老兵の半生(分かれ道2「高校入学」)

人生の長い道のりの中で、ふとした人からの助言で
枝道を選択し、遠回りの道や少し後戻りして出直す事が
多々あると思います。そのときは並んで走っていた人達から
かなり遅れてしまったなあーと感じてしまいますが
後から考えて見ますと、そのことが意外と正解だったと
思われる事案が多い。人によって人生の中身や長さが違い
したがって、ゴール地点も様々である。
確実に中身の濃い人生を歩もうとするなら、急がばまわれは
時として重要な、事かもしれない。新総理大臣の野田さんの
泥臭く、汗を流して一歩一歩確実に進む、これも中身の濃い
生き方の一つ。

1961年、「兄ちゃん来年一緒に高校に行こう」
七つ年下の中学三年生の末の妹が、声をかけてきました。
当時長井工業高校が新しく1962年度から、開校することを聞いて
きたのでしょう。当時地元の小さな工場で旋盤工を
やっていた私には、その言葉が心に突き刺さりました。
「何を言ってるいまさら、俺のことは心配せず自分の進学に
全力をあげろ」といったもの「夜間部もあるらしいよ」
との妹。半年ほど悩みぬいた結果妹の言葉に従い
長井工業高校の夜間部に、1962年春入学する事になる。
このことが自分の将来を、大きく変える事になるなど知る由も
無かったわけで、まして現在のこの歳まで長井工業高校に
関わり続けるとは、夢にも思わなかった。まさに妹の言葉は
チャンスの神様の言葉で、今考えるとそう思います。
たかが高校入学でと、思うでしょうが七つ年下の子供らと
同級生になる、まして一度上京して何年か社会人を
経験した者にとって、改めて学生をやるということは
かなりの決心が必要であったのです。
これも私にとっての、大きな分かれ道。なぜそれを選んだのか
当時旋盤工をやっていて、もっともっと"ものづくり"に
対しての基礎的知識がほしかったの一言につきると
思います。人は様々で順調に階段を上る人、段を踏みはずし
ながらも、又挑戦する人。様は一度道を選んだら次の
分かれ道が、現れるまでその道に全力を尽くすことが
大切な事であろうと、この歳になって実感してます。

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