老兵の半生(生涯の友5)

卒業後のそれぞれの進路も、またばらばらでありました。
松井は上京し地下鉄会社に就職、その後何年かして栗橋在住の
女性と結婚。婿養子となる
又この女性がすばらしい人で、お茶、お花の先生をしていて
松井にいったそうです「貴方は頭がいいのだから
大学に入りなさい」その間のことは全部私が面倒見ます。
普通は中々いえないし、出来ないことです。私も彼の奥さんには
何度かあっていますが、純日本的女性の典型的な人で、彼を
常にたて、彼も婿殿のくせその亭主関白は半端ではないのです。
彼はその後大学そして大学院ドクターコースをえて、外資系
の大手企業に入社し、工業系経済紙に経済博士として、連載記事
をしばらく寄稿しておりました。その後しばしば帰郷するごとに
私の会社により、何たらかんたら経営について、話しては
情況説明をしていたものです。IT関連の海外担当取締りまで
上り詰めました。又人一倍郷土に対する思いがあって、自分の
子供に飯豊山から取った名前 (いでみ)と最上川から取った
名前(もがみ)をつけて言います。今は嘱託として会社に籍を
おきながら、全国に桜を植える会などを作り、各地区に苗木を
植える団体の会長職で、ボランテァ活動に生きがいを
感じているようです。
何年か前当地区にも、10本ほどの桜の苗木を植えております
何時あっても、常に何かに向かって前進をとめない態度に
もう60をとっくに過ぎているのに、苦労したであろうが
其のかげりさえ見せず、遠い日の密造酒を飲みあった青春の
時と、全く変わらない。
老兵の半生(生涯の友6)につづく

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