日刊工業新聞7月21日の一面に長井市の事が載る

日刊工業新聞の一面下段に毎日記載されるコラム"産業春秋"筆者の
長井市を訪れた寄稿分が、掲載されていた。以下は全文

知人の葬儀で、山形県南の長井市を訪れた。
台風8号の土砂流出で、地元の第三セクター「フラワー長井線」は大きな被害を
受けたが、幸いにも名産のさくらんぼやブドウ園は無事だった。

市は地元の工業高校や中小企業、商工会議所が連帯した雇用創出運動に
取り組んでいる。若手経営者が運営するロボット大会も毎年開催。
家庭などの生ゴミを堆肥化し、農地に還元する取り組みは循環型社会のモデル
事業として全国から視察団が訪れる。

四方を山に囲まれ、最上川の上流部にこの地方は古くから置賜と呼ばれた。
平安時代に京の伏見稲荷や八坂神社から勧請された神社もある。
米沢藩時代には京の豪商の手で船着場が造られ、酒田を得て上方と結ぶ舟運が
開かれた。

ここから京や大阪に運ばれた蝋や漆、現在まで続く長井紬などの特産物が
上杉鷹山の財政再建を支えた。
明治以降は養蚕や織物業を振興。
その後鉄道敷設や工場誘致で人口3万の商工業都市発展したが、近年ご多聞に
漏れず円高による大企業の撤退や郊外型大型店舗の出店が相次いだ。

地元の銀行に永年勤め、京文化の影響を色濃く残す長井を愛した知人は、
一人娘の名に「京」の一字を入れた。彼は空海が京で布教した真言宗の
読経で送られた。

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