星空の下で(9)

我々が四年生になって、漸く新生高校の人員が全日定時全てが
一年生から定時4年生まで、全クラスがそろって他の高校と
同じ体制が整う。
学校行事の中で、一番熱気があって活発になるのが大運動会
であった。その中でも定時制の諸君が大きく活躍できる
種目がマラソンであり、個人競技ではあるが常に優勝を
勝ち取るのが、定時制のクラスからの出場者であった。
其の他の競技には、中々参加しても残念ながら勝てる要素が
少なかったのですが、事マラソンになると定時制全クラスの
学生たちが、自分の事のように熱気あふれる応援で
血道を上げていた事は、ただ一日真昼の太陽の下での学校
行事に、生き生きとしてたのかも知れません。

我々のクラスも秋季大運動会が、終わると次の年明けの
三月の卒業時期を向かえ、進路の問題もあり今までの職場に
そのまま在職するか、新しい職場を求めて羽ばたくか
悩ましい選択に、誰もが戸惑いを感じていました。
当時新生工業高校のため、各企業には知名度が低く求人の
応募が地元企業では少なく、景況的にもあまり良くない年で
殆どが関東方面への、就職先しかなかったと記憶している。
現在の90パーセント地元定着など、思いも出来なかった
年代であったことは、確かでした。
又地元における製造業も、大手以外の中小企業も数が少なく
商店、スタンド、農業の自営、或いは職人見習い等々しか
選択技が無かったものです。
そんな中での職活ですから、進路担当の先生も大変な苦労を
なされていたと思います。定時制は働きながら勉学してきた
わけですから、そのまま努めればいいわけですが、昼間の生徒は
進路に対しては、大変に悩んだり地元を離れる決心をしたり
身の痩せる思いで、あったろうと思います。
特に一期生の場合、母校の先兵として出陣し結果次第で
二期生、三期生の受け入れ難度が決定するわけですから
大変な重責を背負っての、進路だったと思います。

この記事へのコメントはこちら

以下のフォームよりコメントを投稿下さい。
※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。