老兵の半生(分かれ道「退却」)

人には歳を重ねるその時々の道筋に、必ず右か左か選択する
分かれ道が現れる。
もしも別の方向へ歩んだなら、どんな今が有るのだろう
そんな事を考えると、不思議な思いに駆られる。
よく"七転び八起き"が人生の真髄だと言われますが
私など転びぱなしの青春時代であったような気がします
複雑な枝道を歩み続け、挫折と奮起の繰り返しいつも明日は
どうにかなると思い続ける。だから道を探すしかし必ず道は
枝分かれしている。心の動きで道を選ぶ
その場面では"編みだくじ"を選択して、右にいったり、
左に行ったり、下に行ったり、上に行ったり目的が
はっきりしないのに、ひたすら歩み続ける。
私にも大きく変わる、分かれ道が何度かありました。
15歳の春集団就職で、上京しわずか数週間で帰郷すべく
模索を繰り返し、1人では心もとないと一緒に上京した
仲間を口説き落として、三名で夜の闇にまぎれて逃げ帰った
その後中間達は、雇い主の説得で再びその職場にかえった
らしいが、私は再度上京しましたが別の職場を見つけて
その後転々と職場を変え、今で言うフリーター的
生活を味わう。その中で思ったのが当時金の卵とおだてられ
多くの若者が、集団就職と言う方法で都会に集められたが
所詮殆どが使い捨て当然の労働力、田舎者は、田舎者
私は田舎で意地でも暮らしてやると、二十歳の時帰郷する。
理屈をつけた負け犬の遠吠えであったかもしれない。
これが多分最初の分かれ道

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