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タイ国の洪水の影響

徐々に我々にもその影響が出始めてきたようである。
日系企業の洪水による被害は、想像をはるかに超え洪水の
収束も歳を繰越そうと言う思惑で、生産拠点を他のアジア
諸国に移動する動きが、活発になってきている。
日本国内にも一時的であろうが、代替生産の動きが出ているようで
あり、計画生産が大幅に見直しの方向で苦労している
企業が出ているのも確かである。特に車関係においては
日本車のアジアにおける一大拠点として、その地位を磐石に
してきたタイ国、どう復興するのか日本にとっても重大な
懸念材料であろう。東日本大震災で克ってない車生産の危機
を経験し、今度はアジアのデトロイトと言われるタイ国の
洪水被害、それも期間を置かない出の又車生産への停滞要素
である。市場は株安超円高の状態がとめどなく進んでいる。
それに国内ではTPP(環太平洋経済連携協定)の問題で
国内を二分しての攻防で明け暮れている。
国内産業の衰退を、どうにかして防がなければならない
従来輸出産業で国内活性化を、生業としている産業構造を
維持しなければ、その他の産業においても衰退は免れない
感じがする。タイ国に対しても早急で大幅な援助を惜しまず
タイでの日本企業の生産圏域を、今後とも確保していかなければ
韓国、中国の傘下に甘んじる企業群になるのは我慢できない。

星空の下で(4)

「松田熱燗もらおうか、加藤も酒にするか」私がそう声を
掛けると、この二人の酒豪は「そろそろ日本酒もいいね」
とかなりビールを飲んだのに、ケロッとした顔で「女将さん
熱燗一つ」と襖越しに声を掛ける。
高校時代平井にとって、冬季間の夜の通学は実家からは、無理で
町中の農家の物置小屋の二階を、借りて通学していた。
当然台所などなく、火を使うことを禁じられていたから、
朝食は前日会社の社員食堂でコッペパンと牛乳。昼食は社員
食堂、夜は会社社員食堂で、夜勤勤務のある会社なので
夜8時ごろまでは、社員食堂も開いていた時代でした。
勿論火気厳禁であったから、炬燵もなし一時的に夜はドライヤーで
布団を暖め、厚着をして眠る毎日であった。
松田も当時市内の文房具屋に、丁稚奉公しながら努めていたので
そこの旦那と奥さんが、我が子同様に扱ってくれていて
時々平井も冬季間夕飯を、ご馳走に松田の部屋を音連れていた
松田も中々胆の据わった男で、11月の中頃まで少し黄ばんだ
ワイシャツ姿で、通学していた。学生服を持ってないわけでなく
四年間ピンとした一着で、もたせたい。クリーニングも
最小限度にして、卒業時に学生服も心も初志の気持ちで
迎えたいと、良く語っていて高校卒業は通過点に過ぎない
もっと、もっと上の学校を目指したい。と語っていました。
彼は元々は、寒村のお寺の息子であったが、両親の死去のあと
寺を出なくてはならなくなり、丁稚奉公しながらの通学の
道を歩んでいたのでした。後に大学に進み大学院や留学を得て
経済博士号を取得し、有名企業の海外担当取り締まりまで
なるのであるが、このときはクラスでも変わり者扱いで
あったことは間違いありませんでした。確かに当時は
クラスでもトップくらいの努力家で、あまり頭が優秀だとは
思わなかったのですが、卒業時にはとてもかなわないくらい
理論家になっていたのは、間違いなかったです。

招待客300人の結婚披露パーティ

昨日高校の後輩の長男の結婚披露宴に、参加して参りました
寿司やさんを営んでいて、長男も二代目として後を継ぐそうで
他店での5年間の厳しい、修行を得て帰り今回の結婚と
なったそうです。それにしてもすごい人数の招待客で
すっかり驚いてしまいました。此処10年来の大きな結婚披露宴
参加でした。大部分が父親の幅広い人脈と交友関係の
なせる事と思っています。地区一番の寿司店にすることが
若い二代目の目標だそうです。中々の好青年で父親共々
きっと将来その目標がかなえられることと思います。
頑張れ次世代。

事務所レイアウト

今日から事務所の新レイアウト作業がはじまった。
今まで総務、業務と設計、制御の部屋が別々であった物を
一つの大部屋にまとめる事にした。色々コミニケーション
不足の中で、二重発注やら違う種類の品物を発注したり
納期確認が、別々な認識を持ったり様々なすれ違いが
出たり、連絡を忘れていたり不都合な面が見られたので
今回エコも含めて、大幅なレイアウトを敢行することにした
社長、総務、業務の在籍していた部屋を、会議室とし
普段は暖房無し、電灯無しで必要に応じてそれらをONする
それによって、エコにもなるし社内インターホーンを
使うことなく、すぐその場で連絡できる体制になるし、
今まで会議室が工場二階にあるため、いつも応接室兼会長室を
使っていたものが、新に事務所隣の会議室を使用出る様に
なる。私も少しはほっとできる。

星空の下で(3)

「あの事件は先生気の毒だったよね」松田が話し始めた
その事件とは、その日の歴史の授業は三時間連続での予定で
あった、その一時間目の初めに平井の酒臭い件が発覚。
机に頭をこずかれ、誰かが「先生今の行為は、教育者として
あるまじき行為では無いかい」と叫んだのをきっかけに
先生を非難する声が、教室一杯に上がり等々その後連続で
二時間、先生と生徒の関係についてや、人間通しの付き合い
等に、ついて先生を教室に缶詰にしてしまったのでした。
「先生にとっては、未成年の生徒が殆どでありまして、昼の
専任から、夜間生をも教える掛け持ちであったから、戸惑いも
あったよね」と松田が続ける「平井にしても学校が好きだから
少々酒の付き合いがあっても学校に来た気持ちは解かるし
先生の行為も、教師としては今考えるといかに平井が成人
に、達していたとしても当たり前だったと思う」
「しかしその後がやばかったよね、その日を境にしてその先生が
一ヶ月も休暇をとって授業に出なくなったのだからね、
後でわかった人だが、その時の授業が原因でなく病欠だったんだ
ときいて、ほっと胸をなでおろしたがね」加藤が締めくくるように
その時のクラス全員の気持ちを代弁した。
その時期の中間テストの全校成績の中で事歴史のクラス
平均点数は、80点を超えていたのは教室に缶詰した先生への
反省の頑張りであったと思う。
元々このクラスには優秀な生徒が多く、勉強したくても
経済的理由から、高校に入れず一旦社会で働きそれでも
高校を目指して、通信教育を受けていた人達が多かったから
この地区に新しく工業系の、夜間部が出来た事で入学した子や
初めから働きながら、高校へと経済的理由で入学してきた
子供達の混成クラスであったため、4年間の平均テスト成績も
65点を下回る事は無かった。