「いさおさんですか、私米屋の次男のじゅんいちです」
私が中学三年生まで、住んでいた近所の幼馴染からの
突然の電話でした。
当時近所には私の二つから
七つ下くらいのまでの、子供たちが六、七人いていまして
小学通学時は、高学年が前後を固めて特に冬季間は、集団で
通学するのが、日課でした。もちろんカジカつき、インデアン
ごっこ、いもに会、缶きり等の遊びも集団で。当時は
現在の塾等の、習い事も非常に少なく放課後は、殆ど
日没まで、遊びほうけていました。
ガキ大将が必ず先頭に立ち、集団を仕切っていました。
ガキ大将も中学生までの任期で、次の世代に引き継がれ
殆どの子度たちはそんな慣例の中で、育っていました。
多分私が時代背景の移ろいの中での、最後のガキ大将で
あったと思います。
「じゅんか・・・」「そうです」「今どこさ、住んでんのや」
「昔の言葉で話してもいいですか」「いい、いい」
「今千葉の松戸さ、住んでる懐かしくで電話してみた」
色々近況の事を話し合い「功ちゃん、がんばつているなあ」
たぶんメデア等に乗せていただいたのを、見られての
電話だったと思う。「じゅんもげんきだべ」「げんきだ」
たわいもない会話の中に、ほっとしてひと時の"なごみ"
を感じ、幼馴染と話していると、中間の長い人生を圧縮して
瞬時に、其の時代の気持ちにもどるから、不思議である。
私が中学を出た後、記憶では一度も会っていないのだから
もう55年の歳月が流れている事になる。不思議なことに
当時の彼の顔や、仕草性格、くせまで鮮やかに脳裏に浮かぶ
から、良く認知症になった人が幼年期や少年期の事は
全て覚えていることや、"三つ子の魂百まで"と言う言葉も
事実らしい。
- 新着コメント
-
2015.05.27 (Yosida)コメントありがとうございます。
-
2015.05.27 (ネタオコシ)エゴノキ、良いですね
-
2015.03.26 (hideki)おめでとうございます
-
2015.02.12 (YosHida)ありがとう
-
2015.02.12 (kuro)悲しいですが・・・・
今日 222件
昨日 474件
合計 386,359件
昨日 474件
合計 386,359件
この記事へのコメントはこちら