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「世界一受けたい授業」(日テレ)の中村教授が来社

1月18日中村教授と日本実業出版社 月刊「ニュートップ」
編集部の田中 学氏が来社された。中村教授が執筆している
シリーズ「日本一訪ねたい工場」の取材で同誌に私どもの
工場を取材し記載したいとの事でした。
大それた事で、記載されるほどの価値などない
工場ではあるが、長年中村教授との親交もあることなので
取材に応じることとした。
四月号に記載されるとの事でした。


55年前の追憶

「いさおさんですか、私米屋の次男のじゅんいちです」
私が中学三年生まで、住んでいた近所の幼馴染からの
突然の電話でした。

当時近所には私の二つから
七つ下くらいのまでの、子供たちが六、七人いていまして
小学通学時は、高学年が前後を固めて特に冬季間は、集団で
通学するのが、日課でした。もちろんカジカつき、インデアン
ごっこ、いもに会、缶きり等の遊びも集団で。当時は
現在の塾等の、習い事も非常に少なく放課後は、殆ど
日没まで、遊びほうけていました。
ガキ大将が必ず先頭に立ち、集団を仕切っていました。
ガキ大将も中学生までの任期で、次の世代に引き継がれ
殆どの子度たちはそんな慣例の中で、育っていました。
多分私が時代背景の移ろいの中での、最後のガキ大将で
あったと思います。

「じゅんか・・・」「そうです」「今どこさ、住んでんのや」
「昔の言葉で話してもいいですか」「いい、いい」
「今千葉の松戸さ、住んでる懐かしくで電話してみた」
色々近況の事を話し合い「功ちゃん、がんばつているなあ」
たぶんメデア等に乗せていただいたのを、見られての
電話だったと思う。「じゅんもげんきだべ」「げんきだ」
たわいもない会話の中に、ほっとしてひと時の"なごみ"
を感じ、幼馴染と話していると、中間の長い人生を圧縮して
瞬時に、其の時代の気持ちにもどるから、不思議である。

私が中学を出た後、記憶では一度も会っていないのだから
もう55年の歳月が流れている事になる。不思議なことに
当時の彼の顔や、仕草性格、くせまで鮮やかに脳裏に浮かぶ
から、良く認知症になった人が幼年期や少年期の事は
全て覚えていることや、"三つ子の魂百まで"と言う言葉も
事実らしい。

2月の雨

今朝は早くから雨
2月の雨は珍しい。春まで後一ヶ月か、道端に高く積み上げられた
積雪の壁も、足元から解け始めている。
あれほどの積雪が消えていくのだから、季節の移ろいとは
手品の連続の様である。

スナックでのひと時

昨夜法人会会合の後、ふらりとあるスナックの扉を開ける
カウンターは、沢山の客で埋まっていた。
席がないなと思い、引き返そうと思ったら誰かが、私を
呼ぶ声がした。「ここ席があるよ」振り返ってみると
知人の夫婦が中睦まじくカウンターで、飲んでいた。
みると1人分の席の上に外套が乗っていて、それをどかして
そこへ私を招いていたのだ。久しぶりの出会いである
いつも一緒で、別々で会った記憶はない。
夫婦で商店を経営していて、奥さんは大分年下で若い。
ボトルを差し出して、どう一杯と進める"マッカラの12年
ものである、「随分いいもの飲んでるね」と言いながら
しばし地域の景況や、世間話に花を咲かせて来た。
時々年甲斐もなく、スナック等に顔を出すのも普段交流の
少ない知人等に出会い、何気ない話の中で仕事とは違う、
地域のにおいを嗅げるからかな。

部下を叱る

部下を叱るということは、中々難しいことであるが
時として方向性が間違っているときは、その行為や施策を
叱らければならない。時として社員どおし庇いあう雰囲気が
社内に蔓延すると、大変な事になる。納期を重んずるあまり
受注数以上の数を作り常に在庫を持つ。
必要な数を必要なときまで作る指示をするのが
生産管理の仕事であり、多種多様の"ものづくり"の中で
どう納期管理を行なうか、それによって在庫という無駄な
経費を削減できる。売り上げに結びつかない生産活動は
あつてはならない。生産活動の中に常にコストダウンの
意識を持って指示系統をしてもらいたい。
権限譲渡の中で、見られる現象に今日は久しぶりに部下を
叱る。