HOME > 記事一覧

LINEを始める

携帯電話の情報伝達方法の中に、メール、ブログ、Facebook等が
あるのは、知っていたがLINEと云う方法が、あるとは知らなかった。
今の若い人たちが、自分の友達通し情報を瞬時に、交換できる
メール交換より、簡単みたいで見ていただくと瞬時に、既読が
わかる。仕事関係で担当別に会話のやり取りが履歴されるから
便利である。息子より進められ連休を利用して、知人にトークを
繰り返し、迷惑を顧みず練習を繰り返している。
友達の皆さん、ごめんなさい。

「じいちゃん風呂に入ろう」

三年生頃までは、毎日の様に私と入浴するのが日課のようだった孫
最近は、月一ぐらいでのペースで「じいちゃん風呂に入ろう」との
お誘い。

孫は吹奏楽やらピアノ教室と、小学生なのに忙しそう。
私も父親も、仕事以外でも会合やらの地域ボランティアで
最近は、孫とゆっくり会話する機会がめっきり減ってきている。
孫の「じいちゃん風呂に入ろう」の言葉には彼女が、何か話したい
ことがある、信号が含まれている。

湯船につかりながら、友達のこと、学校のこと、家族のこと
何気なく話す中に、彼女の気を使って行動している様が伝わってくる
時々私は、孫に「あまり良い子でいなくてもいいよ」
「じいちゃんを見てみろ、わがままにしてるだろう」
「もうすこし、わがまま言ってもいいぞ、まだまだ子供なんだから」
と話して聞かせると、ほっとしたような顔をして、にこっとする。

これから難しい時期に入るであろう孫。会話の時間を多く持ち
成長への心のサポーターを、勤め続けたいと思っている。
「じいちゃん私が大人になるまで、よぼよぼにならないでね」
といわれるが、心の中では「それは無理だろう」とつぶやきながら
いつも「わかった」と答えている。

海外への生産設備移送が活発

国内向け装置の受注が、極端に減少している
問い合わせの内容が、ほとんど東南アジア向け大変な状況に
なってきている。部品生産やユニット生産の多くが海外生産に
移行する早さが、大手メーカーで急速に早まっている現実を
国の舵取りをしている、政府の方々は認識しているのかはなはだ
疑問に思うこのごろである。

FTAにしろTPPにしろ説明不足のためか、有権者の反発を
恐れて玉虫色の発言を繰り返している候補者の皆さん。
"資源の小国"日本にとって貿易立国で行かなければ、エネルギー
ひとつにしても、外貨を取得しなければ買えない。

電力も、交通手段も、国の防衛も、農業もエネルギーの輸入なくして
一歩も動かないであろう。工業製品の輸出を活発にして外貨を取得
することで、国民の生活も成り立つことを忘れている感じがする。
まさか農業も、牛、馬の力で田畑を耕すわけには行かないであろうし
食肉の生産も、餌の海外からの購買なくして生産できることも
できない。

日本における資源は人材と長年積み重ねてきた
技術力、開発力しかないのである。もし国内資源のみで生活しようと
するならば、鎖国時代の江戸時代初期の人口しか生きられないで
あろうと思われる。

勝手の高度成長期を経験している、われわれも夢をもう一度と
云うわけには行かない、グローバルな時代であり、一国だけの
思惑で、自立できる時代の終焉を迎えていることは確かである。

子供や孫たちのため、各国との妥協も視野に入れながら"中成長"
だけは、死守しなければならない時代を認識するのが大人の役目と
思われる。

保身のみで動く候補者達

国民の比例票で、所属党より当選した議員たちが任期中、ろくな実績
もなく、国民から見放されほうになると衣装(党)を変えて
立候補。国民を馬鹿にするなといいたい。それほど国民は馬鹿でない
たくさんの党乱立の中で、表現は違うが大なり小なり政策の
中身は、突き詰めてみるとそんなに大きな違いはないが、政策を
実行できるか、できないかの実力の問題であろう。

国全体が衰退の方向に、向かっているとき国民に甘言を言う
候補者は信用できないし、全体の国の流れを勉強してない候補者も
多く、一部の政策だけを取り上げて現場も知らないでとうとうと
持論を述べる。浅はかな候補者も多い。

農業、工業、商業、観光等の産業経済活性と、外交、教育、自衛、福祉
等国民の生き方への政策、を全体的に加味しての政策を考えて
国民に、甘言だけでなく苦言も甘受するよう説得する
候補者が、少ない。

地方にとっては、今産業構造の大きな変化の中で苦しんでいる。
ユーロー圏のある国のように、国全体の借金で倒産の憂き目に
なる中、それでも国民が既得権益を離さず、国が滅びようとして
いる中、日本はそんな風になってはいけない。

耐えるときは耐え、忍ぶときは忍び健全な国の方向性を示唆する
候補者を選択していかなければならない。

散り行く様の美しさ





周りの落葉の中で、もういくばくもないであろう、もみじの落葉
葉を落とし、冬季の本体の生存にそなえる時期の中で、
社屋敷地で、ここん奮闘その紅色を必死で保っている。

春は桜の花、晩秋はもみじの紅葉
散り行く様の最後の装いの美しさに、無常の感動を覚える。