老兵の半生(分かれ道6「装置産業へ参入」)

1980年創立して10年、量産部品の下請け加工をやってきて
何か自分の仕事内容に物足りなさを感じ始めていた。
何事も取引会社の指示通りの、作業内容で部品を作り
ただコストダウンと品質だけを、考えていれば仕事は
蛇口を捻れば水が出るように、来てた時代。
加工技術も品質も一定以上進化するとは、思えなかったし
提案するチャンスもなく、自社の意思は全く入り込む
隙もない生産環境でありました。
其処に振って沸いたように、看板方式を導入しますとの
取引先からの通達。そうなればますます完全子会社化の
中で、生きなければならなくなる。

侍の世界で言えば御家人の立場で、仕事の安定化とそこそこの
経営的安定を選択し続けるか、野武士的存在で自由に仕事を
選択したり、自社で仕事を作り自分の考えを反映できる
環境を選んでいくか、大きな決断の分かれ道でした。
まずは取引先を増やし、量産品から単品部品加工や
冶工具品の製作に移行。商品開発の手伝い、省力機械の
修理等々を目指して行きました。
不安定な経営が、続きました。
それでも充実感にあふれ、後ろを見ることなく前進一筋の
40代の毎日でした。
その後設計や制御関係の人材を育て、家電関係、車関係の
製造装置を製造できるまでに、なったわけですが
一番大事なことは人材を育てることそれも、自社の方向性に
マッチした、技術を有する人材をどう確保していくかで
勝負は決まるような気がします。

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