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「僕にお水ください」

八月十日火曜日の読売新聞の、一面に"届かぬ叫び"
の項目で、母親や父親による子供の虐待が報じられていた
03年七月から昨年三月にかけて312例の児童虐待による
死亡が報告されているという。
数々の例の中で、07年夏埼玉県で四歳の男の子が
両親の虐待により、飢餓状態のまま翌年2月に
死亡した事件、壁越しに聞こえた男の子の声は
隣人女性の耳に、今も残っているという
「僕にお水下さい」
この言葉、たまらんです。行政もかかわりながら
救うことの出来なかった事件、今年の猛暑の夏
に接して思う。その子の言葉が胸を貫く。
自分勝手な若い親たちの幼稚さが、悪魔の心を
引き出しているのか。
物質の豊かさと快楽の洪水の中で、人の心は
どんどん貧しくなって行くように思える。
政府よ、虐待で失われる子供たちの命を、
防止する施策を、緊急に行使せよと言いたい。
私にも四歳の孫がいる。
お盆も近い折、命の尊さを考えるいい時期とも
思える。
何かあったとき、相談にのる隣のじいちゃん
ばあちゃんの存在も、必要であり子供たちは
地域全体の宝であり、若い悩める親たちの心に
悪魔が出ないよう、話し相手になってやるべき
でなかろうか。

夏休み休暇無し





企業のお盆休暇は、今週から来週にかけて
長く取るところで、十日間、短くとも一週間の
休暇に入る。私どもの所は十三日の盆入りを
除いて、交代に出勤で今年は、一斉休暇はお預けと
なりました。
顧客メーカーで九月から生産に使う、設備の調整が
遅れていて、今月は休暇所でない。社員には
多大な負荷を掛けつつの、追い込みである。
正月前とか、お盆前とか、必ずそんな情況が
訪れる。普段の月はそんなに残業するほどの
忙しいわけでもないのに、顧客企業が長期休暇前
になると、顧客が休んでいる間も仕事しなくては
ならないのが、我々の宿命。
顔で笑って、心で泣いて、顧客に対応するこの時期
「いやなら、やめたら」と妻に言われるが
そうも行かない。ものづくりが好きなんだろうね

初秋とゆうがおと花火

季節は酷暑の中で、初秋を迎える
けだるさの中で、ゆうがおを食べる。
にわか雨の合間に墓掃除に出かける、お盆と
年一度の遠き所よりの、親族を迎える準備に
忙しい。
故郷のお盆は、年一度の家族親戚の絆を再確認の
時期。花火を眺め、スイカを食べ、お袋の味に
話が弾む。






今日励まされる(八月七日)

仕事の忙しさに託けて、八月五日付けのブログで
しばらくプログ休む宣言をしたら

「それは違うと思います」
何かと高齢者の消息が判らなくなっている昨今、
社長のブログは貴重なものであります。
地域貢献の意味でも、また俺は生きてるぞ!
と頑張って毎日お願い致します。

とコメントを頂いた。
西置賜産業会員の、次世代リーダーの斉藤君
毎日読んでくれている。
ちょつと心のキャパが仕事の焦りで、収縮してたかな
反省してます。また書かせて頂きます。

夢でのタイムスリップ

「そこ、そこ其の石のかげに、いるだろう」
夏休みの夜、野川。あやめ公園付近の鉄橋の下から
谷内橋方面に、向かって父とバケツを持ち
かがり火を焚きながらの、夜の魚取りである
当時子供たちの間では、ガス灯を使って"よづき"
と、言って浅瀬で眠っている川魚を"やす"で
突き刺してとる、実益を兼ねての遊びが、流行っていて
日中は、水鏡で川底の石をやすの先で、
ひっくり返しながら、"かじか""はよ""おいかわ"
"みょうぜん"を"やす"で、刺してとる遊びが
日課のようになっていて、子供にとって夏は
真っ黒になっての、天国であったような気がする
とった獲物は、てんぷらにしてのおかずに
なったり、佃煮風に、煮込んで弁当のおかずになったり
でした。昼に比べて、夜の小魚つきは大量に獲物が
取れる、当然眠っている状態を取るのですから
逃げられる回数が少ない。
ただ灯りの燃料と、器具が必要だから経費が
かかる。何度もガス灯を買ってくれるよう親に
せがんでは見たが、当然余裕のない生活だったから
父親にとっては、かってやれない事に毎日切ない
思いで、あったらしい。
ある日、「今日夜づきにつれてってやる」
父40歳、私10歳の夏休みの時である。
父は腰に藁はけごを付け、其の中になにやら
小さく刻んだ木片が、沢山詰まっていた。
手には、針金製の提灯の骨の部分だけの道具を
持っていた。「ガス灯は?」と聞くと「もっと明るく
照らす道具を作ったから大丈夫」と父はにっこりと
自信たっぷりの笑顔でそう私に言った。
父の腰の"はけご"に入っていた木片は、松の根っこ
を乾燥し、こまかく刻んだもので
乾燥した根では重量比20~30%の燃料が採取で
き、戦争中には燃料不足で、戦闘機が飛べなくなったとき
その成分の松根油(しょうこんゆ)で飛ばした事も
あるんだよと、後で父が教えてくれました。
当然松の根っこ燃料のかがり火を焚いての、夜の
魚とりは、バケツ一杯の大量でした。
夜遅く帰宅し母に、様子を語っているにこやかな
父の顔を今でも、覚えています。
もう父の亡くなったときの歳を、過ぎている私に
夢でのタイムスリップを、見せてくれるという事は
「金がなければどうにもならないよ」的、現代の
状態に、「創意工夫こそ経営の奥義だよ」と
知らせたかったのかもしれない。
もうすぐお盆だし、墓掃除でもいこうかな。