危険が指摘されていた記念館北側のブロック塀は高さ1m35cm、長さ34mあるが、控壁が2か所しかなく、かなり老朽化している。鉄筋もあまり入っていないことから、上から4段のブロックを切り落として低くする工事が行われた。
これで一安心。
それにしても大阪でのブロック塀の倒壊による小学生の死亡は痛ましい。2度とあってほしくない。
24日の大河ドラマ「西郷どん」は西郷隆盛が徳之島から沖永良部島に流された時の話である。
24日の施設活用文化講座で南洲神社と南洲会館を訪問し、なんと沖永良部島に触れることができた。神社に向かって右手にあまり大きくない白いゆりの花が咲いていた。このゆりは沖永良部島のゆりの花であるという。また、南洲会館で解説していただいた何点かの書の中に土持政照(つちもちまさてる)に関係する書があった。大河ドラマの中でも登場した牢屋の番人の一人で、西郷隆盛をを救った命の恩人である。川口雪篷(かわぐちせっぽう)なる人物がドラマにも登場しているが、牢の中で島津斉彬公から学べといわれた嚶鳴館遺草(おうめいかんいそう 細井平洲の教え)を書き写し、土持政照に与えている。この書の下段の部分はこの川口雪篷が書いているという。西郷隆盛は亡くなった後もこの川口雪篷のつながりは切れなかったという。
幸せな1日となった。
遺芳録上巻に「臨雲文庫は横浜新子安の結城翁の別邸を移築した」との一文が記されている。先にこのブログでも紹介したが建設業界大手の清水建設が横浜新子安の結城別邸を建築したことがわかり、東海大学工学部建築学科小沢朝江教授ら関係者6名が調査に来館した。
臨雲文庫の入り口の土間の空間は古材、3つの和室などは新材を使い新しく建てられたものではないかと説明があった。臨雲文庫は横浜新子安の別邸を移築したものとは考えにくいとの考えが示された。正式な報告は後日とのことであるが、貴重な建物であり大事に保存していただきたいとの話があった。
初めて聞く臨雲文庫の建設にかかわる話は貴重な内容で、とても有意義かつ楽しいひと時をもつことができた。