老兵の半生(分かれ道3「高校卒業」)

9月5日付けの友人でもあり、同業者でもある長井製作所
の横山社長のブログに、"自由と束縛、権利と義務"の
下りで、「杭から100mの紐に繋がれた羊は、
自由が無いと考えるのか」との命題がありました。
紐に繋がれているから束縛されて不自由だと考える人
半径100mをはみ出そうと考えれば束縛(不自由)だが
半径100mの中は、紐に繋がれているとはいえ、
束縛は無く自由だと考える人。
どちらが正解というわけではありません。
というくだりがありました。
彼の言いたい内容とは、少し解釈が違って引用しているのですが
私にとって、卒業時に迎えた分かれ道はまさに、100M
範囲の自由で、生活の安定を選ぶかそれを、超えた自由を
求めて飛び立つか、二者選択の分かれ道だったのです。

1965年24歳、いよいよ卒業時を迎えたある日、今は亡き
担任の先生から「この学校で実習助手を募集してるから、
ならないか、身分は県職員になるがどうか」
将来通信教育等で教員免許を取得すると、教諭採用の道も
あるよ、ともいわれ心が大きく動いた事は確かでした。
家族も大賛成で、その方向を勧めましたが、私の心の中で
もう一つピンとこないものがありました。
それは生き方の問題で変化に富,誰に指示されることなく
自分の意思を通し続ける事の出来る、職業をやりたいとそれまで
転々としたわけですから、此処で固まってはいられない
そんな思いで、その申し出を断ったのでした。
高校に入ったのも最大の目的は、そんな思いを達成するため
の武器を得るためで、決して楽な道を歩む手段では
無かったのです。ふとそのとき先生の言われた方向を
選択してたら、今の妻にも出会わなかったろうし、今の
子供たちにも、孫にもめぐり合うこともなかったと思うと
人間の意志、これこそ形もない、色もない、匂いもない
つかみ所のないものであるが、此れによって全ての
環境や建物、経済、文化、社会それらのすべてが、意思から
作られていると、考えると自分の人生は自らの思いを
具現化しようとする、意思の強弱によって大きく変わって
くることを今しみじみと実感している。

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