9月28日 9月24日の河北新報に掲載されました


山形社会道しるべ探して
<道しるべ探して>産学官で一丸 自立呼ぶ


若手の作業を見守る吉田功さん(左)と重成さん=長井市の吉田製作所
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◎とうほく共創 第4部ものづくり(上)脱企業城下町

 日本経済を覆った「失われた20年」とは何だったのか。立ち込める黒雲の下で東北の製造業は、ただ立ち尽くすだけだったのだろうか。答えを求め、ものづくりの現場を訪ねた。
 半世紀続いた企業城下町は1995年、あっけなく陥落した。
 人口約3万の長井市を製造業のまちに押し上げた東芝系列蓄電器製造のマルコン電子だったが、生産拠点を海外にシフトしたライバル企業との価格競争に敗北。株式は同業他社に売却された。
 マルコン電子は最盛期の90年代前半、市の製造業で出荷額の4分の1(270億円)、従業員数の5分の1(1200人)を占めていた。
 東芝ブランドを失った製造品出荷額は、わずか数年で4割も減少した。しかし、依存することに慣れきったまちは、減少幅すらすぐには把握できなかった。
 市産業活力推進課長の横山照康さん(56)は「どれほどのショックがまちの中に及んでいるのか、皆目分からなかった」と振り返る。

 夢から覚めた後、横山さんたちは製造業の現状や課題の洗い出しを始める。
 意外にも地元には、基盤技術や先端技術がバランス良く集積していることが分かった。新幹線や高速道が通っていない利便性の悪さがかえって幸いし、町工場は外へと分散せずにとどまっていた。
 「地元企業と人材こそが長井の資源、という答えにたどり着いた」と横山さん。「依存」と「支え合い」は別物と気が付いた。
 企業城下町の没落と前後して、今度は山形県立長井工高の統廃合問題が起きる。地元製造業に人材を供給してきたが、いつの間にか定員割れと校舎の老朽化に直面していた。
 「地元に定着する人材を育てないと、長井は駄目になる」。立ち上がったのは吉田製作所の吉田功さん(75)たち町工場の経営者だった。
 高校存続運動の先頭に立ち、新校舎建設資金の調達に奔走。西置賜工業会を設立し、長井工高で技術指導を始めた。生徒の技能検定料や道具代も工業会が捻出した。

 20年がたっていた。
 省力化機械、自動機械の町工場が後ろ盾となって長井工高では今、競技用ロボットの研究開発に力を入れている。東北ではここだけという二足歩行ロボットの競技会が毎年開かれるまでになった。
 存続が決まった高校、それを支えた地元町工場と行政が三位一体となり「ロボットの長井」という都市戦略が出来上がった。
 吉田さんの長男で現社長の重成さん(42)は「小さくても全国に通用する技術を持つことが大事」と胸を張る。もたれかかるのではなく、自分の足で歩いて行く。


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