこんなことがあったのを覚えています。今となっては何の行事だったかは定かではありませんが,移動手段として全クラスが大型バスを使ったことがありました。その時,なぜか我がクラスだけがバスの用意がされていなく,一つ上の学年のクラスのバスに分乗する(しかも補助椅子!)ことになったのです。少し前にクラスマッチで上の学年に対し行き過ぎたヤジを飛ばし先輩の逆鱗に触れることとなった者(6組らしい一面です)の中の私は,はりのむしろ状態で先輩からバス中で現地までずっと鋭い視線を浴びることになったのでした。この時に感じたのは,ヤジの反省というより,なぜ我がクラスだけがバスの配車ができていないのだということでした。これは我々6組が男子だらけで構成されているから少々粗い扱いをされてもしようがないということだったのでしょうか?あるいは,普段の行いに対する「罰」だったというのでしょうか?当時自分なりに自問自答してみましが,解決には至りませんでした。しかし,このことは実に6組らしい扱われ方の一件として鮮明に記憶に残り続けております。
 結びに,当時,クラスの中で,「気合入れろ~!」が挨拶代わりになっていたことを今思い出しました。こんな私も現在,高校で真面目?に教職の仕事をしておりますが,今一度あの頃を思い出し,疲れ果ててしまった身体に活を入れ直し,気合のこもった「興譲館魂」でこの先を突っ走っていきたいと思っております。
2008.05.07:友師百期会:[2008年会報]

この記事へのコメントはこちら

※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。