55年前の追憶

「いさおさんですか、私米屋の次男のじゅんいちです」
私が中学三年生まで、住んでいた近所の幼馴染からの
突然の電話でした。

当時近所には私の二つから
七つ下くらいのまでの、子供たちが六、七人いていまして
小学通学時は、高学年が前後を固めて特に冬季間は、集団で
通学するのが、日課でした。もちろんカジカつき、インデアン
ごっこ、いもに会、缶きり等の遊びも集団で。当時は
現在の塾等の、習い事も非常に少なく放課後は、殆ど
日没まで、遊びほうけていました。
ガキ大将が必ず先頭に立ち、集団を仕切っていました。
ガキ大将も中学生までの任期で、次の世代に引き継がれ
殆どの子度たちはそんな慣例の中で、育っていました。
多分私が時代背景の移ろいの中での、最後のガキ大将で
あったと思います。

「じゅんか・・・」「そうです」「今どこさ、住んでんのや」
「昔の言葉で話してもいいですか」「いい、いい」
「今千葉の松戸さ、住んでる懐かしくで電話してみた」
色々近況の事を話し合い「功ちゃん、がんばつているなあ」
たぶんメデア等に乗せていただいたのを、見られての
電話だったと思う。「じゅんもげんきだべ」「げんきだ」
たわいもない会話の中に、ほっとしてひと時の"なごみ"
を感じ、幼馴染と話していると、中間の長い人生を圧縮して
瞬時に、其の時代の気持ちにもどるから、不思議である。

私が中学を出た後、記憶では一度も会っていないのだから
もう55年の歳月が流れている事になる。不思議なことに
当時の彼の顔や、仕草性格、くせまで鮮やかに脳裏に浮かぶ
から、良く認知症になった人が幼年期や少年期の事は
全て覚えていることや、"三つ子の魂百まで"と言う言葉も
事実らしい。

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