昨日、今日、明日

時の流れをあらわす、身近な単位の言葉が"きのう""きょう""あした"
の呼び方で、過去、現在、未来の状態を私たちは、日常何気なく使っている。
いつも今日と云う日にしか、住めないのに。昨日と云う日には行けない。

明日と云う日は永遠に訪れない、いわば夢であり幻に近い。来たと思う瞬間
もう今日であるから。考えてみると此の三とおりの言葉で、表される
時の流れは非常に深い意味があるように、思える。
今日の事は、昨日と云う日に蓄積されていくが、ひとつとして修正は不可能
明日と云う日は希望であり、夢でありそこに住むことはできない。
いつも我々は、今日に生きていくしかできないのである。

そんなことを考えていくと、今を生きることがどんなに大切なことか
しみじみと思われる。物事の決断も明日に延ばそうか、明日があるから
いいやと、時々思うが存在できない明日では、永久に決断もすることなく
いたずらに、昨日へ今日のごみを蓄積していくようなものである。
何にしても、今日をいかに一生懸命に生きるかで過去の蓄積や、思い出に
悔恨を残すことなく自分の歴史を作り上げていくことになる。

なんだか夕べの酒が残っているのか、変な思いに駆られてしまった。
何はともあれ、今日も一日一生懸命生きるとしよう。

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