HOME > 記事一覧

義兄の逝去に思う

20日義兄の葬儀に、出かけてきた私と同じ年齢。昨年の今頃
仕事関係で上京したとき、自宅に一泊させてもらい同じ金属関係の
製造業を営む彼に連れられ、千住駅前の昭和の面影をそのまま
そっくり残している、細い道並みにびっちり居酒屋の店やスナック
類の飲み屋が、両脇に立ち並ぶ路地を回りながらご馳走になった
時の彼の笑顔が、心に焼き付いている。

昭和33年今は、スカイツリーが話題の観光対象になっているが
当時は、東京タワーが開設されたばかりでした。金の卵と称され
高度成長の、真っ盛りに中学を卒業すると15歳或いは16歳で
地方より上京し、働くのが大半の時代でした。

彼も私もその一人、私は途中挫折して帰郷しましたが、彼は頑張って
東京で土地を買い、家を建て、工場を作り二人の子供を義姉亡き後
28年間立派に育て上げ、これから悠々自適の生活で晩年をすごせる
時に、事業の後を引き継いでいる甥が、「おじさん後20年は生きてね」
との言葉に、甥の悲しみが胸を打ちました。
東京の空の下で、頑張り続けた彼の半生、昔の姿に戻った東京駅を
眺めながら、一人悲しみにくれてきました。


20日~21日長井工業文化祭

50周年記念事業「創造の鐘」除幕式生徒たちの自作によるもの
地域企業の展示



いわき市企業視察(2)

日産自動車のエンジンVQエンジンの生産工場60%を超える
自動化率を、達成資材受け入れから生産までを管理する生産システム
を採用し、高効率、高品質生産を行っており、東日本大震災では
、地元復旧のシンボルとなる。敷地面積202千㎡ 建屋 80千㎡ 
生産能力 56万基/年 従業員650名 の巨大な工場でした。




いわき小名浜菜園は、日本最大規模の温室栽培施設で、貯水、灌漑
養液供給システムはコンピュータ制御を行い完全リサイクルシステムで
生食用トマト栽培を行っている。敷地196千㎡ 温室50千㎡ 2棟
従業員130名 トマト出荷量3000t



いわき市での最大の津波被害地 塩屋崎を視察 今なお復興の遅れ
で、崩壊した民家の基礎だけが残り、後は瓦礫の山150名の命が
一瞬にして奪われたという。





17日~18日にかけてのいわき市企業視察(1)

長井商工会議所工業部会で、いわき市震災被害を受けた、
企業2社と150名ほどの人名喪失を受けた、場所の視察を行って
まいりました。詳しくは(2)で記載します。

健康診断

今日午後から社内健康診断、いつもながらメタボを気にしながら
採血では、静脈がうまく出なくて苦労する。
心電図では、呼吸が荒いせいか結果がよくない。
とかく健康診断はいつもどきどきして、受けることになる

結果報告が来るまで、やはり気にかかるものであり、日ごろからの
節制がこのときほど、大事だと思うが時がたつと、忘れてしまう。
体の健康ほど、何にもまして財産だとつくづく思わせられる。
年を重ねる毎に、健康でいることの幸せを感じるが
いつまでその状態が続くかは、分からない年齢になってしまった。