義兄の逝去に思う

20日義兄の葬儀に、出かけてきた私と同じ年齢。昨年の今頃
仕事関係で上京したとき、自宅に一泊させてもらい同じ金属関係の
製造業を営む彼に連れられ、千住駅前の昭和の面影をそのまま
そっくり残している、細い道並みにびっちり居酒屋の店やスナック
類の飲み屋が、両脇に立ち並ぶ路地を回りながらご馳走になった
時の彼の笑顔が、心に焼き付いている。

昭和33年今は、スカイツリーが話題の観光対象になっているが
当時は、東京タワーが開設されたばかりでした。金の卵と称され
高度成長の、真っ盛りに中学を卒業すると15歳或いは16歳で
地方より上京し、働くのが大半の時代でした。

彼も私もその一人、私は途中挫折して帰郷しましたが、彼は頑張って
東京で土地を買い、家を建て、工場を作り二人の子供を義姉亡き後
28年間立派に育て上げ、これから悠々自適の生活で晩年をすごせる
時に、事業の後を引き継いでいる甥が、「おじさん後20年は生きてね」
との言葉に、甥の悲しみが胸を打ちました。
東京の空の下で、頑張り続けた彼の半生、昔の姿に戻った東京駅を
眺めながら、一人悲しみにくれてきました。


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