夢でのタイムスリップ

「そこ、そこ其の石のかげに、いるだろう」
夏休みの夜、野川。あやめ公園付近の鉄橋の下から
谷内橋方面に、向かって父とバケツを持ち
かがり火を焚きながらの、夜の魚取りである
当時子供たちの間では、ガス灯を使って"よづき"
と、言って浅瀬で眠っている川魚を"やす"で
突き刺してとる、実益を兼ねての遊びが、流行っていて
日中は、水鏡で川底の石をやすの先で、
ひっくり返しながら、"かじか""はよ""おいかわ"
"みょうぜん"を"やす"で、刺してとる遊びが
日課のようになっていて、子供にとって夏は
真っ黒になっての、天国であったような気がする
とった獲物は、てんぷらにしてのおかずに
なったり、佃煮風に、煮込んで弁当のおかずになったり
でした。昼に比べて、夜の小魚つきは大量に獲物が
取れる、当然眠っている状態を取るのですから
逃げられる回数が少ない。
ただ灯りの燃料と、器具が必要だから経費が
かかる。何度もガス灯を買ってくれるよう親に
せがんでは見たが、当然余裕のない生活だったから
父親にとっては、かってやれない事に毎日切ない
思いで、あったらしい。
ある日、「今日夜づきにつれてってやる」
父40歳、私10歳の夏休みの時である。
父は腰に藁はけごを付け、其の中になにやら
小さく刻んだ木片が、沢山詰まっていた。
手には、針金製の提灯の骨の部分だけの道具を
持っていた。「ガス灯は?」と聞くと「もっと明るく
照らす道具を作ったから大丈夫」と父はにっこりと
自信たっぷりの笑顔でそう私に言った。
父の腰の"はけご"に入っていた木片は、松の根っこ
を乾燥し、こまかく刻んだもので
乾燥した根では重量比20~30%の燃料が採取で
き、戦争中には燃料不足で、戦闘機が飛べなくなったとき
その成分の松根油(しょうこんゆ)で飛ばした事も
あるんだよと、後で父が教えてくれました。
当然松の根っこ燃料のかがり火を焚いての、夜の
魚とりは、バケツ一杯の大量でした。
夜遅く帰宅し母に、様子を語っているにこやかな
父の顔を今でも、覚えています。
もう父の亡くなったときの歳を、過ぎている私に
夢でのタイムスリップを、見せてくれるという事は
「金がなければどうにもならないよ」的、現代の
状態に、「創意工夫こそ経営の奥義だよ」と
知らせたかったのかもしれない。
もうすぐお盆だし、墓掃除でもいこうかな。

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