東京大空襲の日

昭和20年3月10日、焼夷弾の雨の中で約10万人の命を焼き尽くされた、
東京下町地区の惨事から、70年の月日が経つ当時4歳の私は、神奈川県横須賀市
横須賀軍港を見下ろせる、服部山の横穴防空壕でけたたましいサイレンの
響きと、雪のように降り注ぐきらきらとした焼夷弾に、目を奪われ「お母さん
花火が降っているよ」といいながら外へ飛び出そうとして、大変叱られた
事を微かに記憶している。

アメリカ軍のB29爆撃機の大編隊が、轟々と爆音を
響かせながら、東京方面に向かっていると母親から後で聞かされた。
父親はインドネシアに、船舶修理軍属として横須賀海軍工廠から派遣されていて

母と一歳の妹と母子家庭での、戦時中の出来事であった。
東京大空襲の結末は、終戦後何年か経った後母親の実家がある山形県の寒村で
周囲の人達より聞かされて、漠然と知った思いがある。

戦争ほどむごたらしい人間の行為は無い、しかしながら現在でも世界の何所か
かしこで、群れを成しての殺し合いが耐えないのは、人間の持つ悪魔の性なのか
今日はブルーな気持ちで、合掌。

この記事へのコメントはこちら

以下のフォームよりコメントを投稿下さい。
※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。