老兵の半生(あんちゃ先生)

昭和32年、私中学三年生、就職先を決めるため悩んでいた
時代です。希望は地元に就職したい、しかしながら地元では
なかなか見つかりませんでした。
その上私には、右足に欠陥がありあったとしても、断られる
のが落ちでした。当時の担任の先生は23歳の若い体育の先生で
私達との年齢の差が七歳しか、違わない小柄な先生でした。
だれゆうとなく自然に「あんちゃ先生」と呼ばれていました。
今でもそうゆうと名前を言わなくても、当時の卒業生は
みんなわかります。
山形の時計屋に、就職面接に行くことになりましたが
父兄同伴が条件でした。
当時貧乏暇無しの父母は、決められた日は仕事を抜けることが
出来ず、私は困り果てていたのですが
「いさお、俺がついてってやる」と先生と一緒に山形に
面接に行ったのでした。面接の人から「お兄さんですか」と
言われたときは、一瞬そうだったらいいなぁーと思ったものです。
現在自社でも、高校卒の子供達を長年毎年採用しておりますが、
担任の先生が、後にも先にも顔を見せたことは、ありませんし
なおかつその子達の、父兄の挨拶も受けたこともありません。
結局私は、卒業後上京したわけですが。
私にとって、この先生はいつまでも「あんちゃん」今でも何年かに
一度交流を深めています。

最近あっていないのですが、そのうち同級会でもやって
先生を呼んでみよう。

この記事へのコメントはこちら

以下のフォームよりコメントを投稿下さい。
※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。