星空の下で(4)

「松田熱燗もらおうか、加藤も酒にするか」私がそう声を
掛けると、この二人の酒豪は「そろそろ日本酒もいいね」
とかなりビールを飲んだのに、ケロッとした顔で「女将さん
熱燗一つ」と襖越しに声を掛ける。
高校時代平井にとって、冬季間の夜の通学は実家からは、無理で
町中の農家の物置小屋の二階を、借りて通学していた。
当然台所などなく、火を使うことを禁じられていたから、
朝食は前日会社の社員食堂でコッペパンと牛乳。昼食は社員
食堂、夜は会社社員食堂で、夜勤勤務のある会社なので
夜8時ごろまでは、社員食堂も開いていた時代でした。
勿論火気厳禁であったから、炬燵もなし一時的に夜はドライヤーで
布団を暖め、厚着をして眠る毎日であった。
松田も当時市内の文房具屋に、丁稚奉公しながら努めていたので
そこの旦那と奥さんが、我が子同様に扱ってくれていて
時々平井も冬季間夕飯を、ご馳走に松田の部屋を音連れていた
松田も中々胆の据わった男で、11月の中頃まで少し黄ばんだ
ワイシャツ姿で、通学していた。学生服を持ってないわけでなく
四年間ピンとした一着で、もたせたい。クリーニングも
最小限度にして、卒業時に学生服も心も初志の気持ちで
迎えたいと、良く語っていて高校卒業は通過点に過ぎない
もっと、もっと上の学校を目指したい。と語っていました。
彼は元々は、寒村のお寺の息子であったが、両親の死去のあと
寺を出なくてはならなくなり、丁稚奉公しながらの通学の
道を歩んでいたのでした。後に大学に進み大学院や留学を得て
経済博士号を取得し、有名企業の海外担当取り締まりまで
なるのであるが、このときはクラスでも変わり者扱いで
あったことは間違いありませんでした。確かに当時は
クラスでもトップくらいの努力家で、あまり頭が優秀だとは
思わなかったのですが、卒業時にはとてもかなわないくらい
理論家になっていたのは、間違いなかったです。

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